夜明けまで (十二)

 黙って陵の言葉を聞いていた夜光が、透ける紫の瞳を瞠った。その言葉の意味を夜光が受け止めて理解するには、しばらくの時間がかかった。
「贄となった者たちが、甦る……?」
 その様子を、陵は深く魂魄まで見透かすように、ただじっと見つめた。
 まさか、そんなことが。と思ったとき、夜光は全身の血が下がったような眩暈に襲われた。
 どくんと、心臓が強く揺れる。心拍数が急速に高まり、全身が小刻みに震えた。唇から喉まで、からからに乾いてしまったような気がする。夜光は咄嗟に、震えが止まるようにぎゅっと自分を抱き込んだ。
 贄となった者たちが甦る。それはすなわち、葵が甦る、ということ。
 でもまさか。そんなことがありえるのだろうか。
 長と槐は、あえてのように黙って見守っている。
 先走ってはいけない。陵はそれが出来るとは、まだ言っていない。
 夜光は大きく息を吸い、吐き、なんとか自分を宥めにかかった。
 出来るなら、陵につかみかかって問いただしたい。でも、そんなことはあまりにも礼儀にもとる。落ち着いて、息を吸って、問い直すのだ。
 振り切れてしまいそうな動悸と眩暈の中、夜光はやっとのこと、震える声音で問うた。
「それは……可能なのですか?」
「出来ぬでもない」
 あっさりと、陵の紅く艶やかな唇が答えた。
 裂けるほどまなじりを見開いた夜光に、陵はこともなげに続けた。
「かけた術を解くことまでできて、初めてその術を極めたと言えるでの。解呪すれば、贄となった者どもは呪から解放されて、生身を取り戻すことも叶うじゃろう」
 戻ってくる。
 葵が、生きて戻ってくる。
 殴られたように、夜光は茫然とした。
 理性を総動員して自分を抑えたはずが、陵の肯定を聞いた瞬間、もう抑制を受け付けなくなる。
 夜光は乗り出すように両手をつき、その場に深く頭を垂れた。気が付けば、喉が叫んでいた。
「お願いします。どうか、どうか私の冥魂珠を解呪して下さいませ。そのためでしたら何でも致します。どうか……!」
 頭を下げたまま、思い詰めた声音で叫んだ夜光に、陵はしばらく黙っていた。
 ゆるりと脇息に凭れ直し、陵は濡れたように艶のある翡翠の瞳を細めた。
「請けぬでもないがのう。じゃが、ただで、というわけにはゆかぬぞえ?」
 一瞬、夜光は氷の刃を喉元に突きつけられるような悪寒がした。
 冥魂珠を無効化することは、長ですら出来ない大変なことだ。その対価ともなれば、生半可なものでは済まないだろう。
 自分でそれを賄いきれるだろうか。そもそもが道理に反した、無理のある願いなのだ、とも承知している。
 様々なことが脳裏を巡ったが、だがそれでも、葵が生きて帰ってくるのなら、その希望に縋らずにいられなかった。
「何でも致します。何でも致しますから、どうか……どうか、お願い致します」
 額を床に擦り付けるように土下座したまま動かない夜光に、陵は黙った末、ようやく紅い唇から低い笑みを零した。
「ほほう。何でも、と申したか」
 その白く美しい手が、夜光に差しのばされる。ひやりと冷たい指が夜光の頬にふれ、顎先にふれ、顔を上げさせた。
 常闇へと誘うような光を孕んだ翡翠の瞳が、優しく微笑んだ。
「そうじゃのう。では、そなたの血肉と引き換えじゃ。それで解呪を請けてやろう」
「私の……?」
「うむ」
 指甲套の嵌まった天女の指先が、夜光の頬を撫で、額に乱れかかった乳白色の髪を掻きやった。
 夜光を見つめる翡翠の瞳が、至極愉しげにうっとりと細められる。ざわっと、夜光の全身に鳥肌が立った。
「そうじゃな。まずは、そなたの美しい目玉をくり抜いてやろう。それから、その真珠のような爪を丁寧に剥いでやろうぞ。その次は、その白絹のような肌を端からゆっくりと切り裂いて、生皮を剥がしてやろうか……それが済んだら、指先から少しずつ、その熱い血の滴る肉を削ぎ落としてやろう」
 夜光の髪を愛しげに撫でながら、ゆっくりと陵は語る。その優しく甘くすらある声音を聞くうち、夜光の腹の底から、吐き気すら伴う悪寒と恐怖心が込み上げてきた。
 この美しく妖しく残酷な天女は、本気でこれを言っている。
