世界中の誰よりも

栞をはさむ

 ちょっとした用事を片付けて部屋に戻り、ドアを開けたところで、サクは数秒棒立ちになった。
「およ」
 と、大きな窓から光の差し込む明るい部屋の奥から、レンが青い目をぱちぱちさせる。その腕に抱き寄せられているのは、出るところが出て引っ込むところが引っ込んだ、いかにも抱き心地の良さそうな一人の少女。ぎょっとした顔をしたのは、レンよりも少女の方だった。
 またかと、サクはいい加減呆れ返ったのと諦めとが半々になった気分で溜め息をついた。
 いつもならここで外に出て行くところだが、あまりにも度重なる状況に、もういい加減付き合っていられない。コンクリート剥き出しの部屋にそのまま上がり込んで、黒い薄手の上着を脱ぎ、そのあたりの椅子の背に放り投げる。
 無言でシンクに向かって手を洗い流しているサクに、レンの腕の中にいる少女は、あからさまに困惑し、びくついているようだった。助けを求めるようにレンを見上げている。
 レンはと言えば、一言も口を開くでもなく一瞥くれるでもないサクのその様子に、さすがに少し決まり悪そうな顔をしていた。
「あー。ごめん。ちょっとまた今度でいい?」
 と、腕に抱いた少女に向かって言っている。
 また今度? また今度があるのかこの馬鹿、と、シンクに向かったままサクの眦がひきつった。だがそれは、後ろにいるレン達には見えない。
 うん、わかった、と、少女は素直にそれに従った。レンに従ったというより、サクの前から姿を消したくて仕方がないように見えた。
 サクは向き直り、シンクにもたれて、ばたばたと少女が部屋を出て行く様子を見送った。
「えーと」
 部屋に残ったレンが、長い金髪に囲まれた頭をぽりぽり掻きながら、とりあえず何か言わなければ、という様子で突っ立っている。冷ややかにサクはそれを眺めていた。
「何」
「えっと……悪かった?」
「なんで俺に聞くの」
「いやなんか。怒ってるみたいだから?」
「…………」
 怒ってるみたいだから? 何が悪いのか分からないという顔を露骨にしながらそんなことを言われて、こちらが納得いくと思っているのだろうか? こいつは本当に馬鹿なのか?
「レン」
 サクの声音と表情がますます冷え切っていくのを、レンも察したらしい。若干たじろいだ色が、その普段は暢気な顔に生まれた。
「な、何」
「ちょっとそこに座れ」
 一応テーブルとセットで置かれている、大きく斜めに引き出されたままの木の背もたれつきの椅子を、サクが顎でしゃくる。レンがどこかからか拾ってきたそれは、だいぶくたびれているが頑丈で、まだ充分に使いでがある代物だった。
「はい」
 と、やたら素直にレンは従った。相変わらず事情がわかっていないようだが、今は逆らわない方がいい、とは理解しているらしい。
 サクは部屋の隅に放り出してあった自分のバッグに足を運び、中身を探って、銀色の光るものを取り出してからレンの元に向かった。その光るもの、すなわち手錠を、レンの前に立ってひらつかせる。
「抵抗するなよ」
「へ? って、おまえ、それ」
 物騒なサクの視線とその思わぬ道具に、レンが今度こそ完全にたじろいだ。だが有無を言わせずサクはレンの後ろに回ると、その両腕を背もたれの後ろに回させ、両の手首を合わせて手錠を引っ掛けた。
「ちょッ……おまえ、なんでそんなもん持ってんだよっ」
「何かの役に立つかと思って持ってきた」
 慌てているレンに、サクは目も向けずに返す。
 レンはたじろぎつつも、ただならぬサクの様子に、振り払うのはぎりぎり踏みとどまったようだ。がちり、と音がして、その手首を拘束して銀色の輪が噛まされた。
 ゆっくり真正面に回り、冷え冷えとした眼差しで真っ直ぐに見下ろしたサクに、レンの青い瞳が「さすがにこれはやばい」という内心をはっきりと映し出している。
 それを数秒間黙って見下ろした末に、サクは深々と溜め息をついた。
「おまえってさ」
