遣らずの里 (一)

 新吉は、旅をしながら様々なものを売る。
 通りすがった集落で、草履や笠、ちょっとした小物や日用品、装飾品などを仕入れ、すれ違う旅人相手や違う集落で売ったりする。道すがらの野山になっている季節の果実や薬草、川原で拾った綺麗めな石などを売ることもあれば、怪しげな占屋うらてやに押しつけられた魔除け道具、一見さも霊験あらたかそうな呪札などといった、がらくたと紙一重なものも売る。
 要は、あまり荷物にならず、どこかで売れそうな品なら何でも良い。
 この日も新吉は、よく晴れた空を臨む峠茶屋の近くで、休憩がてら藁莚わらむしろに売り物を広げていた。
 口寂しさに、噛むと甘い味がしてくる小枝を咥えながら、高い青空をぼうっと眺める。
 ひときわ蒸し暑かった夏がようやく去り、近頃は気候が良く過ごしやすい。山麓ではまだ本格的な紅葉には早いが、山の高い場所では、秋神様の気もそぞろとばかりに、空気が冷えて木々が色付き始めている。
 そのせいか、路ゆく旅人の姿も、真夏の頃よりは随分増えていた。
 特に昨今は、京師みやこのほうから余所へ向かう姿が多い。お偉い人達のあいだで跡目相続を巡る大きな争いが長いこと続き、それが発端となって、すっかり世の中は不安定になってしまった。争いの間に何度も焼けた洛中も、その周囲も荒れて、よそへ逃げ出す人々が増えている。
 おかげで各地で人々の行き交いや交易が増え、気ままな行商を営む新吉も助かっているが、そのかわりただでさえ良いとは言えなかった治安は、いっそう物騒になった。
 このあたりの街道筋は、麓の里がよく治められているせいもあって、今のところ穏やかだ。それでも、山賊や物盗りに襲われない保証はない。
 新吉は何かあればすぐさま荷をたたんで立ち去れるよう、骨休めしつつも、注意は怠っていなかった。
「あの、もし」
 そんな新吉のささやかな露店の前に、ひとりの旅人が立った。
 声をかけられて、一瞬新吉は驚いた。そう油断していたつもりはなかったのだが、その旅人がいったいいつ、どの方角から近付いてきて藁筵の前に立ったのか、まったく気付かなかったからだ。
「はいはい。何かお探しのものはありましたかね、旅の人」
 だがすぐに気を取り直し、にこやかに相手を見上げた。白い被衣が目に入る。ふわりと、かすかに甘いような、柔らかい匂いが香った。
「その端切れを、いただけますか」
 高くも低くもないやわらかな声が言い、白い被衣の下から伸ばされた細い指が、藁筵の隅のほうに置かれていた端切れを差した。白魚のような手とはこのことか、と思うほど美しい、疵ひとつ、あかぎれひとつない手だった。骨張ってはいないが、女性の手というにはまろみが足りない気もする。
「はいよ、これだね。よければ他にもっとあるが。何に使うんだい?」
 これはまた、お忍びの何処ぞのお姫様か、はたまたそのお付きの者といったところだろうか。新吉は品定めをしながら、目線を上げて愛想良く受け応えた。
「連れが怪我をしてしまって。傷にあてる包帯にしようかと」
 旅人が藁筵の前に屈み、白い被衣の下から、白い顔が新吉を見返した。そこにあったのは、線の細い、見たことも無いほど綺麗な顔立ちだった。男か女か判じかねる印象だったが、被衣の下には、男帯で締められた淡い茄子紺の着物が見えた。
「そいつはいけない。どこに、どの程度の怪我をしたんだい?」
 それはそれとして、新吉は後ろによけておいた荷物袋を引き寄せる。お客がどこの誰であろうと、払うものさえ払ってくれれば構うことではない。
「そう大袈裟なものではないのですが。腕を少しばかり切ってしまって」
「そうかい。しかしまあ、用心にこしたことはねぇなあ」
 新吉は袋の中から、さらに何枚かの端切れと、乾かした薬草を軟膏にして詰めた小さな容器を取り出した。
