二章 氷滴 (3)

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 言葉もないユアンをよそに、フィロネルがまたベッドの方に足を運んでいき、何かを手に戻ってきた。
 次はいったい何をされるのかと、フィロネルの一挙手一投足に、ユアンはどうしてもびくつく。憎いその姿を見返す気力すらどうかすると尽きてしまいそうで、懸命に己を叱咤し鼓舞する必要があった。
 これほどべったりと胸中を屈辱と嫌悪と憤懣に塗り潰されていながら、股間はあさましくいきり勃ったままであることが、我ながら惨めで滑稽だった。たとえこれが妙な薬のせいだとしても、反応を見せているのは自分の身体だ、という事実は動かせなかった。
 やはりそこの露台から飛び降りるべきだったのではという懊悩が首をもたげ、しかし今となってはどうできるものでもなかった。舌を噛もうかとも何度も思ったが、その度に「生きなければ」という理性の声がして、顎に力が入らなかった。
 身体は熱く反応する一方、千々に乱れ裂かれる心とせめぎ合う衝動とに苦悶し、うっすらと涙を滲ませているユアンの顎を、フィロネルの指が持ち上げた。
「いい顔だな。本当におまえはそそる顔をする。繊細で高潔で、それでいて烈しい。追い詰められるほど磨かれて美しくなる……」
 覗き込んでくる、冷ややかでありながら根底には燠火のような熱が籠もるアメジストの眼差し。戯言を、としか思わなかった。それで誉めてでもいるつもりなのだろうか。何がこの男にこうまでさせる。何故この男は自分にこんなことをするのかと、何度考えても分からないことを、ユアンは徐々にうまく働かなくなりつつある頭で思った。
「……こ……」
 殺してくれ、これ以上辱めるくらいならいっそ。自分では死ねないから。
 目を瞑ってそう言いかけたが、続く言葉をどうしても吐き出すことができなかった。弱音を吐きそうになる度に、愛する者達の死に様が脳裏をよぎる。背負った妹の遺体の重さを、手を傷だらけにしながら一人で土を掘り返し、その冷え切った身体を埋めたことを思い出す。
 死ねない。
 ぎり、と、言葉を飲み込んで奥歯を噛み締めた。
 そこに、ふいに唇にふれてくる生あたたかい感触があった。弾力のある粘膜の感触。ユアンは息を飲んで目を瞠り、自分の唇がフィロネルの唇に塞がれていることを理解した。
 一瞬呆気にとられた後、カッと憤怒の炎が身体の奥に燃え上がった。
 ​​​──ふざけるな。
 咄嗟に、重ねられた唇に歯を立てる。がりっと柔らかな肉を噛む感触と、小さくフィロネルが呻く声があった。
 フィロネルが離れたと思った次の瞬間には、左頬に強烈な殴打がきた。頭の芯がぶれ、視界が揺らぐほどの衝撃。口の中が切れたのが分かったが、構わずユアンは佇むフィロネルに視線を据えた。
 フィロネルは美麗な貌を小さくしかめながら、自らの唇に滲んだ血を嘗め取った。その仕種が、まるで舌なめずりする猛獣のようだ。フィロネルは憎々しげにも愉快そうにも見える表情を、見下ろすユアンに閃かせた。
「まったく。少しは優しくしてやろうと思う度に、おまえは見事に歯向かってくれるな」
「下衆がよく言う……」
 優しく、だと。よくも白々しい。憤りがすぎて、この男を前にしては初めてではないかという薄い笑みを、ユアンは口元に刷いていた。
 その顎を、強い力で再び掴まれた。頬骨の間に指をねじ込まれるように無理矢理に口を開けられ、そこに噛み付くように唇を重ねられる。フィロネルの指の力は強く、閉じようにも閉じられないユアンの口の中に、ぬるりと舌が入り込んできた。不快感と気味の悪さにぞわりと肌が粟立ち、呻いたユアンに構うこともなく、いいようにその口腔内をフィロネルの舌は動き回った。
