孵化 -中-

 瞳が開かれると、少年の印象がまた大きく変わった。
 くっきりと二重で、綺麗に反った睫毛に縁取られた、とろりとした色香を帯びる大きな瞳。未完成で危うげな、そこが妙に情動を煽るような潤いが、印象深いローズクォーツの瞳には宿っていた。
 少年は初め、自分の髪を撫でている相手が誰だか分からなかったようだった。澄んだ瞳が眠そうに何度かまばたき、桜色の綺麗な爪のついた指が持ち上げられて、しどけない様子で目許をこする。
 その仕種のひとつひとつが、幼くあどけないにも関わらず、何か無性にとろんとした艶を含んでいる。少年の瞳が、そのうちはたと、何か天啓でも下ったように見開かれた。
「あー」
 剥き出しの腕をついて、露わな身体を隠そうともせず、少年がわたわたと起き上がる。そして傍らに腰を下ろしているアルドの顔をじいっと見上げると、心なしか頬を紅潮させ、可愛らしい顔いっぱいに砂糖菓子のように甘い笑みを花開かせた。
「おかえりなさい」
 少年というには少し高めの、まるで小鳥が囀っているような印象の細い声だった。高めだが煩わしくない、少々舌足らずで耳朶に柔らかく馴染むボーイソプラノ。
「今帰った。おまえは随分成長が早いな」
 アルドの素直に感心した言葉に、曲げた膝をぺたりと広げた子供っぽい座り方で、少年は首を傾げた。
「そうなのかな? よくわかんない」
 透けるような光を含む淡い薔薇色の髪は、細い首筋にかかる程度の長さ。ローズクォーツの瞳の宿す、ふいに惹き込まれてしまいそうなほどの色香と合わさると、飾り気のない髪の流れや陰影にすら妖艶さが香るようだ。
 その、少年自身は決して意識してのものではないような、しかし油断していたら一瞬で惑わされているのではというほどの天然の媚態に、アルドはふと察するものがあった。
「​​​──そうか」
 それを確かめるために、アルドは再び少年に手を伸ばす。
 小動物をかまうように頬にふれて撫でてきたアルドの大きな掌に、少年が嬉しそうに頬ずりした。少年の尾てい骨の先から伸びた、黒く毛のないつるりとした尻尾が、上機嫌なように、ぱたりぱたりとシーツを軽く叩いた。
 すりすりとアルドの掌の感触を頬で確かめるようにしていた少年は、そのうち桃色の小さな舌を出して、やはり確かめるように、ぺろりとアルドの掌を嘗めた。
「ん」とローズクォーツの瞳が細まり、少年はさらにぺろぺろと、仔猫のようにアルドの掌を嘗め始める。その瞳は次第にうっとりと陶酔してゆき、アルドが手を引っ込めないでいると、掌から指へと舌を移動させていった。
 少年の舌は柔らかく、極上のシルクよりも心地良く、アルドよりも体温が高いのだろう、仄かに熱い。まるで甘いキャンディでも嘗めるように、小さな舌がぺろぺろとしきりに動いて、アルドの長い指にまとわりつく。一本ずつ丹念に、根元から指先へと舌が伝い、指と指の間をくすぐる。
 ふっくらとした唇がアルドの指に押し付けられて甘噛みし、そのうち当たり前のように、その指を小さな口の中に含んだ。
「ん……」
 ちゅぱちゅぱと赤子が夢中で吸うような音を立てながら、少年は美味しそうに指を嘗め続けている。そのうちにすっかり唇が濡れ、その瞳にはどこを見ているとも知れない夢見心地の色が浮かんでいた。一糸纏わぬミルク色の肌色の姿は、穢れない天使のように純真であどけないにも関わらず、そうであるほどに、アルドの指を咥えてうっとりと嘗め続ける姿は倒錯的だった。
「こら。そろそろおしまいにしておけ」
「あん」
 放っておいたらそれこそ延々と嘗めていそうなので、アルドは頃合を見て少年の唇から指を引き抜いた。おあずけを食ったように不満げに眉根を寄せる、少年の眉間のしわが可愛らしかった。
 アルドは少年の唾液に濡れた指で、そのまま少年の顎を持ち上げた。
「おまえ、淫魔か」
 初めて聞いた言葉であるように、少年はきょとんとしていた。だがそのあたりは本能が理解しているのだろう、少し考え込むようにしたあと、「うん」と少年は頷いた。
「どうやら吸血鬼の血も入っているようだな。成程。それで成長が早かったんだな」