 前々から思っていたことではあるが、今さらという気もするが、切り出す。さすがにこうまで度々では、いい加減はっきりさせなければ気がすまなかった。
「ほんっとに誰でもいいの?」
 問われて、レンが曇りのない青さを帯びた瞳を瞬く。そんなことかというように。
「え……うん、まあ」
「へーぇ……」
 サクの表情が氷のように冷え切るのを見て、レンが露骨に慌てた。
「あっ、いや、違う。うそうそ。そういうことじゃなくてさ。そんなの、おまえは特別に決まってんだろ? おまえがいちばんいいけど、ほら、誘われたりするとさ、それはそれでまぁいいんじゃねっていうか……」
「へぇ」
 白い顔で淡々と答えるサクに、レンが口ごもった。やっと「自分が悪いことをしたような」気がしてきたらしい。
 サクは忌々しさを隠そうともせずに、大きく舌打ちした。びくっとしたレンを、突き刺すように見下ろす。
「レン」
「……な、何でしょう」
「俺はおまえの何」
 ストレートに聞いた。正面から見下ろしながら。
「へ?」
「やれりゃいいわけ? 俺は都合よく転がり込んできたダッチワイフ?」
「え、ちょっと、待って。おまえ何言ってんの」
「いい加減にしろ」
 吐き捨てるようにレンの言葉を遮った。声が苛立つのを止められなかった。
「そうやって見境いなく、誰だっていいんだろ。ならもう俺に手出すなよ、金輪際。相手には困ってないんだろ?」
「ちょっ……サク、落ち着けよ」
 レンの青い瞳に、本気で困惑の色が広がっていく。それがますますサクを苛立たせる。
「落ち着いてるよ。呆れてるだけだ」
「落ち着いてねーよ。なあ、サク、これ外せよ。ちゃんと話そうぜ」
「話そうって何を?」
 サクは思わず唇を歪ませて笑った。レンを睨みつけながら。
 しかしサクのいつにない言葉数の多さに、暢気に構えている場合ではないと察したレンも引き下がらなかった。
「いいから外せって。こんなんでマトモに話せるわけねぇだろ」
「話す気なんかない」
「サク」
「うるさいな。誰だっていいんだろ!」
 サクはレンの言葉を切り捨てるように言った。レンの座る椅子に、その両脚の間に割り込ませるように片膝をつく。
 そのまま無言でサクがレンの唇に唇を覆いかぶせると、レンが目を丸くした。
「んッ……」
 その唇にぬるりとサクの舌が這って、レンが咄嗟に熱いものに触れたように目許をしかめ、それから瞑った。その唇を、サクの柔らかな唇が何度もたどり、ちろちろと赤い舌の先で、その形をなぞる。サクの白い指先がレンの首筋からうなじに、くすぐる程度にすっと動いた。

「う、……っちょ、いきなり何っ……」
 まるで言葉を封じようとするようなキスに、レンはさすがに戸惑って顔を逸らした。だがサクはレンの両頬に掌を添え、ぐいと引き戻すと、再び強引に唇を重ねた。
 サクはレンの唇を舌で割って、歯列と歯茎を、口内の粘膜を、丹念になぞり上げる。たったそれだけのことでレンの身体が震えて、ゾクリと背筋を強烈な劣情を秘めた痺れが駆け上がった。
 その感触が他の誰とふれているときにも存在しない、サクだけがそれをもたらすことを、レンは知っていた。
 レンが思わず圧倒されたように、少しばかり身を後ろに反らせた。サクが口付けたまま、その首の後ろに手を回す。柔らかな指でそのうなじを撫でながら、引き寄せる。
「んっ……ん」
 ぺちゃりと絡まる舌が音を立てた。サクの舌がまるで別の生き物のように淫らに動き、レンの舌を弄ぶ。ぺちゃぺちゃとわざとのように湿った音を立ててレンの舌をこねまわし、吸い上げては、また丹念に転がす。
 ぞくぞくとレンの全身を這うものがあり、たちまち頭が、吐息が、灼熱するように熱くなった。これほどたやすく自分の身体を熱くするキスを、レンは他に知らない。
 存分にレンの唇を堪能したサクが、ようやく顔を離した。
 レンの座る椅子に片膝を乗せたまま、サクがレンの広い両肩に腕を乗せる。その黒い瞳が、レンのすでに熱を帯び始めた顔を覗き込んだ。