「う、ぐ……っ……」
 付け根が痛むほどに舌を吸い上げられ、さんざんにねぶられ、他人の唾液と己の唾液が攪拌される。ねちゃりと濡れた音が直接鼓膜に響き、フィロネルの息遣いと体温が肌身にふれ、生あたたかい粘膜同士がこすれ合う。すべてを奪い尽くすような接吻は、まさに犯すという表現そのままに感じられた。あの夜、フィロネルのものを身体の奥まで突き立てられたときに感じたのと同種の戦慄が、ぞわりと背筋をなぞり上げた。
 いたぶる以外の何ものでもない接吻からようやく解放されると、ユアンは大きく身震いして息を吸い、咳き込んだ。いたわりのかけらもない口付けの間は、呼吸すらままならなかった。
 あの夜に己の中にフィロネルの怒張した器官が割り込んできた感覚を思い出し、ユアンは胸の悪さに吐きそうになった。口の中に残るフィロネルの舌の感触も、僅かに残る血の味も唾液の味も、何もかもが悪夢のようにおぞましかった。
 堪えろ、と自分に懸命に言い聞かせ、ぐっと息を飲んだところに、露わになって下腹で揺れていたペニスを掴まれた。
「おまえは本当に面白いよ、ユアン。ぞくぞくする」
 薄笑みと共にユアンを見下ろすフィロネルは、紫色の瞳を妖しく光らせていた。怒りの気配とはまた違うようだが、とにかくフィロネルの衝動を何かしら強く煽ったようだと、ユアンは居直る気持ちでそれを睨み返した。激しく昂ぶる感情に、どうにでもしろ、とユアンは半ば自棄になっていた。
 フィロネルに握られたペニスは、妙な薬が染み渡って、ユアンの意志とは無関係に勃ったままでいる。握られるだけでずくずくと疼き、そこをぬちゅりと扱かれると、ユアンは抑えはしても呻かずにいられなかった。
 フィロネルはユアンの陰茎を何度か扱き、充分に硬く勃ち上がったところで、そこに奇妙な輪を掛け始めた。勃起しきったペニスを締め上げてくるそれに、ユアンは大きく顔をしかめた。
「く……ぅ」
 ひとつ、ふたつと輪を掛けられてゆく肉茎は、息苦しい程どくどくと脈打ち、重い鈍痛を生じた。輪は根元から中ほどにかけてまで、数えて三つ嵌められる。ひとつひとつの輪は、鬱血をもたらすほどきつい締め付けではない。だがそれが三つ重なることで、その内に通る狭い肉道を圧迫し、完全に射精を封じ込んだ。
「は、っく……ッ……」
 股間が今までにも増して熱く膨れ上がったような感覚があり、ユアンは自由にならない四肢を引きつらせた。奇妙な輪を嵌められてひくついている、ぎちぎちに硬くなったペニスをフィロネルに根元からぞろりとなぞられ、ユアンは「ひッ」と腰を跳ね上げた。
 香油なのか先走りなのか既に分からない蜜にまみれた亀頭を、フィロネルの指の腹が撫で、ぐりぐりと刺激し始める。敏感なくびれや裏筋にも、たっぷりとぬめりを絡めた指が伝い出した。
「や、やめっ……あッ、あ」
 意図せずにユアンの身が反り、声が洩れて腰が震えた。圧迫されたことで余計に膨れ上がったようなそこを弄られると、びりびりとした痺れが腰の中心から爪先まで突き抜ける。助けを求めるように鈴口がぱくぱくと動き、粘ついた先走りばかりがだらしなく伝って、フィロネルの指に透明な糸を引くのが見えた。
「自分でも見えるだろう? どれほど高潔を装ったところで、おまえのここはもうこの有り様だ。これほど溢れさせるとは、余程悦いと見える。たわいもないな」
「だ、だま、れっ……」