「そうなの?」
「吸血鬼は魔力は高いが、群れを成すことがないから防衛本能が強い。そのせいで成長速度も著しく早いと聞いたことがある」
 アルドが説明しながら自分でも納得していると、少年は相変わらずよく分からないというように、つぶらな瞳をぱちくりさせていた。
 神や魔には、両親を持たずあたりに満ちる「気」が凝って繭や卵を成し生まれ落ちる者と、アルドのように生殖能力を持つ両親から生まれてくる者がいる。伝わってくる魔力の波動や存在核の感触からして、この少年も後者の系統らしかった。
 アルドに無遠慮に顎を持ち上げられたり首を曲げられたり、無防備に晒された裸体をしげしげと眺め下ろされても、少年は別段嫌がる素振りも見せない。むしろすっかりアルドになついているのか、アルドがそこにいて構ってもらえることが嬉しいというように、時折鈴を振るような笑い声さえ立てた。
 その無邪気で無防備な、それでいて危うい媚態に満ちた様子に、アルドは赤紫の瞳をうっすらと細めた。ごく軽く、形の良いその唇が笑む。
「こんな子供の淫魔を伽にしたことはなかったが……しかしここまで生まれたてほやほやだと、それはそれで面白いかもしれんな」
「ほやほや? 僕、おもしろいの?」
 少年は不思議そうに、けれど相変わらず楽しそうに、アルドの言葉を繰り返した。
「おまえを好きに仕込んでみるのも悪くないかもしれん。単に巧いだけの相手なら、他所にいけばいくらでも居るからな」
 その無垢で愛らしい唇に、アルドもまた楽しげに言いながら唇を重ねた。

 アルドから具合や感触を伺うために重ねられた唇に、少年はいっそう微笑して、打てば響くようにすぐに応えてきた。
 淫魔という生き物は、他者と交わり精気を取り入れ糧とすることで生きてゆく。精気ばかりでなく、直接的な体液を採り入れることでも勿論良い。それ故に生存本能に結びつく行為に対し、生まれ落ちたばかりの身でありながら、少年は迷いもなく極めて積極的だった。
「ん、ん」
 すぐに少年の方から、アルドの首に腕をまわしてきた。抱きつきながら、生まれたての純潔と無垢さの香る、それが背徳的にすら感じられる白いミルク色の身体を押し付けてくる。アルドよりずっと小柄な少年がひたむきに身を摺り寄せてくる様子は、まるで甘えているようでも媚びているようでも、そして誘うようでもあった。
 本能でそれを知っているように、少年はアルドの唇にふっくらとした唇を押し付ける。その繊細な場所で血の通う感触を確かめるように、少年は何度も唇を合わせてから、ピンク色の舌を這い出させた。ぷるりとした唇でアルドの綺麗な形の唇をついばみながら、舌を遊ばせる。
 可愛いものだな、思いながらアルドが少年の小さな頭に片手を添え、唇を軽く開いて促すようにしてやると、少年は躊躇わずに舌をそこから挿し入れてきた。
「ん……ふ」
 少年の口は小さく、けれどその舌と唇は懸命なように動いて、アルドの唇と口腔をまさぐった。アルドの方から舌をからめてやると、すぐさまそれに熱く甘い舌が応えてくる。アルドが薄く目を開けてみると、既に少年はうっとりと目を閉じて、ひたすらアルドにふれることだけに集中していた。
 その懸命さが、なかなか愛らしい。アルドはあえてそれ以上は自分からは何もせず、少年のやりたいように任せた。少年はもっと深く近くと求めるように、何一つ覆われていない真っ裸の身体をアルドの宵闇の衣に押し付けた。
 少年の舌が味わうように飽きることなくアルドの舌に絡み、ぴちゃぴちゃと音を立てて混ざり合う唾液が、ほんのりと甘かった。
 淫魔の体液は、それ自体が催淫効果を持っているという。それに少しは浸されたのか、少年の脇目もふらない口付けと、合い間に零れるとろけるような息遣いに刺激されたのか。アルドの身体にも、いつしか心地良い漣が多少なりとも生じていた。
 少年はすっかり深い口付けに熱中してしまっていて、放っておいたら指を嘗めていたときのように、いつまでもこうしていそうだった。それは可愛くはあるのだが、アルドとしてはそれでは少々困った。
「……こら。いい加減にしておきなさい」