 情欲に暗く滾り、燃えるような黒い瞳が、妖しく強く耀いている。その強烈な眼差しだけでレンは達しそうになるほど、心も身体もすべて持っていかれそうになるほど魅せられてしまう。いつもいつも、そうだ。
 圧倒されたように口を開けないレンに、じっと見つめながら、サクが深く長いキスの名残りに濡れる唇を開いた。
「誰でもいいんだろ。俺に反応なんかするなよ?」
 うっ、とレンが声を詰まらせる。
「え、いや、無理……」
 あまりにあっさり言われて、サクが鼻白んだ顔をした。
「ふうん。我慢できないんだ」
「だって、こんなん無理だろ……」
 キスだけで、もうこれほど身体が熱いのに。
「そりゃ誰でもいいなら、俺だろうが俺じゃなかろうが、気持ちよけりゃ何だっていいってことだよな」
 サクの棘のある声に、レンが初めてむっとした顔をした。
「なんだよそれ。さっきから頭ごなしにさ」
「なんだよって。おまえが言うか?」
「俺はちゃんと話そうって言ってんじゃねーか。それを」
 言いかけたところで、また強引にサクの唇に口をふさがれた。
「んッ……」
 キスされてる場合じゃないと思うのだが、椅子に拘束され逃げ場がないレンには、それを拒む余地がない。本気になればサクを突き放し逃げることくらい容易にできたが、そんなことができるわけもなかった。
 サクは唇を、レンの耳朶に移動させた。逃げられないようにレンの頬に手を添えて固定し、その耳朶から耳の縁を、耳の裏を、穴を、湿った舌でねっとりとなぞる。なぞりながら、わざとのように熱い吐息を吹きかける。
「うっ……ぁ、さ、サク、やめろッてばっ」
 足の先から、指の先から、身体の芯を駆け上がってくるぞくぞくとした感触に、レンの身体が緊張した。
 心拍数が急速に高まっている。駄目だと思うのに、サクのもたらすあまりに圧倒的な熱に押し流されてしまう。サクの膝が無造作にふれている股間が、すでに熱かった。
 サクはそのままレンの首筋に舌をなぞらせ、シャツの下に手をもぐりこませた。その広い胸板を掌が撫で回し、指の先が腹筋や脇腹をつうっとなぞる。その間も、唇と舌による首筋と鎖骨まわりへの湿った口付けと愛撫は止まない。
「あ、え、いや、ちょっと、無理。無理無理っ。ごめん。ごめんて! ちょっ……う、あっ」
 抗い切れるわけもなく、あっさりとレンが白旗を揚げる。だがサクは、その尖った目つきを変えなかった。
「うるさい」
「ちょっと、かんべんして……」
「感じたら、おまえなんか捨ててやる」
 身を苛む熱さのあまり、すでにうっすらと汗ばんで息が上がり始めているレンを、サクの黒い瞳が睨みつけた。それをレンは、信じられないように見返した。
「おまえ、無茶いうなよ」
「無茶なんだ?」
 熱を帯びた瞳に反して冷たくサクが言い、その身体がすっと自分から離れようとする気配を察して、レンは慌てて言った。
「ちょ、いや、無茶じゃないって! 無理じゃないっ。って、俺なにいってんだ。ああもうっ。サク!」
「何」
「悪かったって。謝るから、勘弁してくれよ。どうすりゃいいんだよ、こんなの」
「感じるなよ」
 サクが瞳を細めて、薄く冷たく笑った。レンはもう途方に暮れてしまう。
「そんなん……できっこないって分かってて、なんで言うんだよ」
「できないんだ」
 ぐっと声を呑んで、レンは唇を噛む。今さらようやく、自分がどれほどサクを怒らせてしまったのか自覚した。
 その様子に、サクが行為を再開した。
「うっ、あ……」
 レンの耳朶から首筋の弱いところを、脇腹を、集中的にサクの熱い唇と舌と指先が這い回る。背筋を腰の付け根からうなじまで撫で上げられ、レンはビクリと仰け反った。
 その喉仏にサクが唇を吸い付かせ、ちろちろと舐めまわして、ちゅうっと吸い上げる。シャツの下にもぐりこんだサクの指先が、レンの痛いほど尖った乳首をコリコリと転がし、指の腹でそっと揉んで、ふれるかふれないか程度に撫で回す。
