蓮の章 第六のパンドラ(2)

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 レンのベッドの下には、ローションの容器やらコンドームやら雑誌やらハンドグリッパーやら工具やら用途不明のガラクタやらと一緒に、拳銃が無造作に放り込まれている。
「かっこいいな、これ」
 あるときそれを引っ張り出して、サクがベッドに座ったまま眺めて言った。
「何かあったら貸してね」
「いいけど。おまえも持ってるだろ?」
 外でドラム缶で沸かした湯を使って戻ってきたばかりのレンが、きっちり拭いていない身体にシャツを着込みながら言った。今日はいい陽気で、窓から入ってくる空気も陽差しも暖かかった。
「あれは飾り」
 サクは拳銃から目を離さないまま答えた。
「飾り? って、まさかモデルガン?」
「じゃないけど」
「……ま、いいけどさ」
 あまり深く突っ込むのは、レンはやめておいた。サクは自分のことを話す方ではないが、とくに言葉が少なくなるとき、それを無理につつくと痛い目を見ることを、既に学んでいた。
 だからそのかわり、サクの隣に座ってその身体を抱き締めた。やはりろくに拭いていないまま服を着たらしいサクの身体も、まだ湿っていた。
「なんでこんな抱き心地いいんだろうなあ。別に柔らかいわけでもないのになぁ」
 妙にしみじみレンが言うと、サクが淡白に返した。
「おまえが万年発情してるからだろ」
「おまえに言われたくねーな、それ」
 軽口を叩きながらも、頭の隅で、ふとレンは思い当たっていた。
 サクがベルトにいつも挟んでいる、さほど大きくはない黒い拳銃。
 サクがそれを整備がてら構えるところすら見たことはないが、裸になるとき以外はほとんど肌身離さずといっていいほど身につけているそれは、もしかしたらかつてカズヤという若者を撃った銃なのかもしれない。
 その推測は当たっているように思えた。サクが何を思い、それを飾りと言っているのか、使う気がないわりになぜ身から離さないのか、それはまったく分からなかったが。


 レンとサクが身体のつながりを持っており、すっかり互いに耽溺していることは、すでにその界隈の者達なら誰でも知っているという話になっていた。
 とはいっても、サクは周囲に怖れられながらも、同時にあの魔物のような色香と異様なまでの存在感で魅了もしていたから、言い寄る者は珍しくはないようだった。
 男女の区別なく楽しければ構わずセックスする、という享楽的な者も珍しくない廃都において、それ自体が話題になることも、まずない。
 レン自身がどこまでもあっけらかんとしているせいか、近隣一帯で畏怖されているサクという少年に深く関る者になっても、レンに対する周囲の接し方や見る目が変わることはなかった。
 ただ、何度も「深入りするな」と忠告された。
 そんなこと言われたってなぁ、と、レンは思う。
 どの程度を深入りというのかが、そもそも分からない。サクに会うためにあたりを徘徊し、会えればすぐにベッドになだれ込むことをそうだと言うのだろうか。
 自分が今やすっかりサクの与える快楽に、そしてこちらから与える刺激に乱れ狂うサクの有り様に魅せられて、そこから抜け出そうと思えなくなっていることは自覚している。たとえそうだとしても、引き返す気にはなれなかった。
 確かにレンも、サクという少年を怖ろしいと思うことがある。底の知れない暗い狂熱に引きずられ、サクの中に横たわる温度のない闇が垣間見えることがある。
 だがそれが見えたからといって、サクを拒絶しようという気はまったく生まれなかった。
 あれで話しているとけっこう楽しいし、サクも意外に普通の少年のようだと思うこともある。むしろ放ってはおけない気さえする。自らの意思だけでしか動かないような強固なものを持っていながら、ちょっとしたはずみで自らの暗闇の中に墜落してしまいそうな不安定なあやうさが、サクの中にはあるように思える。
 誰に何を言われても、そばにいてはいけない理由を感じなかった。ならば、このままの関係でいよう。少なくとも互いに、今の関係をこの上なく心地良いと思っているのだから。

