朔の章 第三のパンドラ(1)

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 気を失ったサクは、次に気がついたら綺麗に整えられたアリサのベッドに横たえられていた。
 全裸のままではあったが、軽く肌触りのいい毛布をかけられ、身体の汚れも拭われている。身体がまだひどく重く、起き上がれずにいたところに、アリサがやってきた。
 アリサは慈愛に満ちた表情で微笑み、サクの頬に優しくキスをした。そしてバスルームに導くと、歩くだけでもつらそうなサクを座らせ、ほどよい温度のシャワーとソープで、丹念に、だがあくまでも優しく、その全身を洗った。
 その白い指はしっとり柔らかかったが、今は劣情を煽るような動きを一切見せることはなかった。アリサはいかにも高価そうな衣服を身に着けたままだったが、濡れることも一向に構わないようだった。
 それからアリサは、良い香りのする乳白色の湯をたっぷり張った、優美な猫足つきのバスタブに、サクを肩まで沈めた。
 身体が芯からほぐれるような感触につつまれ、ここにはお湯があるんだな、と、今さらながらサクはぼんやり思っていた。

 風呂から上がると、アリサはサクを柔らかなバスローブでくるみ、自らの手でその全身についた傷に手当てを施した。その要領はいやに手馴れていた。処置の痛みにサクが泣きそうな顔をすると、アリサはそのたびに慰めるように頬に優しくキスをした。
 それから食べやすく味付けも控えめにしたリゾットを運んでこさせ、アリサは銀色のスプーンで、手ずからサクにゆっくりと少しずつ食べさせた。
 胃が受け付けずに少し戻してしまっても、アリサはまったく怒らず、嫌な顔ひとつ見せず、サク自身と、汚してしまったテーブルと床を綺麗に清めた。
 甘い香りが漂う部屋の中で、サクはただぼんやりと、アリサのなすがままになっていた。今は、強引に快楽や苦痛を与えられているわけではない。そのことが長く張り詰めていた心を緩め、反動でひどく反応や感情を弛緩させていた。
 どうせまたいずれ、ひどく扱われ始めるのだ。でも今は心地が良かった。だからこそ、もう何も考えず、今はこのけだるい心地よさにすべてを預けていたかった。
 アリサはサクに何かの薬を飲ませてから、また奥のベッドルームに連れて行き、天蓋つきの大きなベッドに横にならせた。やわらかなクッションに埋もれた、その肩の上まで毛布をかける。
 身体を包むやわらかさと心地よさに、サクは何も考えず目を閉じた。甘い香りに包まれたまま、サクは吸い込まれるようにすぐに意識を失った。


 アリサはいっそ献身的なまでに、弱り切っていたサクの面倒を見た。たっぷりの休息と栄養を与えられた身体は、数日で完全に回復した。
 起き出せるようになったサクに、アリサはベッドルームの真ん中で、全裸で立てと命じた。
 サクは僅かな抵抗感と若干の嫌悪を感じたが、もうそれを顔に出すこともせず、黙って従った。しかし羞恥心は消えず、無防備に立つ姿を鑑賞するように歩き回りながら眺めるアリサの視線に、どうしても頬が熱くなった。
 サクの綺麗に背筋の浮いた背を、そっと背後からアリサの指が撫ぜた。
「……ッ……」
 サクは敏感に反応してしまう自分を止められず、軽く唇を噛んで目を瞑った。この廃都に来てから、今までに体験したことのなかった一方的で凶暴な快楽を何度も与えられ、サクの身体は明らかに変化し始めてしまっていた。
「綺麗な身体だわ。何かスポーツでもしていたの?」
 引き締まり、適所に筋肉が付いてしなやかに焼けた身体に、アリサがゆっくりと指先を這わせながら尋ねる。ただ撫でられるだけでありながら、それだけで勃起しそうになるほどぞくぞくする。アリサの指先が異様に情欲をそそるのか、さんざん嬲られるうちに自分の身体がそういうふうになってしまったのか、サクには分からない。
「……ハイジャンプを」
 返す声には、抑えようとしながらも熱い吐息が混ざった。
 アリサはその反応をじっと見つめながら、撫でる強さもペースもまったく変えず、サクの締まった筋肉のラインに沿って指先を這わせ続けた。
