蓮の章 第七のパンドラ(4)

 ある一室に着くと、黒服達は引き払っていった。
 大きなその部屋は、確かに個人的なオフィスルームといえなくもない様子ではあった。だがそれにしては、絨毯は毛足が長すぎ、置かれている調度品もどれもこれも豪華で金がかかりすぎていた。
 エヴァンと名乗った男は、黙って立っているサクの前に来ると、冷ややかな眼差しで見下ろしながら口を開いた。
「分かっているとは思うが。一応挨拶しておこう。私の可愛い飼い猫に随分な真似をしてくれたものだな」
 流暢な日本語だったが、どこかイントネーションが普通と異なっていた。だがサクには、この男に対していかなる興味のかけらもわかなかった。
 得体の知れないこの男。自分がアリサに飼われていたように、アリサもまた誰かに飼われていた。その誰かとは、この男だったのだろう。ただそれだけのことだ。
 どうでもいい。どうせもう、ろくでもないことしか自分の身の上には起きはしない。何をされるのかすら興味がなかった。まともなことをされるわけがないのだから。どうせなら、さっさと殺してくれればいいとさえ思った。
 無言で目を逸らしたサクに、エヴァンは宝石のような翡翠色の瞳を細めた。
 いきなり前髪をつかまれた。後ろ手に手錠をかけられているせいで咄嗟にバランスが取れず、乱暴に引き寄せられる。無理やりに顔を上向けられる形になった。
「あれはかなりお気に入りだったのだよ。高慢で美しい猫だった。それをよくも、あんな可哀想な姿にしてくれたものだ。……まあ、君にも相応の礼をしようと思っていたのだが」
 エヴァンの長い指がサクの顎にかかり、まさかと思って目を見開いたところに唇が重なってきた。サクの全身が強張った。
「っ……はな、せっ!」
 思わずもがいて、強引に顔を背ける。あっさりと男の指が離れた。
 もがいた勢いで大きくよろめいたサクを、エヴァンが薄く笑いながら見下ろしていた。
「アリサから常々自慢話を聞いてはいたが。成程、君も随分と可愛い猫だな」
 身を走る怖気を伴う予感に、サクの身体が震えた。
 何をされるのも、どうでもいいと思っていた。だが実際にエヴァンの唇がふれてきた途端、自分でも驚くほどの悪寒と共に、嫌悪感が全身を走り抜けていた。
 サクの顔から血の気が引いて白さを増したのを見てか、エヴァンが楽しげにククッと喉を動かした。
 後ずさろうとしたところを、胸元を掴まれて引っ張られ、近くにあったやたらと大きく柔らかなソファに突き倒された。
 慌てて起き上がろうとしたが、いやに深く身体が沈んで、両腕の自由がきかないせいもあり、無様にばたばたともがくだけになる。
 その上にエヴァンがのしかかってきた。まともにかかってきた体重に、サクは顔をしかめた。
 獰猛な獣のような翡翠色の瞳が、面白そうにサクの顔を覗きこんだ。その指が再びサクの顎にかかり、持ち上げる。
「本当は殺すつもりだったんだがね。送り込んだ者達を返り討ちにしたのを見て、気が変わった。アリサの話を聞く限り、君はかなり頭も良いようだな」
 せめて精一杯睨みつけるサクの頬骨を掴んで強引に開かせ、エヴァンがさらに口付けてきた。
「うっ……う、ぐ……」
 無理やり重ねられた唇に、蚯蚓が這うような嫌悪感が駆け巡る。サクは必死でもがいたが、両腕は後ろに回されて身体の下敷きになり、その上大の男に体重をかけてのしかかられては、はねつけることなどできはしなかった。
 嫌悪感に引きつったサクに構うこともなく、口内に舌が差し込まれてきた。歯列をなぞって歯茎をくすぐり、それから舌をからめてくる。必死で逃れようと舌を動かすが、それすら長いエヴァンの舌はあっさりと捕らえて、いたぶるように音を立てて吸い上げた。サクの背が反り返り、全身がぞっとする悪感に震えた。
「……ッん、……う、ぅ」
 無駄だと分かっていながらも、もがかずにいられない。エヴァンにのしかかられていることが、唇をふさがれてその舌をねじ込まれていることが、吐き気がするほど嫌で嫌でたまらない。強く瞑った目尻に、涙が滲みそうになった。
 サクが引きつりながら嫌悪感をあらわにするのを、むしろエヴァンは愉しむように、長い時間をかけてその口内と舌をねぶりまわした。