「こいつは血止めと、痛み止めになる。そのへんの適当な葉っぱを見つくろって、こいつを塗って傷口に当てるといい。そのほうが布も汚れない。こいつと、こっちの端切れをつけて、このくらいでどうさね」
 相場よりかなり手頃な価格をつい言ってしまったのは、被衣の下で首を傾げるようにした旅人のどこか儚げな美しい容貌に、思わず見とれてしまったせいだった、と言えなくもない。
 まあ、滅多に見られないような、これほどの上玉だ。目の保養になると思えば、たまにはこんなことがあっても良いだろう。
「ありがとうございます。それでいただけますか」
「おうよ、──あいてててッ」
 あんがとさん、と言いかけたときだった。左肩から首を伝い、後頭部にかけて、ぴしり、とまるで皮膚の下で何かが弾けたような痛みが走った。
 ──りーん……
「……ッてぇなあ。ああ、すまんね。最近ときどきこうなるんだよ」
 歳かねえ、と笑いながら、新吉は端切れと薬草の容器をひとつにまとめる。手渡そうとして、被衣の下から旅人がじっと、まるで射るようにこちらを見つめていることに気付いた。
「ん? どうかしたかい、旅の人?」
 まだ首の後ろに痛みがあり、新吉はそこを揉みほぐす。
 旅人は新吉を見つめながら、その瞳をすがめるようにした。
「その痛みは……」
「うん?」
「その痛みは、いつから?」
 ──りーん……
 どこからともなく鈴のような何か綺麗な音が聞こえて、新吉はあたりを見回した。特になにも、変わったものは目に付かなかった。
「いつからかねえ。うーん。ひどくなったのは、わりとここ最近だなあ」
 左肩が凝りやすいのは昔からだ。ひとつきほど前からそれがさらにひどくなり、半月ほど前からは、まるで何かが乗っているように重く感じられるようになった。今のようにぴしりと、肩から後頭部にかけて痛みが走るようになったのは、ここ数日の出来事だ。
 やけに強い視線で見つめてくる旅人が気になり、新吉はだんだん居心地が悪くなってきた。
「な、なんだい? 俺の肩が、何かどうかしたってのかい?」
 ふっ、と。白い被衣の下で、旅人の形の整った桜色の唇が、淡く笑った。
「貴方様。そのままだと、近いうちに死にますよ」
 ──りーん……
「へぇ、そうかい……って、──へぇっ!?」
 頓狂な声を出してしまった。突然何を言われたのか理解できず、新吉は目を丸くして、藁筵の前に屈んでじっとこちらを見つめている旅人を見返した。
「な、なんだよ藪から棒に。急に変なことを言わねぇでくれよ、旅のひ……」
 そこでぎょっと、声を失った。
 ──りーん……
 身じろぎもせずこちらを見つめてくる旅人の目の色に、新吉は釘付けになる。白い被衣の下にある旅人の目は、まるで紫の雪割草のような色をしていた。
 ──なんだ、こいつのこの目の色は?
 おかしいのは目の色ばかりではない。その肩の上で切り揃えられている髪は、とびきり上等の正絹のように真っ白だった。老人のようなぱさついて乾いた白髪ではなく、しっとりとした美しい艶を帯びた、はじめからそういう色・・・・・なのだという髪色。
 何より新吉がぎょっとしたのは、なぜこの被衣の下にある異様な色彩に、今の今まで気付かなかったのか、ということだった。この旅人が目の前に立ち、それを見上げたときから、確かに自分はその髪や目を見ていたはずなのに。
 ──りーん……
「貴方様」
「ひっ」
 異彩を纏う旅人が、また口を開いて呼びかけてきた。それだけで、新吉は仰天して腰を抜かしていた。
 白い被衣を被った、この美しいが異様な相手から目を離せない。急に自分のいるこの場所が、当たり前の日常から切り離されて歪んでしまったようだった。ひとが在るべきではない場所に、突然取り込まれてしまったような悪寒。ざわっと、全身に鳥肌が立った。
 ──こいつは人間じゃあない。
 地べたに尻餅をついた格好のまま相手を凝視しながら、新吉はごくりと生唾を飲んだ。
 人じゃあないなら何なのか、というのはまるで分からないが、自分の属する世界とはなから異質なものを前に、震え上がるような恐怖が爪先からぞわぞわと這い上がってきた。