「そなたの内臓を直に喰ろうたら、さぞや甘く温かいじゃろうなぁ。楽しみなことじゃ。ああ、安心いたせ。命を奪うような真似はせぬ。最後には、そなたに断理の法を施してやろうぞ。そなたが望んだ通りに、まっとうな妖に造り変えてやろう」
 軽やかな愉しげな、陵の笑い声。いつのまにか夜光の握り締めていた手が、手ばかりでなく全身が、血の気を失って震えていた。
 寿命という概念すら無くなる、長い長い歳月を生きてきた彼女のような存在にとって、価値あるものはもはや金銀財宝などではない。彼女たちの興味を惹くのは、往々にして、無機物よりも「血肉の通う生身の存在」だ。
「あ……」
 さすがに、震えてすぐに言葉が出なかった。これで頷けば、葵は生き返る。だが引き換えに、自分には世にもおぞましい先行きが待っている。死ぬことはなくても、最後は断理の法によって、自分自身のことも分からなくなってしまうのだろう。
「待ちなさい」
 そのとき初めて、鋭い第三者の声が場に割り込んできた。夜光は全身が強張って振り返ることもできなかったが、それは長の声だった。
「夜光、いけません。よく考えなさい。葵殿が甦ったとて、その代償を知ればどれほど苦しむことになるか。そんなことを、葵殿が望むと思いますか」
 たたみ掛けられた強い長の声音に、夜光は動けないまま、涙が出そうになった。
 この交換条件は、長も聞かされていなかったのか。いつも穏やかな長のこんな声は、ついぞ聞いたことがない。それはそうだろう、事前に知っていたのなら、長はこの場に決して夜光を連れてこない。誰よりも夜光を慈しんでくれているのだから。
 それに、葵。葵もとても優しいから、夜光が指先ひとつでも傷つけられることを望みはしないだろう。そんな葵だから、あの夜、葵は夜光の贄となったのだ。
「黙りゃ」
 ぴしゃりと、陵が長の言葉を遮った。
「この可愛い子は、今は妾と話しておるのじゃ。そなたは引っ込んでおれ、盤古」
 長は壇下から、美しい眉根をいつもよりきつく寄せ、陵を見据えた。
「陵殿。私は貴女に、冥魂珠を解呪出来るのであればお願いしたいとは申し上げた。ですがそのような交換条件であれば、頼むに値しない。ご足労いただいたことは心苦しいが、この話は無かったことにしていただきたい」
「随分と勝手な物言いじゃのう。妾は虚言を吐いたわけではないぞ? それに冥魂珠を解呪するなぞ、妾にとっても簡単な話ではない。相応のうまみが無ければ請け負えぬわ」
「どうあっても、引き下げてはいただけぬと?」
「くどい。たかが半妖の子ひとりのことで、何をそんなにむきになっておる。長く生きすぎて耄碌したのかえ?」
 陵が嘲笑うように吐き捨てた。長が金色の瞳を僅かに細める。常に穏やかな表情と声音を絶やさない長が、それらを掻き消して無表情になるだけで、空気が凍るようだった。
「ま……待って下さい」
 強張って引きつる喉で、ようやく夜光は言葉を挟んだ。一触即発の恐ろしい緊張感に、いけない、と懸命に己を叱咤する。
 自分のせいで、長と陵の関係を悪化させるようなことはあってはならない。どちらも妖という枠を越える、神にも等しい器なのだ。万が一にでも互いが実力行使に出れば、どんなことになるか分からない。
「長様、良いのです。この話は、どうか……どうか、夜光だけに預けて下さいませ」
 かろうじで言うと、脇息に肘を突いて優雅に凭れ直した陵が、ほう、と面白そうに瞳を細めた。
 夜光はあえて長を振り返らず、陵に向き直ると、大きく息を吸った。
 指先まで身体が震える。どんなに抑えようとしても、胸の中で心臓が壊れそうに動悸し続けている。
 恐くて恐くて、怖ろしさとおぞましさに、吐き気と眩暈がする。うまく呼吸ができなくて、息苦しい。昂ぶった感情と恐ろしい緊張に、無意識のうちに涙が滲んでいた。
 視界に据えた陵の姿も、ぶれそうになる。気が付けば、全身が脂汗で濡れていた。
 嫌だ。苦しいのは嫌だ。断理の法をかけられて、自分が自分でなくなってしまうのは嫌だ。皆のことを忘れてしまうのは嫌だ。
 だけれど、自分は今まで本当に救いようのないことばかりしてきた。これがその報いなのであれば。それで、葵が甦るのなら。
