三章 赤い涙 (1)

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『おまえがフィロネルか』
 ​​​──突然そう呼びかけられたとき、色々な意味でひどく驚いたのを覚えている。

 当時の自分はまだほんの子供で、それでも自分が「皇子」という特別な立場であることは、なんとなく理解していた。名を呼び捨てにされることは勿論、「おまえ」などという呼び方をされること自体が、まずなかった。父親である皇帝ルカディウス、母親である皇后イザリアからを除いて。
 呼びかけられて振り向いたのは、白っぽい陽光が差し込む回廊でのこと。記憶の底に焼き付いているのは、弱い光の中でも見事に輝いていた黄金の髪と、自分を見つめる鮮やかなアメジスト色の瞳。
 常に誰かしらが傍にいて、決して一人にされることがなかった当時、なぜあのときだけは自分の周りに誰もいなかったのか。曖昧な記憶の中に、その経緯は残っていない。ただ、そのときの自分は「その人」と二人だけだった。絵画から抜け出たように美しいその人は、小さく微笑しながら真っ直ぐに自分を見下ろしていた。

 ​​​──長いこと夢かと思っていた。「その人」とどんな言葉を交わしたのかも、もうよく覚えていない。
 ただどこまでも鮮やかに印象に残っているのは、黄金の髪と紫の瞳。恐いほどに整った美貌。そして、優雅に近付いて来たその人の手が、自分の髪を優しく撫でたこと。

 ​​​──ずっと夢だったのだろうと思っていた。
 それから幾度も星と月が巡って。「あの日」に、それまで記憶の底に沈んでいた「あの光景」を思い出した瞬間。自分の世界は崩壊した。
 ​​​──夢であったのならよかったのに。
 あの光景は、あれほど静謐で白いのに。あそこに立っていた「その人」の姿は、善なる神々の子のように眩しく美しかったのに。「あの日」まで、自分の生きている世界はまだしも誠実で、いくらかの問題はあっても、自分を鼓舞し胸を張り己を誇ることができたのに。

 自分が生きることを強いられた世界は、何故これほどまでに醜く、残酷で、救いようがないのだろう。


 寝台の中でゆっくりと瞬きしたとき、フィロネルはいつにも増してひどい頭痛がした。カーテンや天蓋の幕を通してかなり弱まっているはずの朝の光すら、網膜を刺すように染みて煩わしい。
 夢見の悪さが、気分の悪さにいっそう拍車をかけていた。フィロネルは顔をしかめ、重たい溜め息をつきながら、何度か寝返りを打った末に、ようやく身を引き起こした。
 寝覚めの脳裏にうっすらとゆらめく、遠く呪わしい記憶の残滓がある。頭の痛みは、まるで脳髄を鷲掴みにされているように、強くなり弱くなりを繰り返す。額を押さえ込んだ顔の横に、ばさりと長い黄金の髪が落ちた。
 何故あんな夢を見たのか、それは分かっている。今日は一週間に一度の、「あの場所」を訪ねなければならない日だからだ。忌まわしく呪わしく、できるならば現実からも記憶からも消滅させてしまいたいモノ。
 けれどそこに足を運ばねば、あまりに不孝で不誠実よと周囲に思われ、さらには下手な「疑い」を持たれることになりかねない。
 ​​​──吐き気がする。
 頭の芯を締め付ける頭痛のせいか、それとも呪わしい記憶のせいなのか。今日はこれから、嫌でも更に滅入る場所に足を運ばねばならないせいか。
 訪ねることを止めてしまいたかった。だが一度でもそうすれば、もう二度と足を運べなくなりそうだった。
 声を殺して頭痛と胸の悪さをこらえている脳裏に、ふと、濃紺の髪に藍色の瞳を持つ姿が浮かんだ。
 耐え難く暗く澱んだこの世界で、浄化の炎のようにフィロネルの魂を灼いた存在。恐れ気もなく真っ直ぐに見据えてくる、烈しく鮮烈な美しい瞳。
 思い出したら、あれほど悪かった胸が少しだけ軽く、頭痛が少しだけ和らいだ気がした。自然に、ほんの微かに、唇が笑んでいた。
 出会ったときは、ただ面白そうな玩具に興味を惹かれた程度に思っていたはずだった。興味を惹かれているのは今も変わらないが、その存在は自分の中で日毎に大きさと重さを増してゆく。特定個人に対してこれほど執着したことはなかった自分の変化が興味深くさえあり、あのとき無理に手に入れておいてよかった、と思う。
 ​​​──こんな朝におまえが横にいたら、少しは震えることなく目覚められるのだろうか。そんなことを考え、いよいよ可笑しくなってきて、フィロネルは一人で小さく笑い出した。
 清涼剤を含んだように、すっと頭が冴えるのを感じた。僅かにでも自分を捕らえる澱みが薄れたようで、フィロネルは紫色の瞳を閉じると、ひとつゆっくりと深い息を吐いた。