 ユアンは何度となく唇を噛んだが、声が洩れることも身体が引きつることも、どうにもできなかった。昂ぶりながらも一切精を吐き出せないペニスは、痛いほどに張り詰めている。過敏になったそこに与えられる刺激は、激しい快楽と苦痛を同時に招く。いつしか汗みずくになってもがく四肢に、重厚なソファがきしんで僅かに揺れ、しかし手脚の拘束はびくともしなかった。
 ひとしきりユアンのペニスをいたぶった後で、フィロネルの指はその下に移動していった。伝い落ちる先走りと香油とで、脚を大きく割られ剥き出しにされた下の窄まりは、ぐっしょりと濡れていた。
 ペニスを解放されてほっとしたのも束の間、とうとう次はそこを弄られるのかと、ユアンは広げられた脚をわななかせた。
 日数と手当てのおかげで、あの夜ひどく責められた痕は、もうすっかり癒えてはいる。しかし望まぬ他人の器官を体内に捻じ込まれることは、たまらなく怖気を誘う。それでもどうあっても、それを拒むことはできないのだろう。
 それなら、どうせならば痛みが欲しかった。快楽に翻弄されるよりは、痛みに悶えている方がはるかにましだった。
 鏡の中に見える自分から、ユアンはとても正視できずに目を逸らした。自分で自分のそんな箇所を見るのも、そこを好きに弄られるのを見るのも、あまりに惨めで堪えられなかった。
 しかしそれを分かっていて揶揄するように、フィロネルがユアンの下の窄まりにぬるぬると指をなぞらせながら、耳元に囁いた。
「よく見ておけ。おまえの孔が俺の指を食む様を」
「う……うるさいっ……この、変態が!」
 思わず言い返したが、フィロネルはそれさえ面白がるように笑うばかりだった。
「さて、その威勢がどこまでもつかな。あまり早く陥ちて、俺の興を削ぐなよ」
 ユアンの耳朶を、フィロネルの生あたたかく濡れた舌がぬるりと嘗めた。ユアンが一瞬身を竦ませた隙をつくように、検分するようにユアンの下をなぞっていたフィロネルの指先が、つぷり、と淡く色付いた窄まりの中心を押し広げた。あの夜強引に刺激されたせいなのか、それとも含まされた薬のせいなのか、そこは以前よりも抵抗を見せず、ゆるゆるとフィロネルの長い指を飲み込んでゆく。
「う、う……や、やめ、ろ……っ」
 己の小さな孔の中にずぶずぶと憎い仇の指がめり込まされてゆく光景に、奥歯が音を立てて震えた。その感触の不気味さに、ぞくぞくとユアンの全身に鳥肌が立つ。反射的に脚を閉じようともがいたが、重いソファが少し揺れただけだった。
 たまらず顔を逸らしたユアンの前髪を、フィロネルの片手が乱暴に掴み、姿見に向けさせた。
「目を閉じるな」
 ユアンの抵抗を愉しむように、フィロネルは傲然と命じた。ぬめりを絡めたその指は、ユアンの内側を撫で上げるようにゆっくりと抜き挿しされる。そんな様を見せられるユアンの全身が、羞恥のあまり薄い朱に染まった。
「あ、あ、あ」
 ユアンに殊更見せ付けるように動かされる指は、頃合を見て二本に増やされた。充分なぬめりを持って体内をまさぐるそれは、いっそ乱暴にして痛みを与えてくれと思うのに、どうしてと思うほど繊細に動く。ゆっくりとほぐされるように、締まっていた窄まりが柔らかくなってゆく。
「あ……ひ、う、っ」
 痛みを与えようとしない指の動きに、自分のそこがひくひくと蠢くのを感じた。香油と蜜にたっぷり濡れた小さな入り口は、フィロネルの指をいつの間にか根元まで難なく食んで、ぬちゃりと抜き挿しされる度に吸い付くような収縮を繰り返している。その淫靡な己の肉の動きに、これが自分の身体なのかとユアンは息を呑んだ。
「う……く、うごかす、な……っ」
 ぞくぞくと下半身から滲み出す感触に、ユアンは思わず懇願するような声を出していた。拘束された四肢が強張り、素足の爪先が引きつったように伸ばされては縮められる。汗びっしょりの腹筋と腰が、緩く抜き挿しされる指に合わせてぴくぴくと小刻みに動く。
