一週間後に咲く花へ (5)

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 手が不自由なアゲハのかわりに、慧生は夕食の後片付けもしてくれた。
 きちんと片付いたキッチン全体を見て、この人は本来自分のことは自分でできる人なんだなぁ、とアゲハは思う。
 アゲハがこの家に来たばかりの頃は、家中が荒れ果ててひどいありさまだったけれど、散らかっていたものを片付けてしまえば、掃除には思ったほど時間はかからなかった。普段はあまり開かない箪笥や収納棚などは整頓されていたし、あそこまでの状態に陥ったのは、汚れ具合からしてこの一ヶ月程のことではないかと予想した。
 あれから慧生は煙草も吸う様子がないから、灰皿はしまっておいた。家の空気は静謐に澄んでいて、それは乱される気配はない。
 けれど少なくとも、今この状態を保つことができているのは、アゲハが家事をしているおかげだった。慧生は原稿を書いている間は、周囲の様子に完全に無頓着だったし、書いていないときは心ここにあらずという様子で、ぼうっとしていることが多かった。
 慧生は思っていることをあまり口に出さないから、そうしたときに何を考えているのかは、アゲハには分からない。
 今回の原稿が終わっても、またすぐに次の依頼がやってくるだろう。あんな慧生を見ていると、今は無理をしてまで仕事を請けないでほしい、とアゲハは思うが、慧生が請けるというなら、口出しできる権利はない。
 ​​​自分にできるのは、できるだけ慧生の邪魔をしないこと。それから、少しでも慧生の生活環境を快適にすること。
 そう心に呟きながら、アゲハは慧生の手当てしてくれた両手の包帯を、少し切ない思いで眺めていた。


 アゲハがここに住むようになってから、慧生はゲストルームを与えてくれようとしているのだが、アゲハはそれを頑なに断っていた。荷物もない自分に個人のスペースは必要なかったし、第一にアゲハは「ゲスト」ではない。
 眠るときは、リビングのソファを借りている。ゆったりしたソファは寝心地も良くて、小柄なアゲハにはベッドがわりとして充分だった。
 そろそろ休む頃合になると、誰からともなくリビングの主照明を落とす。ソファ脇のキャビネットの上には小さなスタンドがあって、部屋の明かりを落としたあとも、ちょっと何かを見たり読んだりするのに不自由はなかった。
 主照明を落とした後の、しっとりと静かな夜の空気と、部屋の白い壁が間接照明にふわりと照らし出される、穏やかな時間。
 そんな中でソファに座り、寝る前に毛布にくるまって慧生の貸してくれた本を読むことが、近頃はアゲハの楽しみのひとつになっていた。
 リビングの明かりを落とした後、いつものように枕と毛布を別室から取ってきたところで、アゲハはキッチンから出て来た慧生の姿を見付けた。
「あ。慧生さん」
 慧生は食事の後に入浴を済ませて、今はナイトウェアがわりのスウェット姿になっている。そんなラフな格好の慧生もまた新鮮で、アゲハはいつものごとく数秒ほわりと見とれた後、慧生の右手がミネラルウォーターのペットボトルを持っていることに気が付いた。
「何か、飲みものをお入れしましょうか?」
「いや、大丈夫。もうすぐ寝るから」
 ここ数日一緒に過ごして分かったことだが、慧生は普通の「水」もしくは強めの炭酸水を、飲料としてよく好んでいる。けっこうお酒も飲む人のはずだけれど、少なくともアゲハが来てからは口にしていない。
 原稿もひとまず終わったし、今夜は飲むかしらとアゲハは思っていたのだが、その様子はなさそうだ。
 そうですか、それじゃあおやすみなさい、と毛布をかかえたまま慧生にお辞儀をして、アゲハはベッド代わりのソファに足を運んだ。
 アゲハは今日は入浴を控えたから、着替えるタイミングがなくて洋服のままだ。基本的には人間のように代謝による汚れはないとはいえ、「普通の生活」を送るだけでも多少の汚れは付着する。それにアゲハは純粋に入浴が好きだったから、傷のためとはいえ今日のお風呂を見送ったのは、ちょっと残念だった。
