咲き乱れる花のように(3)

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 大きな窓の外には、もう早くも夏の色をした青空。
 そこにドタバタと階段を駆け上がってくる騒々しい物音がして、何事だとサクが思わず警戒し、ベッドの下にあるそれでは間に合わない​​​──と、腰の後ろに差し込んだ拳銃に手を伸ばしたとき。
 バン!! とドアが開いてレンが飛び込んできた。
「サク! 支度しろっ、風呂行くぞ!」
「……は?」
 あまりに唐突なレンの言動に眉根を寄せる。レンはそんなサクの前に駆け寄ってくると、にこにことサクが戸惑ってしまうほど嬉しそうに、その手を引っ張った。
「入りたいだろ? 足伸ばして入れるの。知り合いがさ、しばらく住むとこ移動するから、自分たちで沸かして使う分にはいいって貸してくれたんだよ。なんつうの、タイヨウコウ発電とかも使ってて、ちゃんとあったかいお湯出るし、ゆっくり入れるから。行こうぜっ」
「あ。……う、うん」
 気おされるようにサクは頷いていた。勢い負けはしたが、その突然の誘いは嬉しいことではあった。
 脚を伸ばしてゆっくり湯船に浸かれる、なんて、この廃都の末端では基本的に期待できない状況だった。アリサに飼われていた頃であれば、日常茶飯事ではあったが。
 レンはタオルやら着替えやら、必要になりそうな風呂道具や掃除道具をバッグにまとめ、適当な飲食物をクーラーバッグに放り込む。そして、あっという間にサクを部屋から連れ出した。


「うわ。猫足バスタブだ」
 かなり大きな、クリーム色のタイル貼りのバスルームをひょこりと覗き込んで、思わずサクは言った。
 ちなみにそこは見かけは他の廃都の建物同様、コンクリートのボロボロの廃ビルである。しかし彼らが入り込んだ一室は、明らかについ最近まで誰かが住んでいたと思われる片付き方をしていた。構造からして、かつてはモーテルだったようだ。
「とりあえず掃除からか? 道具持ってきてよかったなー」
 レンが大きな浴室に入っていって、バスタブに近付いていく。つられるようにサクも続く。
 レンが鈍い銀色に光っている蛇口を捻ると、上から細かいシャワーの水滴が落ちてきた。最初は水だったそれは、やがて熱いくらいのお湯に変わった。
「うわ。すげえ」
 思わず二人揃って言ってしまった。顔を見合わせて、互いの反応に吹き出してしまう。
「レンもやっぱ嬉しいんだ」
「そりゃあなー。日本の風呂は好きだったぜ。温泉とかさ」
 勿体ないのでいったんお湯を止めながら、レンが言った。
「温泉?」
「そそ。けっこあちこち行ったんだ、ヒッチハイクして。外見がこんなだからさ、すっげー温泉宿のおじちゃんとかおばちゃん親切にしてくれてさ。いろいろ教えてくれて面白かったな。どういう効果だとか由来だとかって」
 金髪碧眼の少年が、日本の古びた温泉宿で、浴衣を着てくつろぎながら熱心に話を聞いている姿を、サクは想像する。またぷっと吹き出した。
「なんだよ?」
「いや。妙に想像つくからさ」
「そーなの?」
「まあ、おまえにはなんでもありって感じだけどな」
 不思議そうにしているレンを放って、サクは掃除道具を取りに手荷物のところへ戻る。
 人が住まなくなってまだほんの数日であろう部屋と浴室は、それほど汚れてはいなかった。調度品もバスタブもまさか首都として滅びた当時のものではないだろうが、それなりに古びてはいる。しかし住んでいたのは女性だったのか、気配りの細やかな男性だったのかは分からないが、いずれもきちんと手入れされて水まわりも綺麗に掃除されていた。ざっと洗う程度で、使うには充分だった。
 電力供給が不安定な廃都では、電気で楽に風呂を沸かせるなんて驚くほど贅沢な話だ。しかもこんなに広々としたバスルームに、ゆったりしたバスタブ。いったい誰がこれほどの好物件を、あっさりと貸し出してくれたものか。サクは驚きながらも、どこかで納得していた。