 他人の指を挿れられてぐちゅぐちゅと音を立てる箇所から、今迄感じたことのない得体の知れない感覚が湧き上がっていた。生まれて初めて感じるそれが何なのか、ユアンには分からなかった。妙な薬のせいなのかやたらと全身が火照って、頭がぼうっとして思考がうまく働かない。半開きになった濡れた唇は、乱れて熱を帯びた息遣いをしきりに繰り返していた。
 その股間を片手でまさぐったまま、フィロネルが空いた片手をユアンの顎に掛け、顔を覗き込んだ。
「まるで娼婦のような貌をしている。気持ちが良いのだろう? もうここに挿れられることに慣れるとは、おまえは貞淑な顔をしながら随分と淫乱なのだな」
「ち……ちがうっ……」
 気持ちが良いわけがない。頭ではそう強く否定するのに、下半身は明らかに拒否とは異なる反応を見せていた。勃起しきったペニスはますます張り詰め、三つの輪の戒めに鈍痛を発しているのにも関わらず、先端からぽたぽたと熱い体液を腹の上に落とし続けている。
 こんなものが快感なわけがない。こんなことで、自分が感じているわけがない。尻の中をフィロネルの指が行き来するごとに震え上がるほど身がひきつったが、そこから生じて腰を揺らそうとする感覚を快楽だとは、どうしても認めたくなかった。
「ひっ……」
 そのとき、ただゆるゆると狭い中を行き来するだけだった指の動きが変化した。まさぐるように熱く柔らかな肉壁の中を指先が動き、それがある一点をなぞった瞬間、ユアンはビクンと全身を突っ張らせていた。
 下腹の奥に突っ込まれた指は、探り当てたそこが何であるのか、そしてそれがユアンに何をもたらすのかを熟知しているようだった。何が起きたのか分からず、何だ今のは、とユアンが思ったときには、同じ箇所に再び指先が伸ばされていた。
「あっ……あ、あぁッ!?」
 わけがわからないうちに、ユアンは叫んでいた。身体の奥、フィロネルの指を押し付けられたその箇所から、かつて知らない強烈な痺れと快感が湧き上がってくる。ぐちぐちとそこばかりをまさぐられ、一呼吸ごとに腰の奥から凶暴な熱がうねるように込み上げてくる。
「あッ、あ、ひっ……あ、や、やめっ……!」
 あまりに強すぎる感覚に、抵抗などできなかった。熱く堪え難く疼く快楽の核が、下腹の奥で燃え上がる。腰全体が内側から蕩けるようだ。身体の奥から灼熱する感覚が、背筋から脳天まで炎を纏って駆け上がり、息が詰まりそうなほど身をのけぞらせた。
 堪え切れずに逃れたくて腰を振っても、開脚させられ腿からがっちりと拘束された状態ではどうなるものでもなかった。それどころか、フィロネルはユアンが激しく反応し始めたのを愉しむように、低く嗤いながら同じ箇所ばかりで指先を蠢かせた。
「ひいッ、だ、だめ、だッ……あぁッ!」
 己の中がフィロネルの指をきつく締め上げ、絡みつくように蠢動するのも、もはやユアンは自覚できなかった。ぐちぐちと捏ねられ続ける身体の奥が、尋常でなく熱い。囚われた身がもがいて痛むことすら快感に変わり、燃え滾る下半身に思考力が麻痺した。何度も折れそうなほどに背骨をしならせ、ぶるぶると四肢が、腰が痙攣する。
「あッ、あ、ああぁあ……っ!」
 もはや自分が叫んでいることすら自覚できず、ユアンは全身を引き搾って、突き抜ける暴力的な白熱に押し流された。腰の奥から猛然と噴き上がり、全身をびくびくと痙攣させたそれが何なのか、ユアンには分からなかった。ただ、ひとつの大波が通り過ぎ、がっくりと全身を弛緩させ、ぜえぜえと呼吸をする。
「う……あ、あ……」
