五章 星の流れる先 (4)

 その冬は、寒さがひどく身に染みた。
 街から街へと伝って、ひたすら南にユアンは移動した。南に下るほど晴れ間が増え寒さは多少はやわらいだが、ただでさえもっと温暖なファリアス育ちのユアンには、それでもとても野宿する気にはなれなかった。
 幸い皇宮で得ていた賃金は少なくはなく、働いた期間は短かったが遣うこともなかったので、標準的な程度の宿で贅沢をせずに進めば、当面の路銀に困ることはなさそうだった。
 万が一にでも人相書きが回されることを警戒して、なるべく顔を隠し、伸びかけていた髪を短く切った。ユアンの癖のない濃紺の髪を、皇子は気に入っているようだったことを思い出した。まるで少女のような感傷がよぎり、自分で自分が情けなくて、ユアンは一人で泣き笑いしてしまった。
 孤独な旅の間は、移動の足や食事や宿を得る以外では誰とも話さない日が続いた。護身用の短剣を常に懐に抱き、質素だが切れ味だけは良い剣を帯びて旅を続け、ユアンはそのうちフィンディアスと故ファリアス王国の旧国境を越えた。


 大陸を南北に貫く街道が通っているそこを、避けて通ることはできなかった。
 あの突然の襲撃と陥落から半年程が経って、久し振りに見る旧ファリアス王都はだいぶ落ち着いているようだった。もともとの住民の財は保障され、様々な市場も守られ、神殿も保護されている。新たな支配者の横暴が行なわれている様子もないようだ。それらのことがあれば、どうしても街に荒廃した緊張感が漂う。フィンディアス兵の姿はちらほらと目にとまったが、ものものしい雰囲気はあまり感じられなかった。
 突然の一方的な侵略だっただけに、よほどうまくやらねばその土地の住民を懐柔することはできまい。白く美しい王宮はそのまま維持され、王家の紋章を描いた旗も、フィンディアスの国旗と並んではいるものの、青空に翻っていた。フィンディアスの総督府が新たに設置され、内政の主幹はそちらに移されていたが、ユアンが思っていたよりもずっと、かつてのファリアス王都は穏やかだった。
 見事なものだな、と、ユアンは一人で街を眺めながら感心していた。

 あの日焼け落ちた屋敷の跡は、そのまま残っていた。
 いずれはここも、この下に埋まっている両親や命を落とした屋敷の者達と共に、すべて土に還るのだろう。崩れた屋敷の跡は残骸や瓦礫が多く、その下に埋まってしまった者達を自分一人で見つけて連れ出してやることは、到底できなかった。
 寒さが厳しくなってきた中では、なかなか野で咲く花は見つけられなかった。街で売られている生花は季節柄高値だったが、今日の夕食を控えることにしてささやかな花束を買い求め、屋敷跡の片隅に置いた。
 焼け爛れ寂寥とした廃墟を見ていると、多くの物事が胸を去来した。どうしてもこらえきれず、ユアンは花束の前にしゃがみ込み、一人で泣いた。
 この無惨な跡を目にすることは、つらい。でも、このままここにあってほしい気もする。いわば愛する者達の墓でもあるこの場所に対して、愛惜と悲哀と、矛盾する複雑な感情があった。
 唯一屋敷から連れ出すことができた妹の墓の前にも、花束を置いた。墓とも言えないような土饅頭も、そうすると少しは華やいで見えた。
 あたりの木々は紅葉して葉が落ち、ここに妹を埋めた当初よりも、空から落ちてくる日差しは優しく明るかった。妹の眠る場所は静謐で神聖な空気に包まれ、ユアンはそこに、あたりが暗くなってくるまで、ただ無言で佇んでいた。