 ようやく解放されたとき、サクはずっともがいていたせいで息が切れ、思わず力が抜けて背中のソファに完全に身を沈めた。その顎にまたエヴァンの指がかかり、吐息がかかるほどの間近から囁かれた。
「君を飼いたくなったよ、サク」
「……あんたもかよ……」
 声を上ずらせたサクに、エヴァンが瞳を細めて笑った。
「私はアリサとは違うぞ。君を飼い殺しにするつもりはない」
「同じだ」
 サクはエヴァンを、全身の力を込めるように睨みつけた。
 自分を一方的に支配しようとし、嬲りものにしようとする相手が、口ではなんと言おうとやっていることの本質が変わるとは思えなかった。噛み締める奥歯がぎりぎりと音を立て、腹の底から吹き上がってくる憤怒に視界がくらみそうになった。
 その様子を見て、ますますエヴァンが愉しそうな目の色をした。
「君が望むなら、私の側に置いてやろう。勿論相応の努力はしてもらうが。私は役立たずと愚か者は嫌いなのでな」
 エヴァンがサクの首筋に舌を這わせ、耳朶を甘噛みした。びくりとサクの身体が震えた。
「……ッ誰が、望むか」
「そうだな。そう簡単に跪くようでは、私も面白くない。気の強い猫の方が好みだよ」
 ぴちゃり、と湿った音を立てて、エヴァンの舌がサクのひきつる首筋を舐めまわす。ぞくぞくと嫌悪感が這い回る。
「うっ……や、やめろ」
 なんとかエヴァンをはねのけようとまたもがいたが、おかしそうにエヴァンを笑わせただけだった。必死で身をひねるところを押さえつけられて、首筋を舌と唇で愛撫される。
「やめろっ!……う、くそッ……!」
 無駄だと分かっていながら、サクは全身の力で抗った。不自然な体勢でいるところに全力で込められる力に息が切れ、肌が汗ばみ始める。
 以前なら、ここまで嫌悪感を感じることはなかったはずだ。何度でもアリサに望まぬ快楽を与えられ、全身を嬲られ、男達に無造作に投げ与えられて犯された。身体に与えられる無慈悲な悦楽を前に、嫌悪を感じる一線など、とっくに超えてしまったと思っていた。
 そうであるはずなのに、全身をひきつるような吐き気のする悪寒が駆け巡って止まらない。いったいなぜ。
 ​​​──レンの愛撫を知ってしまったからだ。
 電撃が走るように、頭がそれを理解した。
 それを理解し、思わず見張った目から、ふいに涙が滲み出した。
「う……ぁ、やめ……やめろ……っ」
  エヴァンの指と舌が、さらに首筋から鎖骨の上に伝う。サクの頬に涙が伝い落ちたのを見て、エヴァンがやや目を見開いた後、また笑った。こんな男に組み伏せられ、その前で泣くことが、無様で悔しくて仕方がなかった。
 エヴァンの手が、サクのボタンでとめられていたシャツの前をあっさりと引き裂いた。無防備に素肌が晒され、サクは喉をしゃくりあげながら顔を逸らした。こらえようとしても、嗚咽が洩れる。
 エヴァンの指先が乳首に触れ、ビクリと身体が震えた。サクの反応を窺うようにじっと見つめながら、エヴァンがその指をぞっとするほど優しく動かし始める。
「うっ……ぁ」
 そこから生じた素肌を這うざわめきに、明らかに嫌悪とは違う感覚が混ざっていることに、サクは自分で愕然とした。
 両方の乳首それぞれにエヴァンは指を這わせ、指の腹で優しくこすり上げる。少しずつ硬さを増してくる突起を、細かなバイブレーションを与えるように刺激し、転がす。サクの身体が、意図に反して震えた。
「う、……あ……や、やめッ……」
 自分の顔を凝視してくるエヴァンの視線を感じ、サクは必死で顔を背けた。だが、そんなことで隠し切れるわけもなかった。
 嫌で嫌で仕方がないのに、ぞくぞくと背筋を、身体の芯を這う感覚がある。一度反応し始めた途端、サクの意思を無視して、愛撫を受け続ける胸がひどく刺激に敏感になり、身体の奥が熱く疼き始めた。
 元々、異様なまでに感じやすい身体だった。エヴァンの指はそんなサクを見下ろしながら、ふっくらし始めた乳輪をなぞり、今やすっかり硬く凝っている乳首を転がし、つついて、さらにその反応を引き出してゆく。両の乳首に与えられるそのあまりに甘美な刺激に、サクは喉を仰け反らせた。
「うっ……く……う、はッ……あぁ……」