 しかし、それで強烈な快楽の波がおさまったわけではなかった。むしろどろりと腰の奥が熔け出して、いっそう身体中を浸す悦楽が濃度を増したように感じる。抜かれていないフィロネルの指を、己の孔がひくひくと食んでいるのを、妙に他人事のように認識していた。
「達したか」
 ぐったりとソファに凭れ、荒い呼吸を繰り返すばかりのユアンに、フィロネルがにやりと笑った。頭がぼうっとして、ユアンはフィロネルが何を言っているのか分からなかった。
「ヒッ……!」
 ただ、ぐちゅり、とまた身体の奥で指が動かされ、それが同じ箇所を擦って、ユアンは汗まみれの腰を跳ね上げた。
「ああぁッ、そこは、だめだッ……ッあ、あっ!」
「何を言っている。この程度で、まだまだ終わるわけがなかろう」
 ユアンがどれほど叫び、逃れたいように腰を振りたくってもがいても、フィロネルは嗤いながらそこを責めることを止めなかった。
 自分の身に何が起きているのか分からないまま、ユアンは幾度となく全身を痙攣させて、無慈悲で凶悪な快楽に振り回された。腰の奥をどろどろに熔かされて掻き回され、炙られて尚おさまらない灼熱感に、何度も気が遠くなった。その度にペニスを潰れるほど握られ、悲鳴を上げながら正気付いた。神経がおかしくなったように勃起がおさまらないそこは、その先端からひたすらにたらたらと、白い精液混じりの蜜をこぼし続けていた。

 何度そんなことを繰り返したのかも分からず、気が付いたらユアンは口に水差しの細い注ぎ口を突っ込まれ、必死で水を飲み下していた。濃紺の髪がびっしょり濡れるほど汗まみれになり叫び続けた身体に、ぬるい水は極上に甘かった。
 いつの間にか、窓の外では鈍い色の陽が沈もうとしていた。ペニスは未だ戒めから解放されず、身体の昂ぶりのせいなのかおかしな薬のせいなのか、ずくずくと燃え上がるように疼いたままだった。
 ユアンに水を飲ませた後、既に身動きする余力もなく思考力も緩慢になったままのその下の孔に、フィロネルは奇妙な形をした器具を押し込んだ。
「ひぃっ……ひ、ひぁ……ああ、あ」
 とろけきったそこは簡単に器具を飲み込み、途端にユアンが力なく腰を動かしてびくびくと震えた。
 押し込まれた器具は、ユアン自身の無意識の肉の収縮によって蠢き、その下腹の奥にある快楽の核を的確に圧迫していた。フィロネルによってさんざんに嬲られたそこを、再び淫具で蹂躙され、ユアンは涙を流して囚われたソファの上で身悶えた。
「あ、あっ……も、もう、やめ、て……くれ……」
 嵐のような身体の奥での絶頂の連続に、ユアンは既にまともに動けないほど消耗していた。しかし含まされた催淫剤の効果は依然として続き、もう苦しいと全身が悲鳴を上げているのに、腰だけは別の生き物になってしまったように疼いて灼熱し続けている。ペニスの戒めを解かれて射精していればまた違ったのかもしれないが、薄く嗤いながら冷酷にユアンを見下ろすフィロネルは、少しの解放を与えるつもりもないようだった。
「俺はこれから宴に出ねばならん。戻ってきたら抱いてやるから、それまではそれで愉しんでいろ」
 朦朧としかかった頭でそれを聞き、ユアンは汗と涙にまみれて絶望に打ちひしがれた目許を歪ませた。
「そんな……あっ……あ、うあぁあッ」
 だがろくに言葉も出せないうちに、窄まりに食まされた器具に身体の奥を抉られ、抗うこともできずまた腰をびくびくと揺らした。溜め込んだ熱を放出することを許されず、薬に浸された身体はソファの上でくねり、跳ね、ぐたりと緩む。しかしフィロネルの指よりもいっそ無慈悲な器具は、憐れな身体を一時たりとも休ませることなく、その奥を苛み続けた。
