遣らずの里 (二)

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 峠近くの小さな滝のそばで休んでから、ふたりは山路を下り始めた。
 山麓には、さしあたっての目的地である人里がある。
 だがそこに到るよりも先に、二人はまたしても山路で妖に襲われた。木立の間から急に飛び出してきたから、はっきりと視認できたわけではないが、それは猿に似た姿をしていたようだった。
「葵、こちらに」
 山路を駆けてゆくと分かれ道になっており、夜光は咄嗟に、まだしも頭上の枝葉の重なりが薄い片方を選んだ。
 夜光は「異界中から様々な神や妖が集まる」街である終の涯で育ったから、ひととおりの妖は見知っているつもりだったが、蓬莱に来てからその認識をあらためていた。
 終の涯を訪れるような神や妖は、ある程度の知恵、理性、力を持ったものたちだ。しかしそれらを持ち合わせていない枝葉末節の妖、あるいは力だけはあるが他がない妖なども、世の中にはあふれかえるほど居る。
 妖たちの多くはそれぞれに適した異界に棲むが、人間達の世界すなわち「蓬莱」にも、よく姿を現わす。それは条件さえ揃えば比較的異界から入り込みやすいこと、蓬莱に生きるものたちは得てして妖たちより非力ゆえに「糧」として重宝すること、などの理由があった。
 夜光はこの蓬莱に来てから、こちらには思っていた以上に異界のものが多いこと、それらが引き起こす出来事が頻繁にあることを知った。
 だがそれは、一言に「異界から訪れるもの」たちばかりのせいではない、という気がする。
 葵と一緒に山路を駆けながら、夜光は重なり合う枝葉の隙間から垣間見える空を見やった。
 ──ずいぶん「氣」が乱れている。
 蓬莱の人間たちのあいだでは、もうかなり長いこと支配者層で騒乱が続いている。それはひいては、それに支配される者たちの無秩序化、世の乱れそのものに繋がる。
 世が乱れれば、世界に満ちる「氣」も乱れる。「氣」が乱れれば、世界を律する「理」ことわりが乱れる。
 そうなると異界同士を隔てる「境」が揺らぎやすくなり、いっそう異界から異質なものが入り込みやすくなる。入り込んだ異界のものが怪異を引き起こし、さらに氣が乱れてゆく、という悪循環を生み出す。
 氣が乱れるから異界のものが増えるのか、異界のものが増えるから氣が乱れるのか。もはやどちらが卵で鶏なのかは分からないが、この氣の乱れは、旅をする夜光たちにとって、すこぶる厄介だった。
 妖に限らないが、まずは存在を「認知」することが、多くは互いを結びつけるきっかけになる。異界のものの存在を察知できる夜光たちは、ゆえに妖にも遭遇しやすい。
 無害なものならいいが、こちらを獲物と見て襲いかかってくる、あるいは単に性質ゆえに襲ってくる妖も多く、夜光たちはそれらに対処しつつ旅せざるを得ないことになった。
「ふつう、蓬莱にはこんなに妖がいるものなのか」と夜光は葵に訊ねてみたことがあったのだが、葵曰く、以前は妖の類いなど見たことすらなかった、という。
 ──まあそれに関しては、妖云々よりも葵の方に理由がありそうだけれど。
 夜光は走りながらあたりの様子を伺い、隣を駆ける葵の様子を伺った。
 夜光は半分は妖、それも身体能力に秀でた夜叉族の血を引くがゆえに、見かけのしとやかさに反して身体機能そのものは高い。あまり長くはもたないが、短時間ならば高い能力を発揮できる。
 一方で葵は、武家の子として幼い頃からよく武芸を嗜んでいたようだが、あくまで「人間としては優れている」にすぎない。実際に終の涯からこの蓬莱に渡ってきたばかりの頃は、こうして息も切らさずに夜光と併走し続けることなど出来なかった。
 だけれど今の葵は、旅の荷物を負った上で、難なく夜光と同じように駆けることができるばかりか。
「葵」
 夜光が短く呼ばわっただけで、葵はそれが含むことを理解した。脚を緩めぬまま、了解の目配せを返してくる。