 呻く声が湿り気を帯び、サクの白い肌が朱を散らしたように次第に色を変える。自分の口からこぼれ落ちたその声が、明らかに快楽の気配を帯びていることを、サクは震えるほど嫌悪した。
 やめろと叫びたいのに、声が、身体がいうことをきかない。ならば絶対に声を上げるものかと、ぎりっと奥歯を噛み締めた。
「……ッ……っ……」
 ひきつりながらもサクが声を飲み込んでいることに、すぐにエヴァンは気付いた。その薄い唇がにっと笑んだ。激しく抵抗したのと堪えるあまり、いつしか全身に汗が浮いているサクの耳元に口を寄せ、囁く。
「それほど反応しているくせに堪えるつもりか? 可愛い猫だな。どこまで堪えられるか楽しみだ」
 完全に嬲りものにしているその声音に、サクは切れるほどに唇を噛んだ。汗なのか涙なのか分からない雫が、仰向けに横たわる目尻から耳元に伝って流れた。
 無駄だと分かっていても、エヴァンをはねのけようともがき、手首の拘束を外せないかと何度も力を込めた。背の下敷きになっているせいで、ただでさえ動かしにくい。手錠の縁が食い込んで手首に痛みが走ったが、それでも何度も手を引き抜こうと力を込めた。だが無駄だった。
 暴れたせいでいっそう息が切れて、うっかりした拍子に力が抜けそうになる。その隙を突くように、エヴァンの指がまた乳首を嬲り、胸板から臍周りを、脇腹をなぞる。
 何度も何度も息を飲み込み、声を飲み込んで、サクは上がりそうになる声を抑えた。いつまで堪えられるかなど分からなかった。上半身を触られただけでこれでは、いずれ崩れ落ちるのも時間の問題にも思えた。それでも、抗うことを止められなかった。
 エヴァンが無慈悲にサクの腰からベルトを引き抜き、下半身から衣服を引き下ろした。引き下ろされる拍子にその縁がペニスにかかって、ビクッとサクの腰が震えた。
 あらわになった股間は、完全に勃ち上がっていた。自分でそれを見てしまい、サクは涙の滲む目を瞑ってまた顔を背けた。
「泣き顔もそそるな……」
 エヴァンがその頬に手を沿えて上向かせ、すっかり呼吸の乱れているサクの唇を、つうっと舌先でなぞった。
 サクは強く奥歯を噛んだ。自分が何をどうしても、この男を愉しませる材料にしかならない。それが分かっていても、あからさまな快楽に震える姿をなんとかして押し殺したかった。
「ッ……!」
 そろりと股間に這わされた手に、サクは身を震わせて、あやうく洩れそうになった声を必死で抑えた。奥歯を噛み締めて堪え続けているせいで余計に全身が、頭が熱くなってくる。
 なんとか身を捩じらせて逃れようとするサクに、エヴァンがその脚を大きく開かせた。片脚をソファの背もたれの外に押しやり、片脚に体重をかけて固定する。
 あまりにあられのない己の姿に、サクの顔が、全身が羞恥に真っ赤に染まった。悔し涙がまたこぼれた。
 エヴァンはそんなサクの顔を横目に見ながら、指の長い繊細ですらある手を、その股間に遠慮なく這わせ始めた。
「ッ!!……ッ……っくッ……!」
 全身を強張らせて、サクはそのたまらない感覚に抗った。すっかり屹立したペニスを大きなエヴァンの掌が包み込み、サクの反応を逐一窺うように扱き出す。指先が昂ぶりの先端をなぞり、隠しようもなく次々にあふれてくる先走った汁をねちゃねちゃと塗りつけ、からませてゆく。
 それらの動きに、ビクビクとサクの身体が震え、噛み締める奥歯が次第に緩み始めた。
「っ……ぁ……ッ、く……ぅうっ……く、ぁ……ッ」
 だめだ、と必死で思い、思うたびに奥歯を噛み締め直すのだが、そうするたびに力が弱まってゆく。噛み締めようとする奥歯が震え、カチカチと音を立てた。
 全身に力を入れ続けているせいで、呼吸がひどく苦しい。だがそれ以上に、与えられる快楽を拒み続けることが、苦しい。
「っうぁ……あ、ッあ………ふぁ……」
 ついに喉の奥から、たまらなく熱く甘い吐息がこぼれた。一度堰を切った途端、全身が震え、信じられない熱さで股間から快楽が駆け上った。
「あっ!!……あっ、あっ!……はぁ、ッ……あぁっ!」
 サクの反応が特に鋭い箇所をエヴァンの指は的確に探り当て、その呼吸の乱れに合わせるように冷酷に刺激を続けた。サクの喉が仰け反り、背が弓なりに反り返った。長いこと堪えていたせいで、反動で襲ってきた熱い疼きと快楽は凄まじかった。