 とくに弱い部分、脇腹や腰の付け根、背筋や首筋を撫でられると、たまらずサクは身体をよじらせた。だが今は、立っていろと命じられている。よろめきそうになるのを堪えて、サクはそのぞくぞくする感触と闘った。
「ハイジャンプ……ああ、走り高跳びのこと?」
「そう」
「あなたに似合いそうね。見てみたかった気がするわ」
 アリサがまんざら冗談でもなさそうに、クスリと笑いながら言った。
 いやおうなしにサクの脳裏にも、かつて没頭していたその競技のことがよみがえっていた。
 遠くの高いバーを見据えて弾みをつけて駆け出し、重力を振り切って、背を思い切り反らせて跳び越える。その身体が宙に浮く瞬間が、その一瞬に視界を埋める青空が、何より好きだった。
 だがこんなふうになってしまった自分には、もう二度と跳ぶことはできない。
「あッ……」
 背中の特に弱い部分にアリサが湿った舌を這わせ、サクは声を上げてしまった。指先で焦らすように撫でられ、少し背を舐められただけで、直接股間を触られたわけでもないのにそこが熱くなり、勃ち上がり始めていた。
「元気ね」
 後ろからしなだれかかるように、アリサが身体を密着させてきた。
 服越しにでも、その身体の柔らかさ、張りのあるふくらみがサクを刺激する。アリサの左手がサクの腰骨をするりと撫で、またヒクリと震わせてから、その熱く膨らみ始めたペニスに伸びて握り締めた。
「あッ……あ、く、ッう」
 吸い付くようなその指の感触に、サクの喉から上ずった声が洩れる。
 アリサは弄ぶように、からかうようにリズミカルに滾った陰茎を握り、扱いて刺激しながら、クスクスと笑っている。
「あ、う、っ……はッ……そんな、されたらっ……」
 数日振りに与えられた刺激にたやすく身体は反応し、燃えるような甘い疼きが腰から突き上げてサクは呻いた。
 足がよろめきそうになるが、アリサの細い身体に体重をかけるわけにはいかない。まして「立っていろ」と命じられたのに、倒れ込むわけにもいかない。
 いつのまにか呼吸がすっかり乱れ、じっとりと汗ばんでいた。
「そんなされたら、どうなるの?」
 含み笑いしながら、アリサが背後から肩越しに、サクの快楽に震える横顔を覗き込む。サクは唇を噛んだ。思わず言葉が出てしまったが、それを言わされるのは堪えがたかった。
 サクのかすかな反抗心を読み取ったのか、アリサが力いっぱい、ぎゅっとペニスの根元を握り締めた。
「ッあッ!!……あ、あッ……あぁッ!」
 アリサはサクの正面に回りこみ、片手で根元を握り締めたまま、もう片方の手で容赦なく陰茎を扱き始める。
 堪え難い疼きと、苦痛と紙一重の激しい刺激に、サクは何度も息を止めて必死で堪えた。心拍数が跳ね上がり、よろめいた足元をかろうじで踏みとどまる。
「言いなさい。何がどうなるの?」
 アリサは悶えるサクの姿を正面から見つめたまま、冷えた声で問いかけた。ますますペニスの根元を握る白い手に力が加わり、同時に竿を扱く動きが強く激しくなる。
 サクは声も上げられず、ぎゅっと目を瞑っていやいやするように頭を振った。汗が頬から顎先へと伝い落ちた。射精を封じられたままこんな激しい刺激を与えられ続けたら、おかしくなってしまう。
 根元を押さえられたことでペニスはますます充血してパンパンに腫れ上がり、普段にも増して過敏になっていた。先走りにまみれた亀頭に、アリサが親指の腹を当てる。ぬめりを掌にすり込むように、乱暴に亀頭全体をぐりぐりとこねまわした。
「ッあッ!! あッ、あッ、あッ、……ひッ!」
 ペニスから全身を貫く刺激が駆け上がって、背を反り返らせたサクの喉からひきつれた叫びが迸る。
 汗に濡れたその姿がびくびくと震える様を、アリサは無表情に見つめていた。
「言わないのなら、このままよ」
 身体が燃え上がるような苦痛と快楽とに次第に思考力が遠のいたサクは、大きく胸を上下させながら、ようやく言葉を喉の奥から押し出した。
「あっ……あッ、あ、……い、いいっ……あ、ッく、……き、もち、い……ッあ、は……ッ」