「う、う、あっ。……くぅっ……」
 レンは奥歯を噛み、全身を硬くして、それらの刺激に声を上げないように耐えた。どうすればサクが怒りを静めてくれるのか分からない。感じるな、なんて、土台無理な話だ。
 だがサクは、明らかにレンを追い詰めていたぶる目的で、ぞくぞくするほど甘く優しくねっとりとした愛撫を仕掛けてくる。
「うあッ!」
 股間にぐいといきなりサクの膝が押し付けられてきて、その強い刺激が不意打ちすぎて、レンは腰と声を跳ね上げてしまった。サクの膝がさらにレンのそこを嬲るように、ゆっくりと動く。そこにあるものは、ジーンズ越しにでもはっきりと分かるほど、完全に勃ち上がっていた。
「くッ……あ、あ、やめッ……」
 どうしようもなく湧き上がり駆け上がってくる疼きと快感に、レンは悲鳴を上げた。こんな無造作なやり方で刺激されているにも関らず、気持ちがよすぎて背筋が仰け反る。股間を中心に、全身が燃え上がる。
「あ、あッ……く……はあ、はぁ……ッ!」
 耐えなければ、という意識を振り切りそうになる。レンは必死で拘束された手を握り締めて、全身に力を込めた。
「苦しそうだね」
 もう目も開けていられないレンの顔を、サクがいったん膝の動きを止めて、楽しそうに覗き込んだ。
 かといって股間の疼きがおさまるわけもなく、レンはぐっと息を詰めて、早い呼吸に喉を喘がせた。
「サ、サク……もう……」
「もう、何? 直接触ってもないよ?」
 くすくすと笑う声がする。サクは汗の滲んだレンの頬を、白い指先でつうっとなぞった。
「ほんっとおまえって、これしか頭にないよね。淫乱なんてもんじゃない。俺なんか可愛いもんだよ」
 その小馬鹿にしたような言い方に、初めてレンが青い目を見開いた。きつい目で、間近にあるサクの顔を睨み上げる。
「おまえこそ、いい加減にしろよッ……ぅあッ!」
 また股間にぐいと膝を押しつけられ、仰け反ったレンに、サクは冷たく言った。
「何が。どうせ誰が相手でも、おまえなんか簡単にこうなるんだろ?」
「くそっ……こんなん、おまえ以外にッ……なるわけ、ねえだろッ……くッ……」
 ひきつりながら声を絞り出すレンに、サクがぴたりと動きを止めた。
「……そうなんだ」
「あたりまえ、だろ……俺を、なんだと……ッ」
「ただの淫乱馬鹿としか思ってない」
「ひっ……でえ…………」
「自業自得だろ。腰浮かせろ」
 サクがレンの腰のベルトを外し、ジーンズを脱がそうとした。乱れ切った息がおさまらないレンが、それに怯んだ。
「まじで、もう勘弁してくれよ……」
「うるさい」
 構わずサクがその腰からジーンズを引き下ろした。乱暴にされたせいで、脱がされるときにジーンズに引っかかったペニスが大きく振れ、その先端から粘つく体液を散らせた。
「う、あッ!」
 刺激が強すぎて、レンの腰が跳ねた。サクがその様子を、先程までとは異なるうっとりした眼差しで見下ろしていることに、レンは既に気がつける余裕がなかった。
 サクがレンの両脚を押し広げ、その間に膝をついて、股間に顔を埋めた。その唇と舌が滾りきった先端にチロリとふれてきたとき、レンは全身を震わせた。
「や、やめッ……あ、ぁ、く……ッ」
 その声を無視して、サクが本格的にその熱く膨れ上がった陰茎に舌と唇を使い始めた。しっとりと吸い付くような指で押し包み、上下に扱きながら、レンの特に弱い部分を湿った舌と唇で絶え間なく刺激していく。犬のように舌を這わせてぺちゃぺちゃと舐め回しては、唇を押し付けて、ちゅっちゅと小刻みに吸い上げ、強く締め付ける。
「あ、あッ! ひ……ッ!!」
 ビクビクと何度もレンの腰が震えた。必死で堪えて堪えて、頭がくらくらして、心臓が壊れるほど胸の中で暴れまわっている。もう達したい。許してほしい。いつまでこれが続くのか。いつまで耐えればサクの気はすむのだろうか?