「う、うあ……や、……うああっ……あ、ッ……や、だ……!」
 意思を裏切って、身体が快楽に走り出す。もう止めようがなかった。喉から悲鳴のような声が、絶え絶えに上がった。
「あ、あ、やだ……やだぁ……やああっ……あ、うッ……!」
 こんなふうに感じることが、死ぬほど苦しかった。涙が次々にあふれて、喘ぎながらサクはしゃくり上げた。
 殺してくれと言いたかった。もういやだ、こんなふうに感じるのは。もうこれ以上、心と身体を蹂躙されるのは。
 どれほどレンが優しく抱き締めて愛してくれたのかが身に染みて分かり、こんな地獄のような快楽の中でそれを思うことに、サクはまたしゃくり上げた。
「あっ、あっ、あッ……あぁあ、あっ、や、やだッ……やだ、やだああああぁっ!」
 絶頂に向かって駆け上がってゆく身体に、サクは悲鳴を上げた。その身体が激しく反り返り、ビクビクと震えて、昂ぶり切ったペニスの先端から白い精液が吐き出された。
 達しながら、喉をひきつらせてサクは泣いた。もうエヴァンの目を気にすることもできなかった。
 ぐったりし、ぜえぜえと全身で息をしているサクに、エヴァンがその冷めていた双眸の奥に欲望の炎をちらつかせた。ぺろりと自らの舌を舐めて、力の入らないサクの身体を手前に引き、下半身をソファから落とす。
 身体を裏返されて上半身をソファに押し付けられ、自分がこれから何をされるかを悟って、サクが嗚咽を洩らした。
「やだ……や……ゆるして……もう、ゆるして」
「可愛い泣き声だ」
 劣情に低く滾った声でエヴァンが言い、ぐったりしているサクの髪を掴んで顔を仰向かせた。がくりと仰け反った喉に強く吸い付き、赤い痕をつける。
「あっ……う、う、……」
 その感触に、サクの身体がかすかに震えた。衣服の前をはだけたエヴァンが、抵抗もできないサクの腰を掴み、その窄まりに容赦なく勃ち上がったペニスを捻じ込んだ。
「ああぁッ!! あ、あッ、ぐ、あぁッ!」
 全身をひきつらせて叫ぶサクの耳元に口を寄せ、腰を動かしながら、エヴァンは囁いた。
「私の側近である為に必要な、あらゆるノウハウを教え込んでやろう。アリサに飼われていた頃より、君にとってもよほどいいはずだ。君としても、いつまでもただ飼われていたくはないだろう?」
「う……うっ……う、あぁ……あ……」
 囁かれるその言葉も、頭の中がぐちゃぐちゃに熱くなり追い詰められたサクには、意味を持ったものとして響かなかった。
 ただ、犯されている部分がひどく熱い。身も心も砕けそうなほどの快感が、押し広げられ抉り上げられるそこから指先まで広がって、もうこれ以上は無理だと何度も思うサクを、さらにその上まで追い詰めてゆく。
 誰かもう殺してほしい。
 いつまで自分はこんなふうに、誰かに身も心も犯され続けなければならないのだろう。もういい。もう終わらせてほしい。苦しい。
「……っあ、くぅ……ころ、して……もう……」
 汗と涙に濡れた頬をソファに押し付けたまま、身体を揺らされながら、サクはうわごとのように呟いた。
 それを聞いたエヴァンが、ひときわ大きく腰を引き、ぐっと奥まで突き入れた。
「あぅッ!!」
 ビクンと身体を跳ね上げたサクの耳元に、再びエヴァンが唇を寄せた。
「あの、金髪の彼を巻き込みたいのか?」
 それを聞いた瞬間、焦点を失いかけていたサクが黒い瞳を見開いた。唇が震え、その瞳にまた新たな涙が浮かんだ。
 その表情の変化に、満足そうにエヴァンが笑んだ。
「君が従うのであれば、彼のことは放っておいてやろう。私の下に来い」
 震える唇で何かを言いかけたサクが、それを止めて、見開いていた瞼を落とした。
 じきに湿りきった喘ぎがその唇からこぼれ始め、エヴァンの動きに合わせて、自ら腰を揺らし始めた。
 もう何も見たくないようにその目を閉じたまま、やがてサクは揺らされながら達した。流れるのが汗なのか涙なのかも、もうどうでもよかった。すべてが意識の外に押し流されてゆくようで、感覚から遠ざかっていった。

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