 ──りーん……
 夜光の袖の中から、かすかな、けれど不思議と韻と響く玉音たまねが鳴る。
 それはがんを内包せぬ鈴の鳴らす、神秘の音色。その響きは、その持ち主を守護し、相対するものを弱らせ、捕縛し、くだす霊威を宿す。
 ──りーん……
 葵が弓を引くには充分な距離が、追ってくる妖との間には取れている。ここなら枝葉の繁りがひいて、少しは見通しも良い。
 夜光は白鷺が舞うように白い被衣をひるがえし、くるりと背後に向き直った。
 いくつかの言霊と、指で素早く結ぶ印をもって、鈴──「タマフリの鈴」という通称を持つ──の霊威に「向かうべき道筋」を与える。それは目には見えない網目のように空間に一瞬で広がり、追ってくる妖をたちどころに捉えた。
 枝から枝に飛翔するほどの速さで移動していた妖が、見えざる力に突然縛止され、木立の間から引きずり出されて来た。
 そのときにはもう、葵は荷を投げ置き、背から弓矢を取って構えている。宙に投げ出されてきた妖を、寸部の狂いも無く、はしった矢が射貫いていた。
 ギャッ、と悲鳴を上げて、妖が地に落ちて転がった。葵の放った矢は的確に肝処を射貫いたようで、もがいているが起き上がる気配はない。
 夜光が近付いてみると、猿の腕を異様に長くしたような、かなり大きな身体を持つ異形だった。牙と鉤爪が、ぞっとするほど長く発達している。双眸の他に、額にも眼が開いていた。それらはいずれも白眼も黒眼も無く、血のように真っ赤だった。
「なんでしょう、これは……猩々に似ている気もしますが」
「俺に聞いて分かると思うか」
 苦笑がちに言いながら、葵が元通り弓を背に負う。
 その弓も矢も、特別に変わったものではない。通りすがりに売っていた品を、使いやすさから葵が選んで買い入れただけのものだ。
「夜光、あまり近付くな。死んではいないから、急に動くかもしれんぞ」
「はい」
 矢に射貫かれた妖をまじまじと観察していた夜光は、行こう、と葵に促されて、共にまた山路を下り始めた。
「すごいですね。何のまじないがかかっているわけでもないのに」
「うん?」
 歩きながら、夜光は葵が負っている弓と矢筒を見た。
「葵の弓です。異界のものを、只人の手になる只の武器でまともに傷つけることは、そもそも難しい。でもおまえさまの弓矢は、日を追うごとに威力を増しているように見えます。最初の頃は、小物の妖程度すら、かすり傷を負わせるのが精一杯なくらいでしたのに」
「以前はそうだったな」
 葵は生真面目に考え込んだ。
「今は何がどう違うのかは、俺にもよく分からないが。ただ、明らかに以前よりも『視える』ようになった」
「視える?」
「急所、と言えばいいのかな……妖は、ただ心の臓を射れば死ぬとか、首を落とせば死ぬ、というものでもないだろう?」
「ええ。多くは、蓬莱の生き物の道理からは外れていると思います」
「うん。だから最初は、闇雲に弓を引くしかなかった。でも射るときに必死で目を凝らすうちに、あそこを射れば力を削ぐことができる、動きを止めることができる、命を絶つことができる……そういう場所が、だんだん『視える』ようになってきた。そこを狙うと、射抜ける」
 葵は自分でも不思議そうに言った。夜光は葵を見上げながら、数度まばたいた。
「単純に、技量が上がったのもあるとは思いますが……それだけではないようですね。昔、それに似たことが書かれている書物を読んだことがあります」
「似たこと?」
「はい。ものの要処や真髄を見抜く、目くらましの利かない特別に鋭い眼力のことを、特に『天眼てんがん』と呼ぶ、と。妖の中には、生まれつきそういう能力を持つものがいます。人間でも、たくさんの修行を積んで鍛錬を重ねれば、その境地に到る者はいるようですが」
「妖の中には、か」
 何を思ってか、葵が繰り返した。夜光を見返すと、葵はにまりと何食わぬように笑った。