 ──りーん……
「貴方様の左の肩。さぞかし重いでしょう?」
 震えている新吉を紫の瞳で眺めたまま、異彩の旅人が問いかけてきた。
 その声音は今までと変わらず、しっとりと柔らかい。その唇は、優しげな微笑を含んでさえいる。
 だがそれが尚更、笑顔で凶器を突きつけられているようで、震えるしかない新吉には恐ろしかった。
「な、な、な……なんだって、いうんだよ……?」
「だって、居ますから。貴方様の肩の上に、可哀相な子が」
 異彩の旅人が呟くように言った、そのときだった。ぐうっと、新吉の左肩が、上から押されるようにいっそう重くなった。
「ひっ……!?」
 重みを持つ何か「四ツ脚のもの」が、明らかに左の肩に乗っていた。と共に、ぐるるる、と、耳のすぐ横で、何かの獣の喉が唸った。血生臭い腐臭がする。耳朶にかかる、生あたたかい息遣い。
「ひ、ひ……あ、ひっ……」
 今自分の肩の上にいる「これ」は、この世のものじゃない。と、新吉は本能的に理解していた。
 恐怖のあまり、顔を動かして左肩を見ることが出来ない。でも、そこに「恐ろしいもの」いることだけは分かる。恨めしそうに喉の奥をぐるぐると鳴らしながら、血生臭い息を吐きながら、新吉のことを今にも喰い殺さんとしている──「四ツ脚の獣」が。
 ──りーん……
「その子のことを、覚えていませんか?」
 白い被衣を揺らしながら、異彩の旅人が立ち上がった。新吉は震えながら、必死でぶんぶんとかぶりを振った。
「しっ、し、知らないっ……知らねぇよぉ」
 そうですか、と旅人は呟き、少しの間沈黙した。
「その子は、あなたが子供の頃に弄んで投げ捨てた、可哀相ないたちの仔です」
「いた……ち?」
 ──りーん……
「そう。親とはぐれて迷っているところを、運悪く子供の頃のあなたに見付かってしまった。可哀相な子です。子供のあなたは、その無力で小さな鼬の仔を、さんざん虐めて傷つけて、しまいには飽きて、まだ息があるうちに谷底に投げ捨てた。──覚えていませんか?」
 淡々と告げられる言葉に、新吉は必死で幼い頃の記憶を掘り返す。鼬の仔。虐めて傷つけて、谷底に投げ捨てた……
「あ……」
 ──りーん……
 うっすらと、霞がかった記憶が甦ってくる。小さく温かい獣の仔。森の中で見付けたそれは、その時点でかなり弱っていた。やわらかくて温かなその身体を、興味本位でいじりまわした記憶が、確かにあった。
 思い出すにつれて、苦い唾液が口腔に広がる。無邪気ゆえの残酷な遊びの記憶など、すっかり忘れてしまっていた。幼い新吉にとって、打ち付けたり引っ張ったり叩いたりするたびに弱った鼬の仔が示す反応など、「ただ目新しい」だけ。それは本当に「遊び」にすぎなかった。でも今思い返せば、なんという残酷な遊びであったことだろう。
 ──りーん……
 ざわっ、と、全身が総毛立った。左肩の上にいるものが、耳元で威嚇する声を上げながら、いっそう大きく、重く、真っ黒く膨れ上がるのが分かった。
「その子は、投げ捨てられた谷底で死にきれず、しばらくの間もがき苦しんで、最後は他の獣に見付かって喰われました」
 いたましそうに呟く異彩の旅人を、新吉はただ震えながら見上げるしかできない。紫の瞳が、哀しそうに新吉を──その左肩にいるものを見やった。
「その頃のその子には、ただ恨みと痛みと苦しみがあるだけで、貴方様に祟るほどの力が無かった。無力なまま貴方様に憑いてまわるうちに、徐々にその恨みと憎悪が他の悪しきものを呼び寄せて大きくなり、やがて祟るに充分なモノに育った」
 ──りーん……
「あ、あ、あ」
 すぐ耳元で恐ろしい唸りを聞きながら、新吉はがたがたと震えた。怖ろしさのあまり、涙が出てくる。
 近いうちに死にますよ。という旅人の言葉がよみがえり、新吉は悲鳴を上げて頭を抱えた。
