幕間 ─ よみがえり ─

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「…………っ!、あっ……!」
 自分の胸元を掻きむしるようにしながら、夜光は跳ね起きていた。
 地獄の炎に炙られているように、全身が熱い。肌がじくじくと焼け爛れてゆくような、恐ろしい熱さと苦痛に、悲鳴を上げたくても上げられない。
 その様子に気が付いたのは、少し離れた壁際に凭れてうつらうつらしていた葵だった。あたりは夜の帳に包まれて暗い。小さな紙燭がちらちらと頼りない灯火で照らす中、はっと顔を上げ、瞬くうちに顔色を変えた。
「夜光!」
 すぐさま駆け寄った葵に、夜光はかろうじで眼を上げる。苦痛のあまり震える身体を自分で抱え込むようにして、なんとか必死に、今にも唇からまろび出そうになる苦鳴をこらえた。
「しっかりしろ。俺が分かるか、夜光」
「葵……」
 夜光はうずくまったまま、細かく浅く息をする。夜光のただならぬ様子に、葵は肩にふれるだけで、強く揺すろうとはしない。余計な刺激を与えて、さらに夜光を苦しめることになってはいけないと、咄嗟に判断したようだ。
 のたうち回りそうになるのをこらえるために、必死に身体を抱え込むことをやめられない夜光には、それがありがたかった。肩にふれる葵の掌の感触が、ともすると薄れそうになる夜光の正気を繋ぎ止める。
 肩に置かれた葵の掌と気配を感じながら、夜光は必死に呼吸をととのえた。身体を蝕む恐ろしいような苦痛はおさまらないが、そうするうちに、なんとか少しずつ、手足を動かせるようになってくる。手元にふれた寝床の布を力任せに握り絞め、奥歯を噛み締めながら、夜光は少しずつ上体を起こした。
「夜光、無理に動くな。────」
 言いかけた葵が、息を呑んだ。その眼が、寝床について震えながら自身を支えている、夜光の細く白い腕に縫い止められる。
「……鱗……?」
 そこに浮き上がったものを見て、葵は信じがたいように呟いた。それは、夜光自身の眼にも入っていた。
 肌色の白さゆえに一層際立つ、漆黒にぬらぬらと光る鱗が、夜光の素肌に浮いていた。夜光はなんとか起き上がりながら、自分の身体に眼を向ける。
 左右の腕のみならず、着物の裾からのぞいている素足にも、まるでその白さを蝕み犯すように、鱗は広がっていた。無事な肌のほうがまだ多いが、それだけに、得体の知れない真っ黒な鱗はおぞましく見える。見ているそばからじくじくと、蚯蚓が這うような例えようもない不快感と苦痛とともに、鱗が白い肌を浸食して広がってゆく。それはまるで、禍々しい黒蛇が夜光の身に絡みつき、這い上がってゆくようだった。
「なんだ、これは……」
 見たことも無い現象に、葵が呻いた。そうこうするうちに、次第に夜光の身体から、地獄の底で焼かれているような耐え難い苦痛がひいてゆく。だがその残滓は悪夢が絡みつくように残り、やっとまともに息をつけるようになってきても、まだ身体が震えていた。
 見ると、黒い鱗の浸食は止まっていた。だが、ひどい有り様だ。指先がまだ無事であるのは救いかもしれないが、手の甲にもそれは広がっている。手触りで、鎖骨や首のまわり、それから左の頬にまでも、不気味な鱗が浮き上がっているのが分かった。
 ふらついたのを、葵が支えてくれる。その体温と感触に、夜光はいっとき身をあずけ、ほうと息を吐いた。
「葵……こうしては、いられません」
 かすれた声で、やっと夜光は言った。無意識に、自分の着物の胸元を、ぎゅうっと握り絞めていた。
「私が見ていた夢は、母の……母のかつての記憶なのだと、思っていました。でも、違う」
「夢?」
 突然の夜光の言葉に、葵が繰り返す。それはそうだろう。夜光はずっと眠ったままで、長い長い夢をみていた。その間葵はずっと、眠り続ける夜光を見守ることしかできず、何一つも情報を得ることが出来ていない。
 夜光は大きく息を吸い込み、なんとか続けて声を出した。
「私がみていたのは、蛇神の記憶だったのです。かつてあの地で起きたことを、つぶさに見続けていた蛇神の記憶。母の記憶などでは、ない」
 そうだ。母の──小夜香の記憶であるのならば、小夜香が知るはずの無い光景まで、夜光が夢に見るわけがないのだ。しかし夜光は、小夜香がその場にいない風景までも夢に見ていた。母が見ていないはずの光景や遣り取りを、夢の中で見聞きしていた。
「……私が共鳴していたのは、母ではなく、蛇神のほうだったのです。だから、この鱗が浮いてきた。蛇神は私をみつけて、かつて母に対してそうしたように、私を贄としようとしている。私が、母の……子どもだから」
 夢の中でずっと追っていた、長い黒髪の生き生きとした少女の面影が甦った。黒曜石のようにきららかな瞳に太陽を宿すような、眩しく美しい娘。あのひとが自分の母親なのだと、誰に教えられなくても分かる。そしてその母の血を引くからこそ、自分がこの地に呼ばれたのだということも。
「蛇神……?」
 葵は呟くように言った。その表情は混乱しかかってはいるが、夜光のつたない言葉から、なんとか事態を飲み込もうとしている。
 夜光は葵を見上げ、その手を強くつかんでいた。
「このままでは、蛇神がまた・・蘇ります。それだけはさせてはいけない。葵、私と一緒に、どうか蛇神を止めてください……!」

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