 どこにあてがあるわけでもないが、ひとまずレインスター王都に行こう、と考えた。そこには留学していた頃に世話になっていた、レインスターの貴族がいた。エルティーダ卿というその人物は、当主がかつてユアンの父と学友だったという縁から、ユアンを快く受け入れ屋敷に住まわせてくれていたのだ。
 ファリアス陥落の際に、ほとんど何も言わずいきなり飛び出してきてしまった非礼も詫びなければならなかったが、世話になった礼と、父親を始めとする家族達のその後も伝えなければならなかった。この挨拶だけは、ユアン・レイスという名を持つファリアス貴族の生き残りとして、済ませなければならない仕事だった。
 旧ファリアス領内にも、この様子であれば親類縁者は無事で暮らしているのだろう、とは思った。だが身内のもとに身を寄せるなど、もし手配が回っていたら「見つけてくれ」と言っているようなものだ。
 それに何より、ファリアスにとどまることは精神的につらかった。フィロネルが自分を捜させているかは分からないが、その可能性がある以上、フィンディアスの勢力下から完全に離れてしまう方が安心できた。
 皇子のことを思い出さない日はなく、追ってきてほしいような気持ちが、確かにどこかにあった。好きで傍を離れたわけではない。どれほど思い切ろうとしても、心は言うことを聞いてはくれない。
 だからこそ、絶対に皇子に捕まってはならなかった。次に捕まれば逃れられるか分からない。むしろ自信がない。とにかく、完全に皇子の手の届かないところまで行ってしまいたかった。

 レインスターは、旧ファリアスを越えた先に広がっている。北のフィンディアスと並ぶ大国。本当はフィンディアスと同じように、ファリアスを虎視眈々と狙っていたという国。
 フィンディアス側から旧ファリアス領に入るのはそれほどでもなかったのだが、ファリアスからレインスターに抜けるのは厳しかった。それでも地獄の沙汰もなんとやらで、出すものさえ出せば、ユアンでも通行証と旅券を手に入れることができた。思っているほど荒れてはいないとはいっても、平穏だった頃に比べれば、やはり法の乱れや治安の悪化はあるのだろう。
 国境を越えたとき、レインスターまでは追っ手も来るまいと、ユアンは心底安堵した。哀しいような寂しさもあったが、どこかで諦めもついた。
 貸し馬や乗り合い馬車を利用して、王都に向かい旅をしながら、かつて皇帝の病室でフィロネルが語ったことを思い出した。しかし底が見えないほどの疲労感と虚無感が身を浸蝕しつつあり、だからなんだ、としか思わなかった。
 ウェルディア王がフィロネルの本当の父親だからといって、自分にはもう何の関係もない話だ。ウェルディア王はきっとユアンのことを覚えているだろうから、身なりを整えて王宮を訪ねれば、おそらく謁見することはできる。そこでユアンがフィンディアスで遭遇した出来事を語れば、何かしらの反応は見せるだろう。
 だが、そうすることに何の意味がある。フィロネルにとって、これは不都合でしかない話だというのに。ウェルディア王がどんな反応を見せるにせよ、それは最終的に、フィロネルに害を為す刃に変じるだけだろう。
 事の一切を、ユアンは自分の胸の奥深くにしまい込んだ。これは墓場まで持ってゆく秘密だ。何も形はないが、誰にも知られず皇子と共有している秘密。場合によっては、皇子の命を奪うことさえできる武器。
 そんなものをひっそりと胸の奥に抱いていることが、どこか嬉しく、切なかった。