 明日は、手が濡れないように対策しよう。いや、ぶっちゃけ感染症の心配は要らないのだから濡れても良かったのだけど、慧生がせっかくきれいに巻いてくれた包帯を濡らしてしまうなんて、そんなことが出来るわけもない。
 アゲハはベッドがわりのソファに上がると、パジャマに着替え始めた。淡い空色をしたこのパジャマも、慧生の服では大きすぎるからと、ここに来てから慧生に買ってもらったものだ。
 ズボンはあまり苦もなく履き替えられたものの、指まで包帯ぐるぐるの上にけっこう痛む手で上着のボタンを留めるのは、思いのほか難しかった。アゲハはソファの上にぺたんと座って、真剣に、しかし傍目にはもたもたと、ボタンを留めにかかった。
 やっと下の二つを留めたとき、アゲハはふと視線を感じた。熱中してしまっていたので気付かなかったが、リビングの出入り口あたりに慧生が佇んだまま、アゲハのことを見つめていた。
「あ、あれ? どうかしましたか、慧生さん」
 思わぬところにじっと向けられていた視線に、アゲハはどぎまぎした。
「いや」
 慧生はそれだけ言って、アゲハのいるソファに歩み寄ってきた。
 アゲハの傍らに腰を下ろすと、すっとパジャマの合わせ目に手を伸ばしてくる。アゲハはどきりを通り越してぎょっとしてしまったが、何のことはない、慧生の指はアゲハがうまく留められずにいたボタンをかけてくれた。
「……す、すみません」
 アゲハがもたついていたのを、よほど見かねたのだろう。嬉しいと思う反面、まるで小さな子供みたいだという恥ずかしさとで、頬が熱を持った。
「いや。俺のせいだから」
 慧生は淡白に答え、ボタンを下から順に留めてゆく。その仕種が丁寧で、アゲハはまた胸がどぎまぎしてきた。
 慧生に関わることだと、呆れるほどたわいもなく、胸が高まったり、心が弾んだり、逆にしおれたりする。
 アルファトリニティにいた頃から、慧生のことを特別に慕っていたが、それは深く崇高で、まるで何かに祈るように安定した感情だった。
 生身の慧生に出会って、その声を聞いて、間近で接しているうちに、どんどん気持ちの振れ幅が大きくなってゆく。少しでも気にかけてくれることが嬉しくて、でも切なくて。やわらかな明かりの中で慧生がパジャマのボタンをかけてくれる、ただそれだけのこの時間が、ずっと終わらなければ良いのにとさえアゲハ思った。
 勿論そんなことはあるはずもなく、じきに慧生の指はいちばん上のボタンに辿りついた。ボタンを留め、襟を軽く直してくれてから、その手が離れる。
「……ありがとうございます」
 慧生がさっきまでふれてくれていた襟元を、無意識のうちに包帯だらけの手で押さえていた。そこに、慧生の体温が残っている気がする。やけに顔がぽかぽかするのは、頬に血が昇ってしまったせいだろうか。
 慧生は立ち上がろうとせず、その手が今度はさっきよりも高く持ち上げられた。暖色の明かりを受けてプラチナのように煌めくアゲハの髪を、やんわりと撫でる。
「してほしいことは、他にある?」
 言葉を選ぶような少しの間のあと、慧生が問いかけてきた。
 その一瞬、髪を撫でていた彼の指が耳をかすめて、アゲハはびくっとしてしまった。
 勿論それは慧生の故意ではないだろうし、その問いかけも、手が不自由なアゲハに対する気遣いだろう。そう思いながらも、アゲハはいっそう頬が熱くなって、身体をきゅっと竦めた。
 髪を撫でる掌と、問いかけてきた声音の穏やかさに、アゲハは気持ちが緩みそうになりながら、慧生を見上げた。
 そんなふうに優しくされたら、甘えてしまいたくなる。そんなことはしてはいけない、と分かっているのに。
 慧生の翡翠の瞳は暖かみのある光を受けて、秋に色付き始めた木の葉のような、優しく憂いを含んだ色合いに見えた。それがとても綺麗で、ふわりと照らされた彼の頬の輪郭が柔らかくて……アゲハはふるっと、胸を震わせた。
 慧生さんは、ごほうびをくれようとしてるんだろうか。僕が慧生さんのために手を怪我してしまったから、いたわってくれてるんだろうか?