        ◇

 現れたアリサは、サクに言葉をかけるでもなく、手にしていた馬上鞭を振るった。
 女の力でも軽く充分な打撃を与えられるよう、素材や長さに工夫が加えられ、さらに打たれる者の苦痛を助長するよう先端の革板を取り払ったそれに、サクはその一撃だけで呻き声を上げて倒れ込んだ。
 衣服の上からでさえ、その下の肌に傷が生じているのが、ひりつく感触でわかった。今までも鞭打たれたことはあるが、それらの比ではない痛みだった。
「……っう……」
 じんじんと響く痛みに、打たれた肩を押さえる手が震える。
 そのサクを凍てつくような眼差しで見下ろしながら、アリサがヒュンと鞭を鳴らしてしならせた。
「確かに会うのは許したけれどね。私がいるときまで帰ってこないっていうのはどういう了見?」
「……ごめんなさい。つい」
「つい、で許されると思ってるの」
 アリサが再び鞭を振るった。頬を打たれて、起き上がりかけていたサクは叩きつけられるように床の上に転がった。
 今までアリサは、サクの身体を傷つけることはあっても、顔にだけは傷をつけなかった。その一線をアリサは越えたようだった。
 呻いてうずくまっているサクに、アリサは容赦なく恐ろしい痛みをもたらす鞭を振るった。
 たちまち衣服が裂け、その下の肌が裂けて血が流れ出す。サクは必死で身体を丸めて、できるだけ急所を守ったが、あまりの衝撃に身体を支えていることすらすぐに困難になった。
 気が遠くなりかけたが、続け様に与えられる痛みがひどくてそれもできない。堪えるためにどうしても息を詰めるせいで、呼吸が荒くなる。
 ぼろのようになった服が血に染まり、ぐったりしたサクの頭を、アリサは磨き上げられたハイヒールで蹴りつけた。
 かろうじで目を上げたサクは、忌々しげにアリサのその美しい目許がひきつるのを見た。
「いい加減つけあがるんじゃないわ。殺してやろうかしら」
 低く吐き出したアリサは、サクの頬をさらに蹴りつけた。それから背を返して、おそらく人手を呼ぶためだろう、繊細な装飾のついた受話器を取り上げてどこかへ電話をかけ始める。
 早くもかすみかけている目で、その驚くほど腰の細い綺麗な後ろ姿を、ぼんやりとサクは見ていた。
 これからどんな地獄のような責め苦が始まるのだろう。アリサは自分を殺すのだろうか?……どこまでアリサはやるのだろうか?
 火がついたようにひりついて激しく痛む身体で転がったまま、サクはごく小さく、その唇の端をだけを動かした。あえかな笑みの形に。

 アリサは呼びつけた男達にサクを奥のベッドルームへ引きずっていかせると、左足首だけに枷をつけて、衣服をすべて剥がして逆さに吊り上げさせた。
 どれほど責められても、今までこんな扱いは受けたことがなかった。身体のどこも床につかない状態はひどく不安定で恐ろしく、しかしそれ以上に頭に血が昇って破裂しそうだった。
 片脚だけで吊られた身体全体がきしみ、ものの数十秒で、上半身にかかる無理な負担に呼吸もままならないほど苦しくなった。耳鳴りがひどい。左脚が抜けるのではないかと思うほど激しく痛み、もがかずにいられないほど、全体重がかかった左足首が痛む。
 だが実際には、自由を奪われ、すでに大きく体力を削られ始めているサクの身体は、空中でわずかに揺れたにすぎなかった。
 アリサはサクの萎えたペニスを乱暴に扱き、無理に勃起させると、根元をきつく縛り、それからペニス全体に棘のついた皮の紐を巻き上げるように食い込ませた。
 肉を食んだ棘の下から、赤い色が伝う。ただでさえ敏感な箇所に与えられた信じられないような痛みに、サクはかすれた悲鳴を上げた。
 すでに血まみれになるほど傷だらけになっている身体を、さらに容赦なく鞭で打たれた。
 急所を庇うことすらできない体勢に加えられる激しい折檻に、声を抑えることもできず、やがて呻き声すらまともに上がらなくなっていく。吸うためではなく火の点けられた煙草の先を、アリサの華奢な手で、皮膚が剥がれて赤い肉の覗く傷口に何回も押し付けられた。
 それからアリサは水を張った大きめの桶を持ってこさせると、逆さにしたままのサクの頭を突っ込ませ、窒息寸前で引き上げるということを何度も繰り返した。
 身体が痙攣し、ぜえぜえと喉が音を立て、何度も意識を失った。そのたびにアリサが傷口に煙草の火を押しつけ、無理矢理に意識を引き戻させた。
 呼吸がうまくできず、サクの全身がひきつり始めた頃にようやく下ろされたが、そのまま身動きもできないところを、複数の男達に犯された。
 全身のひどい苦痛のせいで、快楽どころではなかった。何もふれないでも飛び上がるほど痛む身体を容赦なく掴まれ、組み伏せられ、床に押し付けられる。何度でも尻を抉り上げられ、口腔を犯される。
 もはやサクは何も考えられなかった。このまま死ぬのかもしれない、ということすら。

 何時間責められ続けたのか、かろうじで息をしているという有り様になったサクは、そのまま床の上に放っておかれた。
 それもまた、今までになかったことだった。今まではアリサは、どれほど手ひどくサクを責めても、それを終わらせるときちんと丁寧に傷の手当をした。
 ひどく熱かったはずの身体がひどく冷たくなり、寒さのあまりサクはガクガクと震えた。ショック症状で高熱が出ていたが、どうにもならなかった。
 吐き気が内臓を灼くように広がり、誰もいない暗い部屋で何度も吐いた。意識を失っても、あまりに身体の感じる苦痛が激しく、さほどもおかずにまた覚醒する。
 焦点を失った瞳は、すでに何も映し出していなかった。

「まだ生きてるのね」
 どれだけの時間が過ぎたのか、足音と共にそんな声がした。
「しぶといこと。どう? 少しは後悔しているの?」
 少し離れたところに止まっていた足音が、硬いヒールの音を響かせながら近付いてくる。
 もはや蹴られても踏まれても反応もできないことが分かっているのだろう、アリサは手出しをしてこようとはしなかった。ましてや今のサクに、声を発することすらできるわけがない。
 アリサは長いこと、沈黙したままそこに立っていた。その様子を窺う余力は、すでにサクにはなかった。
 アリサの動く気配がした。
 もはや何度目かも分からない、悪夢のように遠のく意識の中、顎を持ち上げられて、唇に柔らかな唇が重なる感触があった。

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