 仕方ない、とアルドは少年の細い肩を掴んで押した。あっけないほど羽毛のように軽々と、少年の身体は離れた。
「ぁふ」
 少年の顔は、極上の酒を呑んだようにほわりと紅潮し、目付きもすっかりとろけていた。
「おいしい」
 溜め息混じりに呟いた少年は、ピンク色の舌でぺろりと自らの濡れた唇を嘗める。その酔ったような顔つきは、あどけないようでありながら、アルドですら軽くぞくりとするほどの色香を帯びていた。
「もっとほしい。僕、おなかすいた」
 言葉ではそんな子供のようなことを言いながら、しかしアルドに凭れかかるように抱きついてきた少年の眼差しは、既に淫魔として完全に覚醒しているように妖しく耀いていた。
「ねぇ、ほしいの。ちょうだい? 僕おなかすいたの」
 眺めているばかりで動かないアルドに、少年は焦れたようにますます身を摺り寄せて、人形のように可愛らしく整った​​​──けれど今はひどく蠱惑的に潤んで見える​​​──顔を近づけた。少年の方から再び唇を重ねようとしたとき、アルドは整った唇をにやりと笑ませた。
「それは、聞けないな」
 あっさりとアルドが言うと同時に、少年の身体が、ふわりとアルドから引き離された。

 生まれたままの姿の少年の身体は、ぱふんとあっけなく、広々とした柔らかな寝台の上に仰向けにひっくり返った。
「あれ?」
 少年がローズクォーツの瞳をぱちりと瞬いて、仰向けのまま不思議そうにもぞもぞ動いた。
 少年を後ろに引き倒したのは、背後から音もなく忍び寄ってその腕に絡みついた金色の組紐だった。先端に美しいタッセルのついたそれは、先程まで寝台の天蓋から垂れる紗幕を緩く括っていたものだ。
「いやぁん。なにこれ、動けないようっ」
 後ろ手に腕を纏められ、そこに組紐が絡みついて仰向けのまま動けなくなった少年がもがいた。先端に鉤のついた黒い尻尾が、不満そうにぱしぱしとシーツを叩く。
 しかしどんなに少年がもがいても、アルドの魔力で操られた紐は緩まず、それどころか起き上がろうとした少年を、寝台に縫いとめるように仰向けに引き戻した。
「おまえにとっては、私の体液なんて最高のご馳走だろう? そんなものを、何の見返りもなくおいそれとくれてやるわけにはいかんな」
 無垢で貪欲で赤ん坊のように純粋な淫魔を見下ろしながら、アルドはくつくつと笑った。
 むー、と少年がまた眉間に可愛らしいしわを寄せ、不服そうに頬をふくらませた。
「それじゃ、どうしたら美味しいのくれるの?」
「そうだな。私の言うことをきちんと聞けたら、後でもう一度キスしてやろう。とりあえず、もう少しおまえにふれてみたい」
 むぅ、と少年は黙り込む。淫魔である少年にとって、キスで得られる唾液よりもよほど極上に甘美なものが他にあるだろうが、生まれたてのこの幼い淫魔はまだそれを知らない。そう簡単に欲しがるものを与えるよりも、焦らしながら少しずつ教えてゆく方が面白いだろう。
「……わかった。じゃあ、言うこと聞く」
 全裸で後ろ手に仰向けになった格好のまま、少年は頷いた。その腕の拘束は緩いが、しかしアルドの魔力に操られて絡みついた紐は、この淫魔の少年ごときがどんなに暴れても解けることはない。それを理解したのか、それともアルドを信頼したのか、少年はそれ以上はもがこうとしなかった。
「良い子だ」
 ふわりと柔らかな薔薇色の髪をアルドが撫でてやると、少年は小動物のように目を細めた。
 この間までいた小姓は、少々勝気ではねっかえりだった。それはそれで随分堪能したから、今度はこの少年のような素直な気質の者を愛でるのも悪い試みではない。
 むしろここまで無垢な存在はアルドにとっても新鮮で、生まれたての淫魔の少年の混じり気のない純真さを、物珍しく可愛らしく思った。
「安心するが良い。悪いようにはせん」
 優雅に崩した姿勢で少年の傍らに座ったアルドは、言い聞かせるように殊更優しく言ってやる。
 それから仰向けになった少年の無防備なミルク色の裸身に、長い腕を伸ばした。

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