 それなら……今だけ、少しだけ、おねだりしてもいいだろうか……?
「……ぎゅっと、……して、ほしいです」
 慧生を直視してねだることは、とてもできなかった。うつむき、つっかえながらようやく望みを口にした途端、今までの比ではない熱さで、かあああッと顔が赤くなった。
 言ってしまった。なんて大胆なお願いをしてしまったんだろう。こんなことを言って、呆れられてしまったかもしれない。やっぱり言わなければよかった。どうしよう、どうしよう。
 ぐるぐると後悔がせめぎあい、泣きたい気持ちで身体が竦んだ。
 ほんの数秒、でもアゲハにはひどく長く感じられた間の後、ぎしり、とソファが軋んだ。強張って小さく震えている身体を、優しい力で抱き寄せられた。
 ぎゅっと、慧生の腕がアゲハを抱き込む。
 アゲハの身体よりもずっと広い胸板と、すんなりと長い腕。包み込まれたあたたかさの中に、慧生の使っているシャンプーの匂いが淡くかすめた。
 アゲハを抱き締めた慧生の手が、その小さな後頭部をゆっくり撫でる。極上の銀糸よりも尚透けるように輝く、仄かな虹色の光を帯びた髪に、慧生の骨ばっているけれど優しい指がからむ。
 思っていたよりしっかりと抱き寄せられたアゲハは、硬直してしまった。壊れるのではないか、というくらいばくばくと心臓が早鐘を打ち、指先まで嘘のように熱を持つ。
 目がまわるかと思うほど頭が熱くなり、呼吸も止まってしまうかと思ったけれど、密着した慧生の生身の体温を認識したとき、おずおずとアゲハの腕が持ち上がっていた。
 いけない、と咎める思いと裏腹に、細い腕が慧生を抱き返す。
 ごめんなさい。いけないのに。こんなことはいけないのに。
 でも、今こうするだけ……今だけだから。
 あふれそうになる想いを懸命に飲み込んでいると、少し慧生の腕が緩んだ。アゲハの小さな顎に、長い指がふれてくる。
 思わずびくっとアゲハは反応したが、構わずに慧生の指は、その顎を持ち上げた。
「慧生、さん……?」
 呼吸も忘れて、慧生を見上げる。その唇に、少しひやりとした唇が重ねられた。
 一週間前のあの夜と同じ、優しくいたわるような唇。けれどアゲハが目を瞠って動けないうちに、それは繰り返しアゲハの桜色の唇にふれる。体温が移ってゆく。
 ふるっとアゲハの全身が震え、かあっと一瞬で頭に血が昇った。
 それに押し出されるように、涙が浮く。慧生の腕の中、弱々しい力で、アゲハはもがいた。
「……だ、だめです……いやだッ……」
 胸が破裂しそうだった。嬉しいはずなのに、悲鳴を上げたいほどの切なさと哀しさが駆け巡って、眩暈がした。
 心臓がどきどきして、頭が煮えるように熱い。怒濤のように込み上げてきた激しい感情に、胸が押し潰されそうなほど苦しい。
 ぼろぼろっと涙がこぼれた。なんとかもがいて、アゲハは必死で慧生から顔をそむけ、腕をふりほどいた。
「なんでっ……あなたには、美玲羽さんがいるのに……なんで、僕にキスなんてするんですか……なんで……ッ」
 このひとは僕のものじゃない。このひとの唇も腕も、僕のものじゃない。
「僕は、馬鹿だから……こんなふうにされたら、期待してしまうからっ……やめてください。期待、させないで……ッ」
 自分でも混乱し、苦しさと感情のまま悲鳴のように口走ってしまってから、はっとした。どっと、猛烈な後悔が湧き上がる。
 だって、慧生は悪くないのに。いたわってくれているだけなのに。