 レインスターは日差しがあればまだ暖かく、街はどこにいっても活気に満ちていた。交通の便も治安も、王都に近づくほど良くなり、旅は日増しに楽になっていった。
 無事にレインスター王都に辿り着いたユアンは、一泊してある程度身を休め、身なりを整えてから、かつて世話になっていたエルティーダ卿の屋敷を訪ねた。
 屋敷の人々は、突然訪ねていったユアンに仰天した。話を聞いてすぐに奥から現れた屋敷の当主とその夫人は、ユアンを見ると、有無を言わせず応接間に引っ張り込んだ。
 暖かく明るい部屋と、甘い焼き菓子と香りの良いお茶がユアンを迎えた。世話になっていた頃からよく可愛がってくれていた当主夫妻は、今までどこでどうしていたのかという質問をまくしたてることもなく、まずユアンに一息つかせてくれた。
 人心地ついたユアンが、言葉少なにファリアス陥落と家族の死についてを語り始めると、覚悟はしていたようだったがエルティーダ卿は涙ぐみ、その横で夫人は顔を覆った。そしてあらためて、ユアン一人だけでもよく生き延びてくれたと、涙ながらに手を取って何度も頷いてくれた。
 ファリアス陥落からこれまでの出来事を、当然のことながらユアンは語ることなどできなかった。連絡もとらなかった非礼を詫び、怪我をして長く動けなかった、とだけ言うと、二人はすんなり納得してくれたようだった。
「行く場所がないなら、遠慮はいらない。ここにいなさい。ゆっくり休んで、それから今後のことを考えれば良い。落ち着いたらまた、ここから学舎に通っても良いのだからね」
 エルティーダ卿と夫人は、声を揃えてそう言ってくれた。その思わぬ申し出にユアンは驚き、一度は断ったが、すっかりやつれて疲弊しきった様子のユアンを、彼らは放っておかなかった。どうやらユアンは、よほど今にも倒れそうな顔つきや顔色をしていたらしい。
 フィンディアス皇都からの、かなりの強行軍ではあった冬の旅で、相当に疲労を重ねていたのは確かだった。だがそれよりも、自分の心がひどく疲れ果てていることに、ユアンはここに来て気が付いた。
 もう喪われてしまった故郷に似た、明るく穏やかな屋敷の空気が、沁みるように暖かかった。心配そうに親身になってくれる、ちょうど父母に似た年頃の当主夫妻に、ふっとユアンの中で張り詰めていた糸が切れた。
 気が付いたら、ソファから立ち上がれないほどの疲労の中で、ユアンは声もなく泣いていた。今はもういない両親の代わりのように、館の当主と夫人は、そんなユアンを抱き締めて背や頭を撫でてくれた。


 ​​​──そして、冬が深まり。よどむことなく、誰の世界の上にも時は流れる。


        ◇


 あれから、結局ユアンはエルティーダ卿の屋敷で世話になっていた。
 疲労と心労がたたったのか、屋敷を訪れてからすぐ体調を崩してしまったのだ。そのままなし崩しに「これからもっと寒くなるのだから」と滞在を促されると、ユアンも強く拒む気力がないまま甘えてしまった。
 屋敷には、以前留学していた頃からユアンになついていた、可愛らしい姉妹がいた。ユアンよりも一回りほども年下の幼い彼女達は、ふらりと戻ってきたユアンに、「おにいさま!」と無邪気に瞳を輝かせて喜んでくれた。今はもういない妹の幼かった頃を思い出させる姉妹達は、胸が痛むと共に、ユアンにとって思わぬ癒やしになった。
 優しく平和な家族団欒の隅に入れてもらい、穏やかに日々を過ごすうちに、ユアンは少しずつ自然に笑えるようになっていった。毎日フィロネルのことを思い出し、ファリアス陥落からフィンディアス皇宮で過ごした奔流のような日々を思い出したが、明るい笑い声の響く穏やかな屋敷でゆったり過ごしていると、それらのことが徐々に確実に遠くなってゆくのを感じた。
 あのいつも灰色の空に覆われていた国は、今頃もう深い雪に閉ざされているだろうか。あの壮麗だが古く重々しい石造りの宮殿は、今はもう真っ白い雪の中に埋もれているだろうか。腰に届くほど長い黄金の髪を持ったあの美しい皇子は、その中で変わらずに忙しく日々を過ごしているだろうか。
 結局目にすることのなかったフィンディアス皇宮の雪景色が、目を閉じると瞼の裏にぼんやり見えるように思った。
 ふとした拍子に胸が軋み、眠れぬ夜をすごすことも何度もあったが、ただ感情を飲み込むことしかできないことが、少しずつユアンの中に諦観を刷り込んでいった。