「かまいません……どうか、解呪を、お願いします」
 途切れ途切れの言葉は、声になっているか分からないほどかすれてしまっていた。
「夜光!」
 強く叱りつける、長の声がした。ああ、最後の最後で、長まで怒らせてしまった。ごめんなさい。でも、他のやり方を自分には選べない。決して自分の命を、自分を愛してくれている皆の気持ちを、あなどっているわけではないから。だからどうか、許してほしい。
 ひやりとした陵の掌が、眩暈のする甘い匂いと共に、優しく頬にふれてきた。夜光のきめ細やかな素肌の感触を愛でるように、纏わり付くように、それは繰り返し頬から首筋を撫でた。
「生きながら生身を裂かれ、皮を剥がれ、肉とわたを喰われるのは、つらいぞ。苦しいぞ。いっそ殺してくれと云われても、聞いてはやらぬぞえ?」
「承知しております」
 怖ろしさとおぞましさに、答える声も、身体も歯も震えた。夜光はきつく目を閉じ、震える奥歯を噛み合わせ、込み上げる恐怖と吐き気を、生唾と共に幾度も飲み下した。
 妖美で残忍な天女の指先が、俯いたまま震えている夜光の首筋を、つう、となぞった。
「断理の法を受けることも、構わぬのじゃな?」
 嫌だ。そんなものを受けるのは嫌だ。でも。
「……はい」
 全身の力と気力を振り絞って、夜光は頷いた。
「ふ……」
 陵の唇から、悦を帯びた笑みが零れる。
 その指先が夜光から離れ、陵は美しい肢体を脇息に預け直した。領巾が持ち上がり、形良く色香に満ちた口許を覆う。
 陵は細い肩を震わせると、ふいに、こらえきれないように笑い出した。
「やれおかしや。もう良い」
「……は、い……?」
「冗談じゃ、冗談。久方振りに愉しませてもろうたわ」
 陵はひらりひらりと領巾を振り、くつくつと笑い続けている。わけがわからずにいる夜光に、星を浮かべたようにきららかな長い睫毛に彩られた、翡翠の瞳を向けた。
「そなたの覚悟と心根を試させてもろうた。言うた通り、冥魂珠の解呪なぞ、いかに妾だとて簡単なことでは無いのでの。そうそう安請け合いされたと思われてはかなわぬ」
 僅かなりともやわらかい声で言われ、夜光はやっと、冗談だという陵の言葉の意味を理解した。
 恐ろしい緊張に強張っていた身体から、どっと力が抜ける。言葉も出ない。全身の血が下がり、あまりに気を張り詰めていた反動で、ふっと視界が白くなりかけた。
 数段の階を駆け上がってくる足音がして、崩れそうになった身体を、背後から強く支えられた。
「おいおい、陵よ。俺の大事な一人息子を、あまり虐めてくれるな」
 背中をしっかりと支えるあたたかさと、すぐ間近から聞こえる槐の声。気が遠くなりかけた夜光は、それでどうにか意識を引き戻した。
「一切口出しするな、というから黙っていたが。今のは、さすがの俺も笑えなかったぞ?」
「ふふ。たまには良い刺激であったろうが」
「こんなたちの悪い刺激は要らんわ。まったく、これだから無駄に長生きな輩は始末に負えん」
 夜光を支えたままぶつぶつ言っている槐は、いつにない渋面になっている。
 長も陵の意図を理解したのか、ようやく多少は表情をやわらげていた。
 陵は長を見やると、ふふ、と愉しげに笑み含んだ。
「盤古の。そなたのあのような顔、大変に良き見物みものじゃった。やれ盤古のは、終の涯に引っ込んでから随分と丸くなった、大人しゅう可愛らしゅうなった、とは聞いておったが、ある意味それは当たっていたようじゃのう」
「まったく……お人が悪い。悪趣味も度が過ぎておりましょう、陵殿」
 長は肩から力を抜いて、深々と溜め息をついた。それから、きつい眼差しを槐に向けた。
「それで。おまえはこの茶番、最初から知っていたのですね?」
「まあな」
 槐は夜光を支えたまま、広い肩を竦めた。長は薄く笑っているが、その金色の瞳は物騒な光を放ち、かけらほども笑っていなかった。
「何を思って、おまえはこんな茶番を許したのですか。陵殿は確かに絶世の美女であらせられるが、まさか乗り込んだ先で、あっさりと籠絡されたわけではないでしょうね?」
「おいおい、人聞きの悪いことを言うな。引き受ける前に夜光の覚悟のほどを確かめる必要がある、と言われれば、さもありなんと思うだろうが」