 アゲハが好きになる前から慧生には美玲羽がいて、アゲハが勝手に横から好きになった。しかも、アゲハは一方的に送りつけられただけの、ただの「機械人形」なのに。
 そう。「機械相手」なんて、このひとは考えてもいない。だからこそこんなに簡単に、アゲハにキスをする。きっと慧生にとっては、むずかる子供か、ペットにキスをするくらいの感覚なのだろう。
 アゲハは涙でくしゃくしゃの顔を手で隠して、ひっくひっくとしゃくりあげた。自分の言動が支離滅裂なことは分かっていたけれど、どうしようもなかった。
「ごめっ……ごめん、なさい……ぼくが、さいしょに、あなたにキスをしたからっ……だから、それだけなの、わかってます……ごめんなさ……ごめんなさいっ……」
 自分でももう、ケースから目覚めた最初の夜に、どうしてあれほど簡単に彼にふれてキスができたのか分からない。
 たった一週間前のことなのに。あのときよりずっとずっと、今の方が彼のことを好きになっている。指先がふれただけで火傷しそうに熱くなって、吐息がかかるだけで眩暈がする。たった一週間で、こんなに気持ちは変わるものなのかと、自分でも驚く。
 慧生は黙り込んでいる。当たり前だろう。抱き締めてほしいと要求されて、それを叶えて、きっと彼としては気軽な気持ちでキスをしただけなのだから。
 ふう、と、慧生から溜め息が聞こえた。アゲハはビクッとする。きっと怒らせた。呆れさせてしまった。僕が馬鹿だから。そんな思いで頭がいっぱいになっていると、長いようで短い沈黙の後、慧生が口を開いた。
「……美玲羽とは、もう別れるよ」
 涙が止まらずしゃくりあげていたアゲハは、耳を打ったその言葉に、目をぱちくりさせた。
「え……?」
「いや。だからって、おまえにこんなことをしていいってことにはならないけど」
 見ると、慧生は決まり悪そうに、どこか子供っぽくも見える表情で、顔をそらしていた。
 思わぬ反応と言葉に、アゲハは頭が混乱する。けれど耳に、彼の宣言ははっきりと残っていた。
「美玲羽さんと……おわかれ、するんですか……?」
 慧生が翡翠の瞳を持ち上げる。真っ直ぐな翡翠の色は鮮やかに透明で、アゲハの心臓がまた射貫かれたように、どきりと高鳴った。
「うん。仕事が一段落してから、美玲羽と話すつもりだった。これ以上は、もう無理だから」
 慧生の声音に迷いはなく、一瞬伏せられた瞳に、押し殺したような痛みがよぎった。けれど痛みよりも、強い意思の方が上回っているように、その眼差しは澄んでいた。
「そう、なんですか……」
 それは素直に喜ぶには、いろいろと事情が入り乱れすぎた宣言だった。慧生がどれほど彼女のことを想ってきたのか、彼女の存在がどれほど慧生にとって大きいのか、アゲハは少なからず見知っていたから。
 けれどそれでも、その宣言は現金なほどアゲハを安堵させた。
 美玲羽のことが、うらやましくて妬ましくて仕方がなかった。慧生が彼女と別れると聞いて、どうしても安堵せずにいられない。
 もっとも、だからといって慧生が自分のものになるだなんて思わないけれど。
 ようやく少し落ち着いてきたアゲハは、フと疑問に思った。
 ──あれ? でも、美玲羽さんがいるのにキスなんかしないで、と言った後にこの話って、どういうことだろう。いや、何も深い意味はなくて、言われたから答えただけなのかもしれないけれど。
 慧生を見上げる紅い瞳が、どきどきと戸惑いながら、熱を持った。
「あの……慧生さん……」
 どうして、僕にキスなんてするんですか?
