Trance(4) -完結-

 返り血を洗い流し、喉下まで隠れる真っ黒な服装に固めて、身のまわりのものだけを詰めたバッグを抱えたサクは、アリサのビルを飛び出した。
 できるだけサクのいた痕跡は消してきたが、アリサを誰が殺したかはいずれ明るみに出るだろう。ましてアリサが死んだ夜を境に、サクの姿が消えたとなれば。
 司法も警察組織も存在していない廃都では、法によって裁かれることはない。だがそのかわり、私刑が行われても守ってくれる組織も法もない。
 ​​​──いずれ自分も、誰かに殺される。
 殺す者は殺されるのだと、理屈でなく漠然とサクは理解していた。
 アリサを殺すだなんて馬鹿なことを、と今頃になって頭の片隅でかすかな声がしていたが、もうどうでもよかった。だって、自分にはああする他になかったのだから。結局ますます泥沼に引きずり込まれただけだったにせよ。
 真っ暗な廃都の夜道を走り通して、何度も転びそうになって、ようやくレンの部屋に辿り着いた。今は何も考えたくなかった。ただどうしてもレンに会いたくて、この身体中に荒れ狂う真っ黒い嵐をどうにかしてほしかった。
 レンならこれを鎮めてくれるのだろうか。レンにぶつけて、レンのことも穢して押し潰してしまうかもしれない。だけれど止まらない。どうにかしないと、自分が壊れてしまう。
 ここ半月以上アリサのビルから出なかったから、レンに会うのも久し振りだった。突然の訪問に、レンはまるで分かっていたように、サクが扉を開け切ると同時に駆け寄ってきた。
 レンを見た瞬間、躊躇った。
 ​​​──レンを傷つけて、穢してしまうかもしれない。
 それでも、押し殺そうとしても、やはりどうしても自分を止めることができなかった。
 サクは驚いているレンを、強引にベッドに連れ込んで押し倒した。衣服を剥いで、抵抗するその手首をベルトで拘束し、レンの身体にむしゃぶりついた。レンが悶える姿が見たくて、悲鳴が聞きたくてたまらず、わざと達させないままひたすら追い詰めて嬲った。
 レンが喘いで汗まみれになって仰け反り、許されない絶頂に何度も悲鳴を上げるたびに、少しずつ黒く荒れ狂っていた焔が鎮まって来るのを感じた。そのかわりのように甘くぞくぞくと嗜虐心が刺激され、気が付いたらレンを嬲りながらサクは笑っていた。
 しかし異様に興奮し昂ぶった心身は、レンを抱かなければおさまらなかった。拒むレンを押さえつけて後ろの穴をほぐし、悲鳴を上げるのに構わず、強引に屹立した自身をねじ込んだ。
 理性がたやすく溶け崩れるほど、熱く強く締め付けてくるレンの中は気持ちが良かった。普段使われないそこは固くてきつく、うつ伏せに押さえつけられたレンは苦しげで、それを後ろから強引に割り裂いて好きに突き上げるのは、ひどく興奮した。

 ベッドに押し付けたレンを、サクはその中を味わいながら背中から抱き締めた。汗ばんだレンの肌が、熱い身体が、鼓動が愛しかった。
 レンはサクよりも身体が大きいし、本気になればサクを突き放すことなどいくらでもできただろう。だがレンは、一方的にひどく手荒にされても、苦痛に震えながらも、サクを受け入れてくれた。
 ​​​──こいつは馬鹿だ。
 でも、こうしているうちに分かった。レンは自分を拒まない。何があっても、真っ直ぐに受け止めてくれる。なぜ自分なんかにそこまでしてくれるとは思うが、今確かにレンは逃げずにここにいてくれる。それ以上の何が、信じるために必要だろう。
 何か涙が出そうになった。レン、と、初めて行為の中でその名前を呼んでいた。
 なぜレンが、こんな自分を好いてくれるのかは分からない。分からないことだらけだが、レンは自分といても決して穢れないし押し潰されることもない、ともサクは悟った。
 レンは、自分などよりもはるかに強くて眩しいから。サクに押し潰されるどころか、明るい中に引き上げて照らしてくれるだろう。たとえ束の間だけでも、レンの傍にいる間だけは、サクもまた明るい夢を見ていられる。
 レンが好きだ。自分とあまりに違うから。馬鹿なくらいの明るさと穢れのなさが好きだ。多少のことではめげもしない強さが好きだ。
 自分の中にあるその感情に初めて気付きながら、サクはレンを抱き締めた。そして何も考えられなくなるまで行為を繰り返し、真っ白になって崩れ落ちた。レンの名を呼び、レンの身体に腕を回したまま。