 そんなふうに日々を過ごすうちに、何度かレインスター王都にも雪がちらついた。けれど深く積もることもなく、やがて毎朝凍り付いていた庭の噴水が、常によどみなく流れるようになった。
 寒さの峠を越えて、凍えていた蕾や種が少しずつ芽吹き始める。小鳥たちの囀りの種類が増えたのを聞き、季節が確実に冬から春に移ろいつつあることをユアンは知った。
 ​​​──こうして普通の穏やかな生活を送るうちに、忘れられるだろうか。いずれはあの国での出来事を。遠い過去の出来事だと、懐かしい思い出に変えることができるだろうか。
 そう思いながら、どこかで糸が切れてしまったまま出歩くほどの元気もなく、寒さを口実にあまり屋敷の外に出ることもなく、ユアンは毎日を過ごしていた。
 そんな折、外出から帰ってきた姉妹達がはしゃぎながらもたらした情報に、ユアンは息を呑むことになった。
「ねぇねぇおにいさま、お聞きになった? 春になったら、北の国からこの国にステキなおうじさまが遊びにみえるそうよ」
 ​​​──北の国の皇子。
 幼い唇があどけなく口にしたその言葉に、ユアンは硬直した。そのユアンの様子に気付き、そして幼い娘の口にした言葉の意味をすぐに把握した夫人は、慌てて娘ふたりを部屋の隅に引っ張っていった。
 おそらく夫人は、ユアンがその「北の国」に故郷を滅ぼされた人間であることを、幼い娘達にも分かるように教えているのだろう。無垢な姉妹達が、そんな重く血生臭い話を知らなかったとしても、無理もないことだった。
 案の定だったようで、そのうち娘達は、今にも泣き出してしまいそうな顔で「ごめんなさい……」とユアンに謝りに来た。まだ年端もゆかぬ彼女達に罪があるわけもなく、それにユアン自身の中でも、今はフィンディアスはただ憎い仇国ではなくなっていた。
 いいんだよ、と幼い姉妹をかわるがわる抱き上げて笑いかけてやり、なだめるうちに、ユアン自身の動揺も次第におさまっていった。
「ごめんなさいね、ユアン。あの子達は、難しい話はまだよく分からなくて……」
 その後、夫人に申し訳なさそうに詫びられ、ユアンは自分でも驚くほど穏やかに「もういいんです」と笑うことができた。
 思うことは様々にある。それこそ言葉にしては語り尽くせないほど。それは誰に話せるものでもなかったし、世話になっている夫人に気を遣わせるのが申し訳なくもあった。
 何より、ユアンが硬直した理由は、夫人が思っているようなものではない。今はもう仇とは思えなくなったフィンディアスの皇子への、極めて個人的な感情のせいだったのだから。
 ​​​──だがそれも、もう過去のことだ。
 ユアンは自室として貸してもらっている部屋に戻ると、窓の外から小鳥の声が聞こえる程度の静かな中で、一人思った。
 もう自分とフィロネルの間には、何の関係もない。フィロネルが春にこの国を訪れるというのも、レインスターとの国交の中で、その必要性が生じたからなのだろう。それはあの戦いが起きたのと同じ、雲の上の支配者達の事情だ。そんなことに、ユアン個人は何の関わりもない。自分はここで来期課程から中央学舎に戻って、元々そうしていたように、平和でユアンなりに忙しい日々に戻る。
 あいつは、皇子として変わらず達者にやっているんだな。
 むしろそう思い、寂しいような、ほっとするような気持ちになった。
 こうやって、過去にしていこう。そう自分に言い聞かせ、やむことのない胸苦しい切なさから、ユアンは目を逸らした。