 快感も度がすぎて、気持ちが良いのか苦しいのか、すでに分からない。そのどちらもが同じくらいの強さで、股間から全身に燃え上がって支配する。もう目も開けていられず、途切れ途切れに喘ぐ顎は仰け反ったままだった。
 そんなレンに、やがてサクが顔を上げた。長いことそのペニスを口に含み愛撫し続けていたせいで、サクの呼吸もいささか乱れ、浮いた汗で黒髪が額や頬に張り付いていた。
 サクが自らの腰からベルトを外し、下半身の衣服をするりと脱ぎ捨てた。
「レン」
 囁くように名を呼んで、椅子にがっくりと仰け反っているレンの上に乗る。サク自身もとっくに勃起しきっており、その尖端からはぬるついた先走りがてらてらと滴っていた。
 そのぬめりを、サクは自らの白く細い指で後ろになじませる。そうしながら、ほとんど前後不覚になりかけているレンに軽いキスを繰り返す。
 やがてレンの昂ぶり切った熱いものを後ろに押し当て、サクはゆっくりと腰を沈めた。挿入の瞬間、白い喉が仰け反って、この上なく切なく甘い吐息を洩らした。
「ふぁ……っあ、ぁ」
「う、ぐ……ッぅあ、あ……ッ!」
 ぐちぐちとサクの肉の奥に飲み込まれていく灼熱に、レンが全身を強張らせた。サクはできるだけゆっくりと、必要以上の刺激を与えないように、レンの上に腰を沈めてゆく。その喉からは快楽に震える細い声がこぼれ、じきに簡単にその根元までレンを飲み込んだ。
 サクはそこで一息つくと、少し震えながらレンを抱き締めた。互いの身体がひどく熱くて、重なる鼓動がどちらのものかも分からないほど強く響いていた。
「……レン」
 レンの頭を抱き寄せ、呼吸の乱れ切った耳元に、サクは囁きかけた。
「言えよ。俺しかいないって」
 荒い呼吸を繰り返すばかりのレンからは、何も言葉が返らない。返したくても返せないのかもしれない。
 その耳元に、もう一度サクは囁いた。
「言って。レン」
 汗まみれの顔を、ようやくレンが持ち上げる。その青い瞳が黒い瞳をとらえ、狂熱さえ帯びた劣情に燃え上がっていた。
 どちらからともなく唇が重なった。腰は動かさないまま、貪るように噛み付くように舌をからませる。
「……いねえよ。おまえしか」
 やっと唇が離れると、至近からレンが囁いた。かすれ切った声で、しかしはっきりと。
「いるわけない。……おまえしかいない」
「うん」
 サクが汗の浮いた白い顔で、うっとりと微笑んだ。レンの頭をまた抱き寄せ、ゆっくりと腰を動かし始める。
 互いにこれ以上になく深く繋がりあった箇所は燃えるように熱く、互いにからみつき蠢いて、どちらもの身体が駆け上がる快楽に震えた。レンの唇と舌が、自らを引き寄せているサクの首筋から鎖骨を、強烈な快感に耐えながら、抱き締める腕のかわりにしきりに愛撫した
「うっぁ……れ、レン……ぁ、あッ……もッ……もう、……」
 すぐに達してしまいそうで、できるだけゆるく腰を動かしていたサクだが、もうすぐに堪えられなくなった。その下腹の中で、レンのペニスももう堪える限界だろう、はち切れんばかりに熱く太くなっていた。
「あッ……あ、あッ、……ああぁっ!」
 サクが全身をビクビクと震わせ、突かれたように背をしならせて、強烈にレンのペニスを締め上げた。二人はほぼ同時に達していた。震えのおさまらないサクの身体からやがて力が失せ、レンの身体に抱き締めるようにのしかかった。
「ッは……はッ……はぁ………」
 どちらのものかも分からない乱れた息遣いが、しばらくおさまらなかった。ぐったりとレンに身を預けていたサクが、ようやく身じろぎし、顔を上げた。
「……マジきっつ……」
 ぜえぜえと息をしながら、レンがぐったりと、まだ目も開けられずに呻いた。
 その様子を間近に見ながら、サクが黒い瞳を悪戯っぽく光らせた。
「いい薬になったろ?」
「なりすぎ……」
 ようやくレンが目を開き、汗に濡れた顔をサクに向ける。その額に、サクはやわらかくキスをした。
「おまえみたいな馬鹿には、これくらいがちょうどいい」