        ◇

 頭の上で手首を拘束する革の手枷が、ぎし、と軋む音を立てる。大きな寝台の寝心地は素晴らしく良く、背の下には柔らかなクッションが入れられていたが、そんなことはユアンにとっては何ら救いでもなかった。
 嗅ぐとやけに頭の芯がくらりとする甘い香が立ち込める中、いつかその命を絶ってやるという思いだけを支えに、ユアンはひたすら早くこの悪夢のような時が過ぎてくれることを願う。
 フィロネルは飽きもせず、だいたい三日に一度はユアンを閨に招いた。とはいってもばらつきはあり、忙しくて時間が取れないときは一週間近く呼ばれないこともある。余暇があれば、数日続けてのこともある。
 男を抱きたいと思ったこともないユアンには、自分の何にフィロネルが執着しているのか分からなかった。初めて向き合った夜から、フィロネルが何を考えているのか、ユアンには一向に読み取れない。どうせこの男は正気ではないのだとは思うが、政務に携わっているときの冴え冴えとした空気を纏うフィロネルは、ひやりとくるほど冷厳ではあったが、とても狂人には見えない。それが近頃、ユアンを困惑させていた。
 ​​​──どういうつもりで、こんなことをする。
 ​​​──なぜ自分を殺さない。なぜこんなふうに辱める。
 そうフィロネルに問いただしたい気持ちが、日増しに強くなってゆく。だが問えば、何を馬鹿なことをと、どうせいつものように嘲笑われるだけの気もした。
 そうだ、問わなくても分かっている。
 この男にとっては、どうせ自分は歪んだ性欲を満たす為の都合の良い道具にすぎないのだろう。フィロネルは表向きは最高執政者として品行方正な顔をしているから、下手な貴族の令嬢などに、ユアンに対するような扱いはさすがに出来ないはずだ。それこそフィロネルは、ユアンのことを殺そうと思えばいつでも殺せる。そんな者に遠慮は無用だろうし、どんな扱いを受けてもユアンは他言できない。これほど弄ぶに都合の良い相手はいないだろう。
 それを認めることもまた、人間として扱われていない自分を思い知らされて苦しく口惜しかったが、それを承知で現状にしがみ付いたのはユアン自身だった。
 だが、何もかも頭では分かっていても、こうして憎い仇である男に組み伏せられていると、押し殺し切れない様々な思いが脳裏を駆け巡る。
 今夜嵌められている革の枷は、重く硬くひやりとした鉄の枷に比べれば柔らかく、暴れても皮膚が擦り剥けにくいだけましではあった。だが力がこもればどうしても痣は残るし、このやたらに豪奢で悪趣味な寝台に鎖で繋がれている点は変わらない。頭上で手首を合わせて囚われた腕は、人の力では動かしようがない。
 フィロネルはとにかく、普通のやり方でユアンを抱くことがなかった。ユアンの素性からして当然かもしれないが、必ず抵抗できないよう四肢の自由を奪う。今も手首ばかりか足首にも枷を掛けられ、大きく膝を割られていた。脚を広げられたその腰は、寝台では妖しく獰猛な獣のようにユアンを食む黄金の髪の仇の膝の上に、まるで捧げ物よろしく無防備に乗せられていた。
 香油を塗られ、あちらこちらを弄られたユアンの身体は、意思に関わりなく既にうっすらと汗に湿って顕著な反応を見せている。だがユアンは何をされても、硬く唇を引き結び、目を閉じて思い切り顔を横にそむけていた。
 フィロネルの膝の上に腰を乗せられ、何もかも剥き出しで隠す術もない無様な己の有り様は、震えが走るほどに屈辱的だった。見下ろしてくるアメジスト色の眼差しも、そんなユアンの反応をあからさまに愉しんでいることが分かるから、視線など合わせたくなかった。
 目を瞑っていても、向かい合わせの腰が密着し、ユアンの勃たせられたものとフィロネルの欲望の証とが、互いにぬるりとした香油や蜜にまみれて触れ合っているのが分かる。その感触がまたおぞましく、だが強引に高められ疼いているユアンの性感を、否応なしに刺激してもいた。それを自覚すると、ユアンはますます怖気と自己嫌悪とに、きつく拳を握り締めた。
「いい身体つきになってきたな、ユアン」