 根元をきつく締められていることでいっそう、どくどくとしたペニスの脈打ちが脳にまで響き渡るようだ。もう堪えられなかった。与えられる刺激のあまり涙が滲んだ。
「そう。気持ちが良いの。こんなに乱暴にされてるのに感じるなんて、変態なのね。あなたは」
 アリサが赤い唇の両端を持ち上げた。そう言われながらも、身体が震え、乱暴に扱われる苦痛と快楽とに、サクの喉から間断なく声が上がった。
 ここまで倒れずにすんでいるのが、奇跡のようだった。膝ががくがくと震え、何度も足元がよろめき、しかしペニスの根元を強く握られていることが、身体が揺れるたびにさらに強烈な刺激となって全身を襲う。
「じゃあ、変態な犬らしく、いかせてほしいとせがみなさい」
 亀頭への乱暴な刺激こそやめたものの、相変わらず容赦のない手つきでサクのガチガチに硬くなった熱い滾りを扱きながら、アリサが言った。
「うっ……う、……はッ……」
 その言葉をかろうじで理解し、サクはまた唇を噛む。そんなことは言いたくなかった。だがこのままでは、もう身体を支えていられない。痺れるように疼いて苦しくて、もう終わらせてほしくてたまらなかった。
「……ッく……は、あ、い、いかせ、て……」
「聞こえないわ」
 ぎゅうっとまたサク自身の根元を握る手に力が加えられ、サクは口をぱくぱくさせて仰け反った。股間から容赦なくこみ上げ、身体中を満たす異様な熱と疼きは、その苦痛でさえ身が痺れるようなぞわりとした快楽に変えた。
 どうにもならず、サクは哀願した。
「あ、あッ、……あ、ぐッ……はあッ……も、いかせて、ください……おね、がい……ッ」
 激しく肩で息をし、身をよじらせて涙を流しながら訴えるその姿に、ようやく満足そうにアリサが瞳を細めた。
「ああぁっ!」
 跪いたアリサがペニスを口に含み、唇と指とが竿を締め付けにかかって、サクは叫びを上げた。ねっとりとアリサの舌が陰茎にからみ、先走りにたっぷりと唾液をからめて亀頭を舐めまわす。そうしながら根元の締め付けを緩め、軽く二、三竿を扱かれたら、爆発するようにサクはアリサの口内に精を放っていた。
 頭が真っ白になり、声も上げられなかった。ただがくがくと全身が痙攣する。アリサはサクの放ったものを残らず嚥下し、そのペニスの先端からちゅうっと音を立てて精液の残りを吸い出した。
 アリサが離れたところで、崩れるようにサクは座り込んだ。
「はっ、はっ……は……ッ……は…………」
 喉を喘がせて荒い呼吸を繰り返していると、その顎にアリサの指がかかった。上向けられた頬を、白い手が激しく殴打した。
「誰が座っていいと言ったの」
 唇を噛み締め、サクはよろめきながら立ち上がった。その萎えたペニスを、アリサが加減なしに握った。
「ぐッ、あ、あああッ! ひぃッ!!」
 どっと汗がまた噴き出し、叫んだサクに、アリサは淡々と言った。
「申し訳ありません、は? 野良犬あがりはまともに人の言葉で謝ることもできないのかしら?」
「……ッぐ、う……も、うしわけ、ありません……」
 ひきつけを起こしそうになりながら、途切れ途切れに言うと、とりあえずアリサは納得したようだった。
 ペニスを解放され、サクは大きくふらついたが、なんとか踏みとどまって立ち続けた。
「あなたを捨てることはいつでもできるのよ。それを忘れないようにね、サク」
 冷たく妖艶な瞳でアリサは言い残し、シャワーを浴びておくようにサクに命じて部屋から出て行った。
 アリサの気配が完全に消えてしまうと、ずるずるとサクはその場に膝を崩した。うなだれた肩が、まだ激しく上下していた。
 床をぼんやりとみつめていた目を閉じる。唇が震えたが、新たな涙は出なかった。
 ​​​──これは自分で望んだことだ。これで安定した環境が手に入るなら安いものだ。野垂れ死ぬよりはるかにマシなはずだ。
 震える唇を噛み締めて、サクは立ち上がり、バスルームに向かった。

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