「あ、あの。長様も槐様も、どうかそこまでに」
 この頃になってやっと頭がはっきりしてきた夜光は、このままだと言い合いに発展しそうな二人を宥めた。
 ぎこちないながら夜光が身動きし、姿勢を正そうとすると、槐はすぐに手を放して身を引いた。夜光に何を言う間も与えず、階を降りてゆく。
 槐は夜光を気にかけながらも、必要以上に関わらないようにしている。その姿と、肩と背中に残る槐のぬくもりに、夜光は思わず涙腺が緩みかけた。
 槐に詫びたい思いがこみ上げたが、今は陵との話を終わらせることの方が優先だった。
「では、取り引き成立。ということで構わぬかえ」
 脇息に凭れ、美しい瑠璃細工の長煙管を手にした陵が、そこに言葉を投げ込んできた。
 いつの間にか寛いだ様子でいる陵の周囲には、音も無く現われた数人の見知らぬものたちがいた。大きな羽毛扇でゆるく風を送ったり、柔らかな羽毛の詰め物で周りを整えたり、飲み物の用意をしたりと、かいがいしく陵の世話をしている。陵の召使い達だろうか。いずれもが驚くほど見目麗しかったが、捻れた角があったり身体の一部が異形であったりした。
「取り引き?」
 解呪のかわりに差し出すもののない夜光は、その表現に違和感を覚えた。陵は脇息から羽毛の詰め物に凭れ直しながら、細く紫煙を吐き出した。
「冥魂珠の解呪はしてやろう。じゃがそのかわり、条件がもうひとつある。そこな夜叉を、我のもとに連れ帰ることじゃ」
 翡翠色の瞳が向いた先、墨染めの装束を纏った槐を、夜光も長も振り返った。一方で、当の槐は表情も変えなかった。
「槐様を……?」
「それはどういうことです」
 問うた長に、陵は少々気怠そうに答えた。
「妾とその男とで、もう話はついておる。その男の状態、なかなかに興味深い。普通ならばとうに死ぬるはずのところを、そこまで呪詛を体内に留めたまま五体無事でおる。妾のものになり、研究のために身を差し出すならば、冥魂珠を解呪してやろうと言うたのじゃ」
 陵は様々な呪術や呪詛の探求者、その道に詳しい高名な呪術師という一面も持っている。その彼女からすれば、槐の状態は確かに物珍しいだろう。
「槐。なぜそれを黙っていたのですか」
 先刻ほどではないが、長が強い声音で槐に問うた。夜光は思わず、自分が叱られたようにびくりとした。
「そう恐ろしい顔をするな、空。言うとおまえがうるさそうだから黙っていたんだ」
 白々しく答える槐を、長は睨みつけた。
「当たり前です。要は、おまえが人身御供になるということでしょう? そのようなことを、私が易々と許すと思うのですか」
「そんな大袈裟な話じゃない。おまえも知っているだろう。俺の目的は、そもそも呪詛を彼女に解いてもらうことでもあったんだ」
 槐が面越しに、陵に視線を投げた。陵はむしろ、言い合う二人を面白がるような表情をしていた。
「この天女様は、実は言うほど性悪ではないと俺は見ている。こちらは冥魂珠を解呪してもらう、天女様は珍しい研究材料を手に入れる。利害の一致、どちらも万々歳というものだろう。まあ、何十年か、何百年か。彼女が飽きるまでは、付き合うとするさ」
「……それでは、夜光のことはどうするつもりなのです」
 低く呟いた長に、槐は僅かに沈黙した。それから夜光に目を向け、あっさり笑った。
「いろいろと心残りはあるがな。まあ、親になり損なった身としては、これをせめてもの餞別とするさ」
 槐様。それは違います。
 胸が苦しくなり、夜光は咄嗟に呼びかけようとした。そこに、陵から声がかかった。
「のう、夜光よ。冥魂珠は解呪してやろう。じゃが、そなたがやったことそのものが消えるわけではない」
 先程までとは違う、しっとりと語りかける陵の声音に、夜光は姿勢を正した。揃えた両膝の上に両手を置き、真っ直ぐに妖艶な天女を見返す。
「はい」
「それらの重みを、受け止める勇気はあるかえ? 解呪すれば、贄にされた者全員が甦る。最悪、そなたはこの終の涯に居られなくなるやもしれぬ」
 甦るのは葵ばかりではない。それはそうだろう。
 陵は煙管をひと吸いし、紫煙を吐いてから、ゆっくりと続けた。