 むう、とレンが子供のように頬を膨らませた。
「なぁ。これ、外してくれよ」
 レンが手首の拘束をがちゃりといわせた。限界まで耐えて身を硬くし、震えていたせいで、拘束の内側にふれている手首の肌が傷ついていた。
「これじゃ抱き締めらんない。すっげえ抱き締めたいのに……」
 心底不満そうにぼやくレンに、サクはその上に乗ったまま、クスリと笑った。
「後で手当てしてやるから、もうちょっとそうしてな。俺を怒らせた罰だよ」
 そしてその額に、もう一度軽くキスをした。


 その日の夜は、昼間のお返しのように、レンはサクを思い切りよがらせ、啜り泣かせた。白い裸身を汗まみれにして何度も弓なりに身体をしならせるサクを、レンは飽きずに刺激し、責め立てて抱き締めた。
 何度目かの絶頂のあと、息も絶え絶えにうつ伏せにシーツに埋もれているサクに、レンはその耳元に唇を寄せて囁きかけた。
「なあサク。おまえも言ってくれよ」
「……何、を」
 顔を起こすこともできず、まだ呼吸を整えることもできないサクが、ぐったりしたまま瞳だけを開いて返す。その瞼と頬に何度もキスしながら、レンは引き寄せて抱き締めた。
「俺しかいないってさ。不公平じゃん、俺ばっか」
「……言えるか、馬鹿」
「なんでだよ。聞きたい」
「馬鹿」
 つんとそらしたサクの頬が、今までの激しい情事のせいではなく赤らんでいることに、レンは目ざとく気付く。さらにその身体をぎゅっと抱き締めて、赤くなっている頬に口づけた。
「んー。……まあいっか。そのうちぜってー言わせる」
「馬鹿っ」
 サクが身じろぎし、レンの腕を緩めさせる。それからじっと何か考え込むように黙っていたが、横たわったまま、やがてその黒い瞳を持ち上げた。
 そっとその甘い唇が、レンの唇に口づけた。そしてレンに抱きついて、ごくごく弱く、ほとんど聞こえないほどの声で囁いた。
「……おまえがいい……」
 それを聞いたレンが、青い目を大きくぱちぱち瞬かせる。サクの顔を見ようとしたが、伏せられていて見えず、そのかわりその黒髪に隠れた耳朶が真っ赤になっているのが見えた。
 大きく顔を綻ばせて、レンはサクを抱き締めた。
「うん。嬉しい。すっげー嬉しい。俺もおまえがいい」
「……次に誰か連れ込んだら、今度こそ出て行くからな」
「外でならいいの?」
 きょとんと問い返されて、サクがガバッと跳ね起きた。手加減なしに、拳でレンの頭を殴りつけた。
「ッて!」
「もげろ馬鹿っ!!」
 怒鳴り付け、ベッドを降りようとした身体が、しかし激しい行為のあとのせいでふらりとよろけ、そこをすかさずレンが後ろから抱き締めた。こらえきれないように笑いながら。
「いや。ごめん。マジで嘘。冗談だって」
「言っていい冗談と悪い冗談があるんだよっ! 馬鹿ッ!!」
 真っ赤になって怒鳴るサクに、レンが首をすくめ、少しだけ苦笑に近い顔をした。それからあらためてサクの白い身体を抱き締めて、その頬にキスをした。
「おまえしか見えてねーって。おまえに勝てる奴なんかいるわけないだろ」
「……次にまた馬鹿なこと言ったら、ねじり切るからな」
「……マジでおまえやりそうだな……」
「当たり前だ」
 背後のレンを振り返り、サクがその唇に、かすめるようなキスをした。不意打ちのようなそれに目を丸くするレンに、斜に笑みを向ける。
「まぁ、おまえが俺から離れられないのなんか分かってるけどね」
「すっげー自信」
「違うとでも?」
「違わねーけどさ」
 レンは少しだけ小憎らしくなり、腕の中にいる、この上もなく淫らで魅力的な小悪魔のような笑みを向けてくる白い姿にキスをして、もう一度ベッドに押し倒した。その艶かしく白い喉を仰け反らせてやるために。
 そして互いに疲れ切ってもう動けなくなるまで抱き合い、抱き締めあって眠りに落ちた。互いの手を離さないまま、深く深く。


(了)

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