「す、す、すまなかったッ……許してくれ! 許してくれぇ……お、俺はっ……!」
 このままでは、自分はこの左肩にいるモノに祟り殺されてしまう。恨み抜いて怨霊となったばけものが、新吉を楽に殺すはずがない。きっと世にも恐ろしい目に遭って、あの鼬の仔がそうなったのと同じように、惨く死ぬことになるのだ。
 それを思うと、虫が良いのは百も承知で、ただ許してくれと泣き喚く他になかった。いつの間にかあの旅人に向かって、伏し拝むように土下座していた。
 どれくらいそうしていたのか分からない。左肩の重みは、少しも変わっていなかった。むしろ増したように感じられた。
 泣き喚く声も嗄れた頃、じっと佇んでいた旅人が、ふうと溜め息をこぼすのが聞こえた。
 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、震えながら見上げると、新吉を──その左肩を──憐れみを含んだ異彩の双眸で見つめながら、旅人が右の指先を小さく動かした。被衣の下で、修験者がやるような形を、白い指が手早くいくつか結ぶ。新吉の左肩に乗っているものが、ぴくりと反応したのが分かった。
「おいで」
 優しい声だった。旅人がそう言うのに応えるように、ふっと、新吉の左の肩が軽くなった。
 ──りーん……
 何処から聞こえるのか分からない、細く震えるように美しい鈴の音。
 目を見開いていることしか出来ない新吉は、確かに見た。自分の左肩を蹴った真っ黒い四ツ脚が、異彩の旅人に向かって音も無く宙を駆けてゆくのを。
 大きな野犬ほどもあったその真っ黒い躰は、ほんの僅かな距離を駆けるうちに、みるみる小さくなる。異彩の旅人が差しのばした腕を駆け上がる頃には、すっかり小さな「元の姿」に戻っていた。新吉が殺してしまった、あの小さな鼬の仔の姿に。
「この子は、私が連れていきましょう」
 異彩の旅人が、その肩に乗った鼬の仔の首筋を優しく撫でながら言った。
「あ……え……?」
 新吉はまだ動けず、立ち上がれもしないまま、ただ茫然とそれを見上げた。
 その姿を、旅人の異彩の瞳がすいと見やった。冷たく紫の瞳が光り、優しい形をした唇が妖しい笑みを含んだ。
「でも、ご油断めされますな。この子はこの先もずっと、貴方様を見ておりますよ。貴方様が、またどこかで弱いもの虐めをしようものなら……」
「しッ……しない! もうしない、絶対にしないッ!」
 悲鳴のような声で、すぐさま新吉は否定した。それは心からの叫びだった。恐ろしいのもあるが、幼い頃の自分を責める思いもあった。
 助かったという実感がまだ湧かず、だが気持ちの張りが緩んで、またぼろぼろと涙があふれ出てくる。新吉はその場に突っ伏して、しばらくの間、もう絶対にしない、と譫言うわごとのように繰り返していた。
 そのうちふと、頬に心地良い風が当たるのに気が付いた。まだ少々視線が虚ろなまま、ゆっくりと顔を上げる。
 途端、夢から覚めたように、まばたいた。
「……あん、れぇ……?」
 そこは、何事もなかったように明るい陽光に照らされている、峠茶屋のそばの道端だった。澄み切った空は秋の訪れを物語るように高く、様々な野鳥の声を響かせている。
 きょろきょろとあたりを見回してみたが、あの異彩の旅人の姿は、どこにも見当たらなかった。鼬の仔もいない。
 そして、あれほど悩まされていた左肩の痛みと重さは、きれいに無くなっていた。
 何かに化かされたような気さえする、嘘のように平穏な峠の風景を、新吉はまだ気持ちの切り替えができないまま、茫然と座り込んで眺めていた。
 そのうち、目の前に広げられた藁筵に何気なく視線を落とした。あ、と気付く。
 そこからは、あの旅人の所望した端切れは無くなっていた。そのかわり、新吉が申し出た額と同じだけのびた銭が、きちんと揃えて置かれていた。

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