「強い術式に晒された者は、往々にしてそれに関わる記憶を失う。今回の者達も、その例外ではないじゃろう。今際の際の記憶は、程度の差はあれ皆失っておる筈」
「はい」
「とは言うても、引き金さえあれば案外あっさりと記憶は戻る。そなたに会うことが、切っ掛けとしては最も確実じゃろうな。記憶が戻れば、そなたにたばかられたと理解するやもしれぬ」
「……はい」
 葵の他に、夜光が冥魂珠の贄としたのは三人。
 自分はひどく罪深い、惨いことをしたのだと、今ならば分かる。
 すまなかったと詫びたい気持ちと、彼らが望むならどんな罰でも受ける気持ちはある。それほどのことを自分はしたのだと思うから、最初に陵の出した条件も、報いと思って呑んだ。
 結果としてあれは陵の戯れ言ではあったが、報いであれば何でも受けようと思う心は、今も変わらない。
 そもそも、葵が、皆が甦ったとて、夜光のやったことそのものが消えるわけではない。
 贄とした者達が甦り、それゆえに夜光が居場所を失い、終の涯にいられなくなっても。それはむしろ、それで済むなら易いほどの当然の罰だ。それは夜光にとって身も竦むほど恐ろしいことではあったが、だからこそ罰なのだ。
「承知しております。何事も」
 心の底では、泣き喚きたいほど狼狽うろたえ、胸が軋むほどつらかった。だが嘆く資格すら、自分には無い。夜光は目を伏せ、ただ頷いた。
「ふふ……」
 夜光をじっと見つめていた陵が、紅い唇に淡い笑みを刻んだ。やけに楽しそうに、美味そうに紫煙を吐く。
「ほんに、そなたは可愛いのう。良い。後始末については、妾がもう少しだけ介入してやろう」
 意味をつかみかね、夜光は首を傾げた。
「陵様?」
「なぁに、悪いようにはせぬ。誰も必要以上に不幸にはならぬよう、多少の手出しをさせてもらうだけじゃ」
 陵が細くなよやかな腕を伸ばし、夜光の髪をゆっくりと撫でた。彼女が動くごとに、身につけた金銀宝玉が、囁くように綺麗な音を奏でた。
「そなたの覚悟の程は、もう見せて貰うた。それに妾は、幼いそなたが妾のもとを訪れたあの夜、先行き見たさに無垢で憐れな幼子をそそのかした。おかげで、多少は手心を加えても良い程度には愉しませてもろうたわ」
 陵は最後に夜光の頬にふれ、身を引くと、羽毛の詰め物の中にその優美な肢体を沈めた。
「償いの方法は、ひとつでは無い。罰の受け方もひとつでは無い。焦らず考えることじゃ」
「はい」
 夜光は真っ直ぐに、妖艶な天女を見つめ返した。
 あの幼い日の夜、長の目を盗んで彼女のもとを訪れたときから、今に続く夜光の道程は始まった。
 夜の闇を延々と歩くようだったそれは、まだ終わっていない。だが、少しばかりは道行きの方向が変わった。永遠に明けないと思っていた中に、こんな自分を手助けしてくれる皆のおかげで、思いもしなかった夜明けが兆してきた。
 自身の先行きも、槐のことも、手放しで喜べる状況ではない。だがそれでも、心が望んでしまうことに、もう嘘はつけなかった。
「──感謝致します。陵様」
 万感の想いを込めて、夜光は深く陵に頭を下げた。こんな言葉でしか感謝を示せないことがもどかしかった。
 それまで傍らで様子を見守っていた長が、ほっと小さく胸を撫で下ろした。同じく黙って様子を見ていた槐が、そこでにやにやと口許を笑ませて言葉を挟んできた
「恐ろしいと評判の天女殿は、やはり存外にお優しいと見える」
 陵は美しい化粧に彩られた流し目で、槐を一瞥した。
「この者のことは、昔から気に入っておるでの。妾は、可愛いものには甘いのじゃ」
 昔から、という表現に、夜光は少なからず驚いた。高名な天女である陵にとっては、ちっぽけな夜光のことなど、取るに足らない程度だったろうと思っていたのに。
「では、妾はこれから解呪にかかるとするかえ。夜光」
「はい」
 不意に呼ばれて思わず背筋を伸ばした夜光に、陵は言った。今まで聞いた彼女の声音の中で、最も優しい声で。
「愛しい者が消えた場所に行ってみるがよい。術が解ければ、消えた者は消えた場所に戻ってくるじゃろう」

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