 翌朝になってみると、やはりレンはけろりとしていた。
 身体中痛そうにはしていたが、「もうちょい加減しねーと、もうやらせてやんねぇぞ」と、本気なのか冗談なのか分からない、ちょっとズレたことを言っていただけだった。
 一晩経ち、昨夜のうちに発散できたおかげで、サクはだいぶ落ち着いていた。着替えてぼうっとしているうちに、レンが手早く卵とハムとパンを焼いて、サクの分まで朝食を用意してくれた。
 昨夜の異常といっていいだろう出来事について、レンは何一つ尋ねようともせず、さっさと食事を済ませると、呑気に口笛を吹きながらどこかへ出かける身支度を始めた。
 それを眺めながら、サクもふらりとバッグを取り上げてドアに向かった。
 あてなどないが、アリサのところを出てきた以上、どこかに適当なねぐらを捜さなければいけない。身体がひどくだるく、頭もぼうっとしていたが、相場もよく分からないし、もしかしたらねぐらを得るために金を稼ぐ必要もあるかもしれない。
「それじゃ。邪魔した」
「へ?」
 ドアに向かったサクを、壁の鏡に向かって大雑把に長い金髪を括っていたレンが振り向いた。括りかけていたのを放り出して、慌てたようにサクを追いかけて手首を掴んだ。
「ちょ、どこ行く」
「どこって。寝るとこ探さないとだし」
「んなのここでいいじゃん」
 あまりに当たり前のように言われて、サクはレンをまじまじと見返した。
「は?」
「てか、そのつもりだったんじゃねーの?」
「……なわけないだろ」
「そか。じゃあまぁ、いいじゃん。ウチにいろ。ベッド一個しかねーけど」
 サクはその場に立ち尽くして、また鏡に向かい始めたレンの後ろ姿を見つめた。
 ほとんど家具のない、コンクリート打ちっぱなしの殺風景な部屋には、大きく開け放たれた窓から明るい光と少し冷たいほどの朝の風が爽やかに流れ込んでいる。
 サクが嫌だということなど想定もしていないようなレンの様子に、サクはしかし、腹も立たなかった。
 こんな廃都でもどこかで雀の声が響いていて、朝の光は明るくて眩しい。大きな窓から入り込むそれに、サクは黒い瞳を少しだけ細めた。
「……ベッドひとつって、それ、家賃代わりに寝ろってこと?」
 バッグを置き、やや横目にレンを見ながら、サクは皮肉っぽく笑った。
 レンは長い金髪を括りながら、鏡越しにサクに青い瞳をちらりと動かした。
「家賃とかカンケーなく、おまえがいたら抱くけど?」
「……あっそう」
「気になんならアレだ。掃除洗濯しといて。屋上に干せるから、ここ」
「は?」
「いやー、けっこーめんどくさくってさあ。それに俺もシゴトしてっから、昼間干せないこととかもあるしさー」
「……まあ、うん」
「なんでもテキトーに使ってくれていいから。んじゃ行ってくるわ。なるべく早く帰る」
 レンはやたらに機能的に見える腕時計を嵌めてボディバッグを背にし、その上からばさりと薄手の上着を羽織って、煙草を一本咥える。ドアに向かいかけて、ふと思い出したように引き返してきた。
 まだ火のついていない煙草を口元から離して、レンはサクの唇に軽くキスをした。
「疲れてんだろ。今日は無理に片付けとかしなくていいから。おとなしくしてろよ」
「……うん」
「んじゃーな」
 ドアに歩き始めたレンを、「あ」と、思わずサクは引き止めていた。その手首を掴んで。
「ん?」
「……もう一回キスして」
 言ったサクに、レンは青い瞳をぱちぱちさせ、すぐに笑顔になって腕を伸ばしてきた。白いシャツに包まれたサクの身体を抱き締めて、唇を重ねてくる。
 今度のキスは深く、けれど優しく、サクもレンの身体に腕を回して目を閉じた。レンの体温と感触を全身で受け止め、その腕のあたたかさを感じるように。
「ちょっ……やべ。抱きたくなっちまう」
 レンが冗談ではなさそうな顔で言い、今度は少し強引にサクから身を離してドアに長い脚で歩き始めた。じゃーな、と言い残して外に出て行くのを、サクはその場から見送っていた。
 まだ頭は少しぼうっとしていたが、やけに目に映る景色が明るくクリアに見えた。鳥の声がするだけの静かな部屋を見回しながら、サクはもう一度、僅かに瞳を細めた。