 明かりも灯さないまま、フィロネルは部屋を出ていってしまった。後に残されたユアンは、ソファに拘束されたままの身体をひくつかせ悶えながら、解放されることのない快楽という名の地獄に喘ぎ続ける他になかった。

 そこからの自分がどうなったのか、ユアンはよく覚えていない。濁った薄い月明かりだけの差す暗い部屋で、一人でひたすら悶え、気を失ってはまた目覚めて悶えることを繰り返していた。
 途切れ途切れの意識の中、ひどくどろついた悪夢そのままに、気が付いたらベッドで恐ろしいばかりに美しい黄金の髪を持つ者に貪られていた。魔物だ、と思った。狂おしい欲望にアメジストの双眸を妖しくぎらつかせ、こちらを組み敷いて貪る魔物。喰われるのかと思いながら揺すられるうち、自分でも知らないうちに狂ったような嬌声を上げていた。下腹に入り込み、ごりごりとあの箇所を擦りたて突き上げる灼熱に、思考力も気力も何もかもどろりと蕩けて完全に形を無くしていた。
 絡んでくる舌を欲望のままに受け入れて吸い、それよりもさらに強く吸われてねぶられながら、ユアンは奇妙な愉悦を覚えて笑っていた。捕食される恍惚が指先までも浸し、容赦なく掻き回される内臓をもっと暴かれたいように、ユアンは大きく脚を開き、すべてをさらけ出してのけぞっていた。


 そして泥のように眠り、灰色の光の差し込む部屋のベッドで、一人目を覚ました。狂気のような行為の跡を残して荒れたベッドと、何一つ身につけずに横になっていた身体のあちらこちらに残る痣や噛み痕、下腹部に残る鈍い重さが、狂乱のすべてが夢ではなかったことを示していた。
 相変わらず鈍い色の空は、今が何時なのかも分からない。雨が降ってるようで、景色は霞み、遠くの山稜は見えなかった。
 ユアンはなんとか薄いガウンだけ羽織ると、悪夢の続きのように揺れてぐらつく足許を懸命に踏みしめ、洗面台に辿り着くと嘔吐した。半病人同然だったところに強いられた無理な営みのせいか、含まされたおかしな薬の副作用なのか。もう異様な昂ぶりは消えていたが、全身が真っ直ぐに立てないほどだるく、頭に靄がかかったようで、眩暈に視界が定まらなかった。
 震えて力の入らない手で台に縋り付き、ようやく少しは吐き気がおさまってから、正面の鏡に映る己の姿が目に入った。ユアンは苦痛に潤みがちの藍色の瞳を見開いた。
 あの美しく残忍で傲慢な魔物にいいように貪られ、辱められた痕跡の残る己の裸体も、病んだようにやつれて隈ができ眼窩の落ち窪んだ己の貌も、痛々しくありながらぞっとするほど淫猥で、まるで自分ではないようだった。
 記憶はおぼろげで断片的ながら、昨夜の自分がフィロネルのものを下腹に咥え込んで喘いでいたことと、その蝕まれるように甘美で醜悪な快楽に完全に惑溺していたことを、頭ではなく身体が克明に覚えていた。
 ずるずるとその場に座り込みながら、ユアンは震えた。あの美しく恐ろしい魔物の持つ毒が自分を犯し、血の一適にまで染み渡って広がってゆく。己に喰い込み浸蝕し変貌させてゆく、その逃れようもない牙が目に見えるようだった。
 ​​​──屈するものか。
 誰もいない部屋の隅で、抑えることもできずに嗚咽しながら、ユアンはただ呪文のようにそう念じていた。
 何をどれだけ強いられても、指先まで毒に浸されても、心だけは屈するものか。こんな身体などくれてやる。そして必ず、その傲慢な喉笛を引き裂いてやる。
 身体の奥に残る疼きに震えながら繰り返すうち、意識が遠のいていた。自分の身体がそのまま床にくずおれたことすら、ユアンには分からなかった。

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