 ユアンの上半身に、フィロネルがあの妖しく甘く囁くような声で言いながら指を這わせた。
 香油を塗られたユアンの素肌は、揺れる燭台の灯りにひときわ照り映えている。ここに来た当初は骨が浮くほど痩せていた身体だが、最近は剣技を磨き身体を鍛える時間を与えられるようになっていた。
 いくらか厚みの出てきた胸板から、腹筋の浮いた腹部へ、締まった脇腹へ。その若々しく張りのある感触を愛でるように伝っていたフィロネルの指が、そこだけは相変わらず尖った腰骨あたりをねっとりと撫でた。ユアンは嫌悪とそれ以外のものに、思わず身を捩りそうになった。
 フィロネルはユアンを閨に招くたびに、妙な媚薬や淫具を使い、その全身を蛇が絡みつくようにしつこく嬲り抜く。そうされればされるほど、ユアンの感情や思考とは裏腹に、身体だけは肉の悦びを教え込まれてゆく。自分の身体がまるでフィロネルに馴染むように変化してゆくことも、ユアンには耐え難いことだった。こうしてその寝台に呼ばれ、身体を開かれることは、ユアンにとっては感情と理性と本能がせめぎ合う苦しい戦いでしかなかった。
 腹や腰を撫で回していたフィロネルの指が、ユアンの胸元に這ってきた。普段よりも膨らみを増している肉の粒に、肌の締まった指先がふれてくる。香油にぬるついて色合いも鮮やかに見える繊細なその突起をくすぐるように撫でられ、ユアンは洩れそうになった声を抑えた。そんなところでも自分が感じるようになってしまったことが認め難く、ずるずると淫蕩な泥沼に堕ちてゆくようで恥ずかしかった。
「っ……」
 ゆっくりと乳首を捏ねる動きに、僅かにユアンの唇の隙間から不規則な吐息が零れた。フィロネルが薄く笑い、ユアンの身体と顔を眺めながら、胸板の上の突起をさらに丹念に刺激する。弄られるほど、なめらかな胸の上に突き出した二つの肉粒は敏感になってゆく。どんなに声を殺しても、そこを摘む長い指の間で乳首が血色と硬さを増してゆくのは隠せなかった。
「……ふ、……ッく……」
 優しく乳首を揉まれ、薄い表皮をくすぐられ、ぞくぞくともどかしくなってきた頃に、狙いすましたように強く引っ張られる。しつこい愛撫にそのうち思わず吐息に混ざって声が零れ、身体が動いて枷から伸びた鎖が音を立てた。そんな反応を残らずフィロネルに見下ろされているということが、ユアンの中で羞恥心を煽り、悪いことにそれがさらに感度を高める。それはユアンにも分かっていたが、ただ懸命に堪える以外のことができなかった。
「随分ここでも反応するようになったな。今度、ここにピアスでも通してみるか?」
 ユアンの濃い桃色に変わった乳首を指先で押し込むように転がしながら、フィロネルがそんなことを言い出した。何を言われたのかを理解した途端、ユアンは思わず目を開き、自分を見下ろすフィロネルを見返してしまった。
「は……?」
「ああ、ここに付けてみるのもいいか。おまえは肌の色が白いからな。その瞳の色に合わせた宝石を埋め込んでやったら、さぞかし映えて見えるだろう」
 そう言いながら、フィロネルの指がユアンのペニスのカリ首あたりをつうとなぞった。不意のことにユアンはびくりとしたが、それ以上にあまりの内容にぞっとした。
「な、何を……」
 膨らんだ乳首を、フィロネルの指はゆっくりと転がし続けている。しかしユアンには、フィロネルに弄られあさましい反応を見せている自分の身体を視界に入れる羞恥心より、あらぬ場所を傷つけられる怖気の方がまさった。こいつならやりかねないという嫌悪感と恐怖がユアンの藍色の瞳に滲み出し、その苦痛とその後の有り様を想像して、フィロネルにふれられていた陰茎が見る間に萎えた。
 それを見たフィロネルが、いきなりユアンの腰を持ち上げ、その下の孔に己のものをあてがった。
「う、っ……!」
 締まった肉襞を押し広げてずぐりと侵入してきた熱いものに、ユアンは思わず声を上げかけ、飲み込んだ。既にたっぷりと弄られて柔らかくなり、またフィロネルとの行為を重ねるにつれいつしか慣らされていたそこは、ずぶずぶと埋め込まれてくるそれを拒むことはない。だが本来は狭く窄まった器官を内側から押し広げられる圧迫感と違和感に、何より望まぬ相手の生々しい欲望を体内に食まされることの嫌悪感に、ユアンはいつまでも慣れることはできなかった。