「何であれ、おかげで厄介なものの相手をおまえ一人に任せなくて済む。俺には万々歳な話だ」
「そうですね」
 無理をしている様子はない葵の表情に、夜光もつられるように小さく笑った。
 葵は軽く溜め息をつき、荷を担ぎ直した。
「しかしなあ。何よりもまず、こう頻繁におかしなものに襲われること自体が減ってくれると助かるんだが」
「そうですね……」
 夜光も頷いた。
 この山に入ってからも、既に二度も襲われた。いくらなんでも回数が多すぎる。ここが妖の群れ集う山でもない限り、さすがにそうそうあるものではない。
 ──妖の山。
 そのとき首筋を撫でるように吹いた嫌な感触の風に、夜光は思わず首をすくめた。
「夜光?」
 そのまま立ち止まった夜光に、数歩行ってから、葵も立ち止まった。
 ざわざわと、あたりの草木が風に枝葉を揺らしている。暑くも寒くも無い加減で、空も気持ち良く晴れているはずなのに、何か薄い悪寒を覚える。
 夜光は淡く鳥肌が立つような心地で、周囲を、空を見回した。思わず、手が自分の腕を抱くようにさすっていた。
 ──乱れているのは、蓬莱全体の氣だけではない。一見穏やかなようで、このあたりの山の空気は、何か不穏だ。
「……ここの山の気ヤマノケは、少しおかしいです」
「やまのけ?」
 呟いた夜光に、葵が繰り返した。
「はい。山というのは、それ自体が生き物のようなものです。古く永くあるだけ、精霊が宿り、ひいては神の御座みくらとなるもの。でもこの山には、神の御座があるのか無いのか分からない」
「それは、おかしなことなのか?」
「はい。古い山には、必ず神の御座があります。廃れていたり壊れていたりすることもありますが、あるのか無いのかすら分からない、というのは、山全体にとってあまり良い兆候ではありません」
 漠然とした不安がこみあげてくるのは、あって然るべきものが見当たらないせいなのだろうか。あくまでも、目に映る景色は穏やかに晴れ渡っているのに。
「そうか。覚えておこう」
 夜光の顔色があまりすぐれないことを見てか、葵もしばし考え込むようにした。
 やがて葵は気を取り直すように、麓の方を指さした。
「まあ、それについてはまた後で考えようか。だいぶ麓が近くなってきた。俺も、この山はさっさと抜けてしまいたい」


 幸い、それ以降は妖に襲われることは無かった。
 目指していた麓の里は、山路を下る途中から見え始め、自然と二人の足を急がせた。
 いい加減旅暮らしにも慣れてはいたが、屋根のある場所で荷をほどいてゆっくり休めるのは、やはり嬉しいことだ。
「綺麗な里だな。路がよく整っている。それに、ずいぶん賑わっている感じだ」
「ええ。思っていたよりも大きいですね」
 里に近付くにつれて、山で感じていた妙な気配が薄れ、やがて辻に建つ道祖神の前を通り過ぎて到着する頃には、すっかり失せていた。あの山は何かおかしかったが、少なくともこの里には、その「何か」は及んでいない。
「長様のご紹介ですから。安心して過ごせそうで、良かったです」
 白い被衣の下で、夜光は安堵の吐息をついた。
 蓬莱を巡る旅にはこれといった目的地は無いが、まったく何も無いというのもつまらぬだろうと、終の涯を発つときに、長がいくつか「行くあて」を紹介してくれた。
 それは町や村落であったり、寺院や神社や祠であったり、特に景観の優れた場所や、龍脈の交差する霊的な力場だったりと、内容は様々だ。
 そこに行け、というよりも「近くに行ったなら寄ってみなさい」程度の話だったので、良い具合に気楽な指標にできた。そして今までに訪ねてみた場所は、いずれも落ち着いた良い場所ばかりだった。
「ええと、なんていったか。その、長殿が訪ねてみるといいと仰っていた御方は」
耶麻姿やましな様、と。このあたりを昔から取り仕切っている一族の総領殿だそうです」
 言葉を交わしながら、夜光と葵は並んで歩く。
 普段であれば、町や村に入るときはもっと緊張するし、警戒する。それは夜光も葵も、一目で「人の世では異質」と分かってしまう外見をしているからだ。