 こんな廃都にありながら、レンの周りには、不思議と親切やちょっとしたいたわりがあふれている。それはそれこそ、レンの人徳というやつなのだろう。
 かつての自分は、廃都にいやというほど拒絶されて叩きのめされた。それは、あまりにも廃都とは毛色が違いすぎた当時の自分には、ある意味で仕方のないことだった。
 だが自分にはとても無理だった、ここで人と人とのごくささやかな交流を持つことを、レンは簡単にやってのけている。レンは根本的に人間が好きで、人を否定しないし拒絶しない。だからレンの周りには、自然と人が集まってくる。
 そのおおらかさと行動力を、逞しさと懐の大きさを、バスタブに溜まっていく透明なお湯とその白い湯気を見ながら、サクは心から愛しいと思った。気の多さと身持ちの悪さとも無関係ではいられないそれだったが、やはりレンのそんな気質が、どうしても自分は好きなのだと思った。
 きれいに掃除も済んで湯も張って、いよいよ入るという段階で、サクはふいに動揺した。
 あっけらかんと服を脱ぎ捨ててさっさとバスルームに向かおうとしたレンが、服を着たまま立ち尽くしているサクに気付く。
「ん、どしたの?」
「……なんか、そういえば、一緒に入ったことってなかったって……」
 ドラム缶風呂はとても一緒に入れるような大きさでもなかったし、レンの部屋のシャワールームは狭苦しいユニットバスだから、やはり一緒に入るどころではなかった。まして今の季節、まだじゃれあいながら水のシャワーを浴びるには早すぎる。
 きょとんとしているレンに、サクはかあっと赤面した。互いの裸などそれこそ見慣れているし、いくらだってあられもない姿を見られているのに、なぜここにきて戸惑うのか自分でも分からなかった。
 サクを見返していたレンが、突然顔いっぱいで笑うと、サクに歩み寄ってきてぎゅっと抱き締めた。
「なんだよおまえ、すっげー可愛いじゃねーか。おまえにもそんなところあったんだなぁ」
「可愛いって」
 その言葉に、サクは別の意味でいささかカッとなる。それに構わず、レンはサクのこめかみや頬に何度も口付けした。そうしながら、実に手馴れた様子でサクのシャツのボタンを外し、脱がせてしまう。
「おまえってほんっと小悪魔だよなあ。そんだけエロくて淫乱でサドいくせに時々妙に可愛いって、どーいうわけだよ」
 サクの耳朶を軽く食みながら、レンが含み笑いした。その唇の感触に、抱き締められて素肌に触れるレンの少し体温の高い身体の感触に、サクは小さくではあったが身を震わせた。
「か、可愛いとか言うなっ……」
「うん? 嫌なの?」
「そんなの言われて誰が喜ぶんだよっ」
「えー。でも俺のせいじゃねーよ。だって可愛いんだもん。おまえが悪い」
「なんだよ、それ」
「俺はそういうおまえも好きだけど。いいじゃん、それで」
 あまりにあっさりと言って、レンはサクの服を全て脱がせ、バスルームに引っ張っていってしまった。

 レンは戸惑いがちのサクに暖かいシャワーをいきなり浴びせて、驚く姿にけたけた笑った。バスルーム特有の、こもった反響が満ちる。
 レンは充分サクの身体をお湯で流して暖めてやってから、バスチェアに座らせた。何だろうとサクが思っていたら、レンはたっぷりボディソープを泡立てて、掌と柔らかなスポンジを使い、その白い身体を洗い始めた。
「ちょっと。い、いいよ。自分で洗う」
 サクが慌てると、レンは手も止めずに言った。
「いーからいーから。俺が洗いたいの。おまえは黙って座ってろ」
「……基本的に、おまえも言うこと聞かないよな」
「えー。おまえが言うかー?」
「言うよ。ほんと勝手だよ」
「そんなこと言うと、背中とか腹とか撫でまわすよ?」
「ちょッ……やめろ馬鹿!」
 たじろぐサクに、レンがおかしそうに笑いながら、白いその身体をふわふわの泡で洗ってゆく。
 マッサージされているようにひどく心地良かったが、不思議なほど劣情を刺激されることはなく、サクはそのうちうっとりした顔つきで泡だらけになっていた。広いバスルーム全体に、白っぽい湯気と暖かな空気が広がり、満ちていく。