 それからサクはレンの部屋に寝泊りするようになり、今まで以上に暇さえあればレンと抱き合ってすごすようになった。
 もうあのアリサの部屋に戻らなくてもいい、ということは大きな安堵をもたらし、同時にいつまでこうしていられるか分からない不安ももたらした。ふとした拍子に胸の奥にぽっかりと開いた暗く深い闇に呑まれそうになり、レンの腕にしがみ付かずにいられなくなるサクを、レンはいつでも笑って抱き締めてくれた。
 いつものように気が済むまで互いを貪って、そのまま寝入ってしまった明け方、ふとサクは目を覚ました。
 まだ東の空がうっすらと明るくなった程度の時間。大きな窓から見える景色も部屋の中も、薄ぼんやりとしたモノトーンの色彩の中にひっそりと沈んでいた。
 サクが静かに身を起こすと、何も身に着けていない白い肩から、レンと一緒にくるまっていた薄手の毛布がするりとすべり落ちた。
 レンは子供のように無防備な顔で、ぐっすりと眠り込んでいる。毎日サクを疲れ果てるまで抱いて、昼間はきちんと仕事にも出かけているから、いくらなんでもくたびれもするだろう。
 その無心な寝顔を見下ろしながら、サクは小さく頬を崩した。
 相変わらずレンは、飽きずにサクに好きだと何度でも繰り返す。こうしてレンを見つめていると、サクもしみじみと、はっきりと、この大型犬のような少し馬鹿でやたらと元気なレンに対する、滾々と湧き上がるような感情が自分の中にあることを自覚できる。
 まだそれを、はっきりと口にしたことはない。言葉にすることが怖くもあった。
 いつまでこうしていられるか分からないけど。いつまでもこのままではいられないだろうけれど。もう少しだけ、こいつと一緒にいさせて下さい。神様。
 いつか必ず、自分は報いを受ける。レンに魅かれれば魅かれるほど、自分の中の消えない闇色の焔が浮き彫りになるのが分かる。
 何かあったときは、レンを巻き込むわけにはいかない。何があっても、何が起きても、レンは守り抜かなければいけない。
 そのときがくるまでに、好きだとレンに告げることができるだろうか。それは分からなかった。いずれ居なくなる自分が、それをレンに告げることが正しいのかも、サクには判断がつかなかった。
 だから眠っているレンに、起こさないようにキスをした。そして宝物を呼ぶように、伝えることのできない言葉を、初めてそっと囁いた。
「……好きだよ。レン」
 深い寝息を立てているレンをしばらく見守り、サクはその隣に、毛布を持ち上げてまたもぐり込んだ。少し体温の高いレンの身体にぴったりと寄り添うと、レンがむにゃむにゃいいながら動いて、無意識だろうサクを抱き込むようにした。
 思わず微笑んで、サクはレンの腕に抱かれたまま目を閉じた。
 大きな窓の外で、ゆっくりと夜が明けようとしていた。


(了)

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