 春になったらフィンディアスの皇子が外遊にやって来る、というのは、どうやら確定事項らしい。その大きな出来事は、ユアンが街に出てみたら、既にあちらこちらで話題になっていた。
 春を待たなければならないのは、寒さの厳しいフィンディアスでは冬の間は身動きできないからだろう。少しずつ陽光はぬくもってきているが、春と呼べる季節はレインスターでもまだ先だ。皇子がいつフィンディアスを発つのかは分からないが、どちらにせよ、それはまだしばらく先の話だった。
 それまでの間に、レインスター王都では街をあげてフィンディアスの皇子を歓迎する準備を整えるらしい。裏ではどんな駆け引きや政治的な思惑が行き交っているにしろ、外遊といっているように、その訪問は極めて好意的なものという位置づけらしかった。
 大国の皇子が直々に来訪するなど、それはお祭り騒ぎになるくらいの一大行事だろう。勿論、外遊を成功させるためのレインスター政府の計らいもあるはずだ。少なくとも当面、フィンディアスとレインスターという南北の二つの大国は、反目し合うよりも友好関係を築く方向に舵を取ったようだった。
 フィロネルとウェルディア王の対面はどんなものになるのだろう、とユアンは思いを馳せた。まさか、親子だと秘密裏にでも名乗り合ったりするのだろうか。
 二人がただ生き別れになっていただけの親子ならそうするだろうが、どちらもそんなことを簡単に口にできる立場ではないだろう。
 二人とも相当に腹に一物も二物もある人物だから、表向きは極めて平穏に、案外何ら変わったところもなく対面は済むのではないだろうかと思った。腹芸ができなくて一国の君主が務まるか、と以前ユアンに言ったのはフィロネルだ。大国の主同士として、今は互いに牽制し様子を伺っている重要な時期なのだろうし、そんなときに変に関係をややこしくするような話を持ち出すほど二人が短絡的で感情的だとは、あまり思えなかった。
 どちらも意志が鋼のように強く、底意が知れない二人だ。王と呼ばれる存在というのは皆そんなものなのだろうと、フィロネルとウェルディアの姿をそれぞれに思い出しながら、ユアンはとりとめもなく考えた。
 ​​​──何にせよ、自分からはもう一切が遠い世界の出来事でしかないが。
 そんなことをなんとなく思い巡らせながら、その日が近づくにつれ盛り上がってゆく都の様子を、ユアンは妙にぽつりと、取り残されたように眺めていた。
 あらためて、フィロネルがひどく遠く感じた。フィロネルはフィンディアス最高執政者であり、二つの大国を国家規模で動かすような存在なのだと、賑わう街の様子に思った。頭では分かっていたはずのこと。だけれど、フィンディアス皇宮で間近に皇子に仕えていたときには、あくまで皇子は「一人の人間」として、すぐ傍にいた。
 ユアンは不意に、無性に自分が恥ずかしく、惨めになってきた。遠く離れてしまっても自分は皇子の寵を受けた特別な存在なのだと、どこかで思い上がっていた。
 確かに、あの最後の夜のフィロネルの言葉は偽りではなかっただろう。だが、皇子の周囲にはどれだけの人間がいることか。ユアンよりもよほど皇子の覚えがめでたい者だとて、見目良く優秀な人材の集うフィンディアス皇宮には、それこそいくらでもいるだろうに。
 ​​​──自分はいったい、いつまで、どれほど皇子に執着しているのだろう。
 惨めで情けなくて、どうしようもなく寂しくて、涙が滲みそうになった。こんな自分を皇子が追いかけてなど来るわけがないではないかと、ユアンは逃げ帰るように屋敷に戻った。


 ユアンはそれからは、フィロネルが外遊に訪れて去るまでは屋敷から出るまい、と決めた。
 様々に予定されている歓待行事のうちに、見ようと思えば皇子を垣間見ることのできる機会もあるだろう。だが、今さら姿を見たところでつらくなるだけだった。
 沈んで自室に閉じこもりがちになったユアンに、屋敷の者達は何も言わずにいてくれた。祖国を滅ぼした仇の訪問など穏やかではあるまい、と皆思っているようで、そう思って放っておいてくれるなら都合がよかった。
 それでも、暦を数えてしまうことはやめられなかった。日付を毎日確かめ、その日取りが近付くにつれ、今頃皇子の一行は皇都を発っただろうか、今はどのあたりだろうか、順調に行程は進んでいるのだろうかと、埒もないことばかりを考えた。


 そうこうするうち、緩慢に時間は過ぎていった。日差しが充分に暖かくなり、野山に爽やかな新緑があふれて春から初夏の花が咲き乱れる頃、フィンディアスからはるばる訪れた皇子の一行は、無事にレインスター王都に入った。

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