 その問いかけは、口には出来なかった。見上げた慧生の瞳が、じっとアゲハを見返していたから。
 落ち着かない胸を押さえていることが精一杯で、目を逸らせない。いつもはもっと淡々として、感情を読みにくい瞳が、なぜか今はいつもより翡翠の色を深めているように見える。
 ああ。本当に、このひとはなんて綺麗な表情をするんだろう。それに……こんなときのこの人は、なんて色っぽいんだろう。
 引き込まれるように見とれているうちに、慧生の整った指がアゲハの頬にふれてきた。そのまま指先が、小さな唇を辿る。アゲハは大きく瞳を見開いて、ますます身動きできなくなった。
「あっ、あの……け、慧生さん……?」
 心臓が跳び上がりそうなほど動揺して、震える声でかろうじで名を呼ぶと、はっとしたように慧生がまばたいた。自分で自分に驚いたように、その手が引かれた。
「ごめん。……そうだよな」
 我に返ったような慧生の仕種と呟きに、すうっと、アゲハの頭の芯から熱がひいた。
 まだ心臓はどきどきしている、指先も熱を持っている。けれど頭の奥が、他人を見るような冷静さで、急速に理性の支配下に置かれてゆく。
 そうだよな。って、何が「そう」なんですか。慧生さん。
 僕が「機械」だから、ですか?
「……そうですよね……」
 慧生には聞こえないほどの小さな声で、アゲハは呟いた。泣きたいような切ない痛みが、また胸の奥に走った。
 慧生がキスをしてくれるのは、ただのいたわり。それ以上でもそれ以下でもない。
 平気。きちんと分かっている。多くを望んではいけない。慧生に嫌われていない、というだけで充分なのだと、きちんと理解している。
 アゲハは痛みの一切を飲み込んで、顔を上げた。いつものように、にこりと、慧生に笑いかける。
「慧生さん。もうひとつ、おねだりしても良いですか?」
「え?」
 俯いて何か考えているふうだった慧生が、アゲハの声に見返った。しくしくする痛みは胸の奥に押し殺して、アゲハは最大限に自然な笑顔を作った。
 いたわりであるなら、それ以上でもそれ以下でもないのなら、もう少しだけ甘えさせてほしい。これ以上は期待しないから、どうかあと少しだけ、ごほうびを下さい。
「今日だけ、僕が眠るまでここにいて下さいませんか。なんだかちょっとだけ、人恋しいような気分になってしまって……おかしいですよね、『機械』なのに」

 アゲハは小柄な身体をさらに小さく丸めるようにしてソファに横になり、そのソファに寄りかかる格好で、慧生はラグの上に腰を下ろしていた。
 あれからアゲハは案外すぐに眠りに落ち、くぅくぅと無防備な寝息を立てている。その虹色を帯びた柔らかな髪を、慧生は起こさないように、そっと指で梳いていた。
 そのうち手を止めた慧生は、くしゃりと長めの前髪をかきあげた。かきあげたところで、額を押さえるような格好で、深々と息を吐く。
「まずいな、これは……」
 眠っている白い妖精じみた少年に向けられる、困ったような、自分自身に困惑し戸惑ったような、けれどどうしようもなく可愛いものを見るような、複雑な翡翠色の眼差し。
 ん……とアゲハが身じろぎ、眠ったまま、仔犬のようにもぞもぞと慧生に頭をすりよせてきた。
 天使そのものの寝顔に、慧生は僅かに苦笑めいた顔になる。
 アゲハの包帯だらけの小さな手にそっとふれ、慧生は囁いた。
「今日はありがとう。ゆっくり、おやすみ」

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