「あ」
 泡が空気を含んでふわりと浮いて、一瞬虹色を帯びてはじけた。
 レンに髪を洗われながら、サクはなんとなく面白くなって、掌に乗せた真っ白いふわふわの泡をふうっと吹き始めた。雪のように散りながら、空気を含んでまた透明な虹色の膜が出来る。手の上からそれが離れて、シャボン玉になってふわりと浮く。
「器用だなあ、おまえ」
 何度もそれを繰り返して遊んでいるサクを見て、感心したようにレンが言った。
「そう?」
「楽しい?」
「うん」
「そっか」
 嬉しそうにレンは笑った。そろそろ流すぞと言われて、サクは頷いた。もう少し遊んでいたい気もしたが、遊び足りないくらいがちょうどいい気もした。
 頭からたっぷりお湯のシャワーを使ってサクを洗い流すと、レンはその濡れた唇に軽くキスをした。
「んじゃ、先入ってな」
「ん。レンは?」
「俺も洗ってから」
「洗ってやろうか?」
 何気なく言ったら、レンが笑い出した。
「おまえにンなことされたら襲っちまうからダメだ」
「……じゃあやめとく」
 髪と身体を洗い始めたレンを置いて、サクはたっぷりと湯の張られたバスタブにそっと足を浸けてみた。
 二人が同時に身体を伸ばして入ることも簡単にできるほど大きなそこは、白い湯気の下で透明な水面がきらきら揺れている。ここが廃都だということを忘れそうになる。
 ゆっくりと湯船に浸かり、脚を伸ばして肩まで身を沈めると、ほうっと全身から力が抜けて吐息がこぼれた。心地良い浮遊感に、思わず目を瞑る。身体が芯からほぐれて、肌の下で暖められた血流がさわりと流れるのを感じた。
 アリサのところにいたとき、唯一心底くつろげたのは、一人でバスルームを使うときだけだった。アリサのところにあるものは何もかも大嫌いだったが、あのミルク色の良い匂いのするたっぷりのお湯とバスタブだけは好きだった。
 だがそれと比べても、入浴剤など入ってもいないただのお湯でも、こちらのほうがはるかに心地良い。眠ってしまいそうな安堵感があった。実際、少しうとうとしてしまったのかもしれない。
「サク?」
 レンに呼びかけられて、サクは眠たい瞼を上げた。
「ん……」
「寝るなよ、そんなとこで。溺れるぞ」
 言いながらも、レンの声は笑みを含んでいる。
 身体を洗い流したらしいレンが遠慮なくバスタブに入ってきて、当たり前のことのようにサクの白い身体を背中から抱くようにして座った。サクはまた少し動揺したが、身体があたたまっているせいでもともと頬が赤らんでおり、それをレンに悟られることはなかった。
「んー。やっぱ風呂はいいなあ。幸せ」
 レンがサクを柔らかく抱き締めながら、大きな犬のように身体をぶるっと震わせた。そのくつろぎ切った様子に、サクもわずかに強張ってしまっていた身体を、すぐにまたやわらげた。
「うん。気持ちいい」
「嬉しい?」
「うん」
「そっか。良かった」
 レンが本当に嬉しそうに、サクを抱き締めて笑った。少しくすぐったくて、サクも軽く声を立てて笑った。
 レンの大雑把に結い上げられた長い金髪が、括り洩れたのかお湯の表面に一房落ち、広がってゆらゆら揺れているのが見えた。光を普段よりいっそう含んで透けて見えるそれは、とても綺麗だった。
「しっかし。おまえってほんと、そのへんの女より冗談抜きで綺麗だよなぁ。肌すべっすべだし」
 レンがサクの白い身体を抱き締めながら、やけにしみじみとした口調で言い出した。
「金と手間かかってるからね、俺」
 サクは小さく笑った。それらに糸目をつけずじっくり手入れされてきたサクの肌は、どこまでもきめ細かくすべらかだった。アリサのところから逃げ出して、それまでのような手入れをすることがなくなった今でも、肌の下から滲むような白く透ける美しさは変わることがない。
 しかし普段は衣服の下に隠れる部分は、同時に痛々しいほど傷だらけでもあった。傷を負ったときにきちんと手当てを施されたそれらはひどく目立つことはないが、身体が温まって赤らむと、刻印のように薄く無数に浮き上がる。