 だが何よりおぞましいのは、フィロネルとのこの行為によって、肉欲の悦びだけは感じるよう仕込まれてしまったことだ。意図に反して己の内側がフィロネルのものを歓迎し、熱く絡みついてゆくことに鳥肌が立った。
「冗談だ。何をせずとも美しいものに、あえて傷をつけて飾りを嵌め込むような悪趣味など、俺にはない」
 ユアンの中に己を押し込んだまま、フィロネルが身を乗り出してきて囁いた。根元まで挿れられたものにさらに抉り上げられるような格好になり、ユアンはまた声を上げそうになる。その頬に乱れかかった濃紺の髪を、フィロネルの指がいたわるような仕草で梳いた。
「……悪趣味の権化が、よくも言う……」
 ユアンはなんとかそれを睨み返した。身体の上にのしかかってくる体重が、犯され身体を支配されることの屈辱と惨めさが、なけなしの矜持と理性を押し潰しにかかってくる。今にも気力が挫けそうなそれに負けぬよう、ユアンはぎりと奥歯を噛み締めた。
「そうか。だがどの国でも、権力者などこんなものだぞ」
 ユアンの頬を撫でながら、フィロネルが嘲笑した。そんな表情でさえ、こんな状況でさえ、至近距離で見上げるそのアメジスト色の瞳は天上の玉石のように美しく、それを縁取る睫毛や長く流れ落ちる髪が燭台の淡い明かりを宿す様は、光を孕んだ聖人画のようだった。
 気を抜いたら呑まれてしまいそうな、フィロネルの恐いほどの美しさと、密着した肌身に触れてくる熱っぽさに、ユアンはぞくりとする。圧倒的に強く獰猛な爪の下に力尽くで押さえつけられ、見下ろされることへの、自分でもよく理解できない妖しいざわめきが背筋を走った。
 この得体の知れない感覚を初めて覚えたのは、正確にいつからなのかよく分からなかった。だが、この男に出会ってからだということだけは分かる。不安にも似た見知らぬその感覚が落ち着かず、ユアンは戸惑い、どこか恐怖さえ覚えた。紫の瞳に見入られるうち、それに攫われてしまいそうになり、ユアンは振り払うように殊更強くせせら笑った。
「貴様のような下衆と一緒にされては、迷惑に思う御方も多いだろうな。誰もが貴様と同じだと思うな。この悪魔が」
「相変わらず口の減らないことだ」
 フィロネルはむしろ愉しげに、ユアンの薄めの唇を指の腹でなぞった。それから四肢を拘束されて自由にならないユアンの腰を持ち上げ、己の逞しい腰を引き、熱くうねる肉壁の内を抉るように深くまで突き上げた。
「っ……う、ぁッ……!」
 人形のように転がされ、抵抗もままならないユアンの下腹を、深々と突き込まれたフィロネルの剛直は遠慮もなく穿つ。ユアンは懸命に奥歯を噛み締めて声をこらえたが、フィロネルのものは身体の奥にある殊更弱い箇所を、ごりごりと集中して衝いた。そこを衝かれると、抗いようもない快楽という名の溶岩が、腰の奥からどろりと熔け出してくる。
「くッ……ぅ、……はっ……ッ」
 腰を熔かし、下半身から指先まで浸蝕して狂わせるその熱に、ユアンはぎゅうと目を瞑って幾度も息を飲んだ。咄嗟に縋るものを求めた手が、嵌められた手枷から伸びる鎖を握り締める。たちまち全身を珠のような汗が伝い始め、元々は青白い素肌が淡い薔薇色を纏う。
 いっときは萎えていた股間も再び勃ち上がって、揺すられる度にユアン自身の下腹を叩き、先走りを零した。何より、フィロネルに犯されている箇所が、惨めなほど反応している。どれほど唇を噛み締めて声を殺しても、それらの目に見える、そして繋がった生身の器官を通して伝わる反応は隠しようがなかった。
「その俺に犯されて、そうやって娼婦のように喘いでいるおまえは何なんだ? 貞淑を装いながら、悪趣味で下衆な俺以下ではないか」
 酷薄な笑みを含んで言いながら、フィロネルがユアンの腹の上で惨めに踊っていた肉茎に手を伸ばした。ぐちゅりとそこを掴まれ、ユアンは身を引きつらせた。
「ち、ちが、うっ……下劣な手で、さわるなっ……ッ!」