 背後からレンが何を見ているのかサクには分からないが、ふとしたようにレンが尋ねた。
「おまえ、このピアスは外さないの?」
 サクの右の耳朶に、ひとつだけはめられて輝いている、小さな真紅のガーネットのピアス。
「……うん。これは外さない」
「そっか」
 それ以上何も言わず、レンはサクを少し強めに抱き締めた。
 レンはサクが、アリサのところで囚われて、どんな生活を送っていたのか知らない。聞こうともしないし、サクも話さない。
 レンはきっと知らないだろう。何も聞かれないことに、話さずにすんでいることに、サクがどれほど安堵しているか。思い出したくない過去を掘り返されずにすむことに、それをレンに知られてしまわずにすんでいることに、どれほど救われているか。
 レンは本当は、サクを見て色々と察しているのかもしれない。あれで案外、勘は鋭いから。だとすれば尚更、その上で何も問おうとしないレンのおおらかさが、サクには有り難く嬉しかった。
 いつか、もしいつか。レンにすべてを話すことができたら、こんな自分でも、何かが変われるだろうか。
 だんだんのぼせてきたが、まどろむような心地良さから抜け出すのも惜しくて、優しく抱き締めてくれるレンの身体が心地良くて、サクはそのままでいた。動いたのはレンの方だった。
「だーっ。あちい。もうあがるっ」
 いきなり言い出して、辛抱できないように立ち上がる。大きく湯が揺れて、サクがふらついた。
「あ」
 それをレンが、バスタブから上がりかけたところで振り向き、腕を引いて支える。
「悪ィ。っておまえ、のぼせてね?」
「……少し」
「馬ッ鹿だなあ」
 いつもレンに言っていることを言われ、サクが黒い瞳をまばたいた。
「……おまえに馬鹿って言われた」
「あー。そいや初めて言った気がする、おまえに」
 自分でもそれに気付いて、妙におかしくなったのか、レンがまた笑い出す。レンに腕を引かれて湯から上がりながら、サクも笑ってしまっていた。


 レンはかなりくたびれたバスタオルで身体を拭き、サクはアリサのところから持ち出してきた白いバスローブを着た。あれば意外に用途が広そうなので持ち出してきたものだが、レンのところには案外日用品が揃っていて、解体することもなく今に到っている。
 サイズが少し大きく、指先がやっと出ているようなバスローブにくるまったサクを見て、レンが言った。
「おまえいいなあ、それ」
「羨ましい?」
「うん。とりあえずまだ服着たくねーしなあ」
「着る?」
「俺が着たら、おまえが着るのないじゃん」
「そっか」
 たわいもない会話をしながら、サクはコンクリートの床に無造作に置かれたベッドに上がる。少しのぼせているせいか頭がぼんやりして、ぺたりと膝を崩して座り込んだ。
 ソファも何もないこの部屋において、厚いマットレスが敷かれたこの大きなベッドは、その用途も兼ねて使われていたようだった。住人の親切なのか、マットレスの上には専用らしいマットが敷かれ、あまり肌触りは良くないが綺麗に洗われたシーツがかけられていた。
 まだ充分に日が高いうちに訪れた部屋には、窓から明るい光が差し込んでいた。階層がレンの部屋より高い窓の外に、明るい青が見える。
 このビルには他に誰もいないのか、とても静かだった。ぼうっと座っていると、レンが長い髪を拭きながらやってきて、何かをひょいと差し出した。
「うん?」
 目を上げたサクは、水の入ったペットボトルと一緒に、見覚えのあるチョコレート菓子のパッケージを視線の先に見つけた。ややあって、黒い瞳を丸くする。
「……どうしたの、これ」
「ん。この部屋の人がくれた。彼女に食わせてやれって」
 悪戯っぽくレンがそんなことを言う。「彼女」じゃないけど、と思いながらも、サクはその掌より少し余るくらいの長方形の箱を受け取った。
 廃都の外でごく当たり前に暮らしていた頃には、コンビニやスーパーでいくらでも見かけた箱だ。細長いプレッツェルにチョコレートをコーティングしたそれは、記憶にあるものと何も変わっていなかった。