 大きく息を飲み、逃れられないと分かっていながら、ユアンは身をよじった。手脚の枷に繋がる鎖が音を立て、抗う動きを阻害する。昂ぶってゆく己の身体に必死で抵抗する胸郭の内で、心臓が激しく動悸し暴れ回っているのが分かった。
「どう違う。違うというなら、そうだな……そのまま気をやらずにいられたら、おまえの言うことも認めてやろうか」
 ユアンを揺すり、絶え間なく燃え上がるような箇所を刺激しながら、フィロネルはそのペニスを弄ぶ。いたぶる以外の何ものでもない言葉が耳に入ってはいたが、ユアンは口を開けば喘いでしまいそうで、それ以上はもう何も返せなかった。
 身体の内側と外側から責められては、どれほど意志の力で抑え込もうとしても無駄なことは、これまでの経験からも分かっていた。それでもあまりに口惜しく惨めで、今日こそ声を上げるまい、決して達するまいと、ユアンはきつく唇を噛んで全身で抵抗した。
「はッ……あ、ッ……くうぅ……っあ、あ」
 だがそんな決意も、灼熱する股間を嬲られ、抽挿されるものに身体の奥を繰り返し抉られるうち、神経を末端までとろけさせる快楽の澱みにぐずぐずに形を失ってゆく。一衝きされるたびに達してしまいそうになり、下肢が強張って震える。
「あ、あッ……あ、ぅあ……あ……っ!」
 もう止めてくれ、という口に出せない叫びが充満した瞬間、とうとうユアンはかすれた悲鳴と共に放っていた。ばたばたと自分の腹と胸の上に生温かい体液が散り、強烈な快楽を伴いながら、ユアンはその瞬間に泣き出したい程のどす黒い嫌悪感と言いようの無い虚しさに襲われた。
「……いい表情だ。ユアン」
 ユアンが声も出せず、喉を仰け反らせたまま脱力して大きく胸板を上下させていると、その顎を大きな手で掴まれた。覗き込んでくる紫色の瞳がいつもより耀き、強い酒に酔ったような色を帯びている。仰向けられた口にフィロネルの唇がかぶせられ、やけに熱いと感じるぬめぬめとした舌が深く挿し込まれてきた。ユアンは反射的に口を閉じようとしたが、頬骨を掴まれてしまい無理だった。
 いいように舌を吸われながら、達したばかりでひくついている中に抽挿を再開される。吐精に追いやられ、ぷつりと己の様々なものを抑制する糸が切れてしまったユアンは、続けて与えられる刺激に堪えることができなかった。絡む舌からも下腹からも湿った音が立ち、フィロネルに身体ごとで押さえ込まれた下で、呻くユアンの身が意志の制御を離れてびくびくと跳ねた。その汗まみれの筋肉の痙攣を楽しむように、フィロネルの手がユアンの腿を、腰を撫で、尖った乳首を転がした。
 従者になってからは、最初の頃のような気を失うほどの酷い扱いは減っていたが、それでもそうした目に遭わされることは皆無ではなかった。休む間もなく続けられる行為に、じきにユアンは、声を抑えることも、嫌悪を感じる余裕すらも無くした。ただ何をされても、せめて許しは乞わないこと。それを貫くことだけが、かろうじでユアンの矜持を守るささやかな砦になっていた。
 幾度も絶頂に追いやられ、ユアンがどれほど汗みずくになってもがいても、フィロネルの欲望で内臓を掻き回されることは続いた。フィロネル自身がいっとき果てても、回復するまでの間、かわりに卑猥な形をした様々な淫具が押し込まれる。繰り返し射精を強いられ、子供のそれのように柔らかくなったペニスも、ユアンが悶えて叫ぶ姿を愉しむように、もう吐き出すものがないほど徹底して絞り尽くされた。
 気が狂うのではないかという営みの中で痙攣しながら、ユアンは途切れ途切れの意識の中を漂い、次第に虚ろに陶酔する。圧倒的に強く美しいものに囚われ、骨の髄まで捕食される幻覚。そこには理屈を踏み越えた、何かひどく動物的で奇妙な悦びがある。
 意志も理性も何もかも押し流された後に残る獣じみた感覚の中、黄金の蛇に絡み付かれ貪られる幻をユアンは見た。それにうっとりとさえしながら、やがてユアンは、もうどうしても意識を繋ぎとめてはおけない暗闇の中に墜落した。

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