「うわ。めっちゃなつかし……」
 見ていたら、視界が滲んだ。
 慌ててレンに見られないように、サクはバスローブの袖で目許を拭う。開けるのが勿体ないような気がしたが、しかしそれを食べたい誘惑に勝てなかった。
 箱を開けていると、レンが自分も水の入ったペットボトルを手にやってきて、腰にバスタオルを巻きつけただけの格好でサクの横に腰を下ろした。それにサクは尋ねた。
「ほんとに食べていいの?」
「いーよ。てか食えって」
 言われて、サクは箱の中からフィルムパッケージで小分けにされたそれを取り出す。ぴっと開けると、甘いプレッツェルとチョコレートの匂いがして、それがひどく懐かしくて、それでまた泣きそうになった。少し目が潤んでしまっていたかもしれない。
 一本だけ取り出したそれを恐る恐るかじると、廃都に来る以前に食べたそれと何も変わらない味がした。
「おいし……」
 思わず口許がほころんだ。かつては小銭で、いくらでも簡単に手に入るものだった。でもこんなものがあったこと自体を、もうすっかり忘れていた。
 ゆっくりと味わいながらかじるサクを、レンは瞳を細めるようにして眺めていた。
 一本食べ終えて、その香りと味の名残りを充分楽しんでから、サクはペットボトルからぬるい水を口に含んだ。ほぅ、と自然に吐息がこぼれた。本当に美味しかった。かつては珍しくもなかったそれが、こんなに美味しいものがあったのかと思うくらいに。
 ふと自分を嬉しそうに見ているレンに気がついて、サクはパッケージを差し出した。
「レンも食べなよ」
「ん。俺はいい」
「なんで?」
「全部食っていい。おまえが嬉しいなら、その方が嬉しい」
 にこにこ笑っているレンに、サクは少し唇を尖らせる。
「えー……でも嫌いじゃないんだろ、おまえも?」
「そりゃー」
「ならそういうのやだよ。半分こしよ、どうせなら」
「半分……」
 その言葉を聞いて、レンが何か思いついたように青い目をぱちぱちさせた。
 今度は何だ、とサクが思っていると、レンはひょいとその手の中のパッケージから一本取り出す。
「んじゃ、半分こしよ」
 チョココーティングされていない方を軽く咥えて、サクの方に突き出すようにしてレンは笑った。悪戯っぽいその表情に、サクはぽかんとしたあと、意味を察してたちまち耳まで赤くなった。
「ばッ……何考えてんだ。そんなんできるか、馬鹿ッ」
「えー。だめ? したい」
 いったん口から菓子を放して、レンが不満そうに言う。そしてまた咥え、身を乗り出し首を傾げるようにして、サクの口元にその先端を突き出した。
 あまりに邪気のないその様子に、サクは十秒近くも黙り込んで考えた末、不承不承ながらも、唇のすぐ前にあるそのチョコレート菓子の先端に口をつけた。
 かりっと軽い音がして、甘い香りと味が広がる。かりかりと細長いプレッツェルの菓子が短くなってゆくにつれ、互いの唇が近付いてゆく。
 最後に唇がふれあったとき、サクはいっそう真っ赤になっていた。
「んっ……」
 レンの唇がサクの唇をごく軽く数度なぞり、離れる。間近から覗き込んでくるレンの青空のような瞳が、この上なく楽しげに嬉しそうにきらめいているのを見て、サクは口元を覆いながら、何も言葉が出なかった。顔から火が出るとはこのことだった。
 そんなサクを、レンがガバッといきなり抱き締めた。もつれ合うようにサクもろともマットレスに倒れ込み、抱き締めたままで、レンは声を立ててけらけらと笑う。
「やっべー。なんだこれ。すっげー可愛い。おまえやべーよ、なんだよそれ。卑怯だろ」
「な、なに言ってんだよっ」
「駄目だ、可愛すぎ。襲うよもう? おまえのせいだからな?」
「ちょっ……」
 言うが早いがレンが起き上がって、サクの身体を自らの身体の下に組み敷く。レンはサクの両肩を押さえ込むようにして、その唇に唇を押し付けた。

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