 夜光にはまだ、周囲の目をくらませるまじないのかかった被衣がある。だが葵は、夜光と共にこの蓬莱に渡ってきたときから、よほどのことがなければその目立つ姿形なりをごまかしたことがなかった。
 深い淡いの差はあれ黒髪黒瞳ばかりの人々の間に入っては、葵の夕陽のような朱色あけいろの髪は、充分に人目を引く。近くで見るとその瞳の色も、黒というよりは夜明けの群青に近い、青みがかった色をしている。
 葵を見ると皆誰でもぎょっとするし、中にはあからさまな警戒心や怖れを示す者も少なくはなかった。
 葵は豪族の直系に生まれながら、その朱色の髪が「鬼」を連想させると、幼い頃から「鬼子」として周囲に忌避されていたという。それがつらくなかったわけでは無かろうに、今も人々から露骨に避けられることに無感動ではないだろうに、決してそれを顔や態度には出さない。そんな葵が、夜光には少し痛ましくも、羨ましくも、誇らしくもあった。
 終の涯の長が薦めるくらいなのだから、このあたりの権力者であるという「耶麻姿」なる人物は、少なくとも頭から葵や夜光を敬遠することはないだろう。そういう人物に治められているというこの里も、人々の性質はそこまで陰湿ではないはずだ──と、二人は普段よりは気を楽にして、里への路を進んだ。
 次第に、周囲に民家と人の姿が増え始めた。
 見たところ、里、と呼ぶにはいささか不釣り合いなほど、賑わいのある集落だった。
 路は小規模ながら碁盤目に整えられ、どの路でも轍の跡がきれいに通っている。民家はいずれもこぢんまりとはしているが、さほどみすぼらしいという印象は無い。
 何より、行き交う人々の表情は明るく、贅沢ではないが極端な襤褸ぼろでもない身なりをしていた。
 日々貧しく苦しい生活を送る寒村などでは、どうしても人々の表情は重く、暗くなる。道行く人々の様子を見ただけでも、この里は穏やかで、比較的豊かであることが分かった。
 そんなふうではあったが、歩いて行く二人を振り返った人々は、やはり葵を見て一様にぎょっとした。
 目が合うと慌ててそらしたり、逆に目を丸くして凝視してきたり、こちらを見てひそひそと囁きあいを始める者たちもいる。穏やかだった目抜き通りの空気が、次第にざわざわと低いさざなみに支配されてゆく。
 それらの中を歩きながら、葵は慣れたように素知らぬ様子だったが、夜光はだんだん心が打ち沈んできた。
 これまで何度かあったように、あからさまな拒絶や罵倒や石つぶてを浴びせられないだけましではある。だがやはり人間は、しょせん人間だ。ほら、あそこの路地からこちらを伺っている者たちの、まるで敵を見るような目つきといったら。
「あっ。まっかっか!」
 と、葵を見た童のひとりが、いきなり指をさして大きな声をあげた。物怖じする様子もなく、両目を皿のようにして、食い入るように凝視してくる。
 その恐れ気のない幼い声は、通りに満ちていた低くざわついた空気を、ぱちん、とはじき飛ばした。
 じいいいっと見つめてくる童を、葵も見返した。数えで七つ八つ程度だろうか、小柄だが活発そうな少年だった。
 葵はすいとそちらに足を向け、若者らしい身軽な足取りで少年の前に立つ。屈み込んでから、少年の顔を見上げ、にこりと笑った。
「真っ赤だろう。なかなかこの色は悪くないと思ってるんだ」
「まっかだなあ。うわぁ、それほんもの? さわっていい?」
「いいよ。珍しいだろう」
「うん! 見たことねぇ!」
 少年は目を丸くしつつも、おっかなびっくりのように、葵の朱い髪に小さな手を伸ばした。
 頭の高いところでひとつに結い上げられた葵の髪は長く、背の中程まである。少年はその一房を取ると、じいっと観察したり、まじまじと陽の光に透かしたりした。そのうちぐいっと、子供の手ながら力任せに引っ張り、葵が「いててっ」と声を上げた。
「あ、ごめん兄ちゃん。って、やっぱりほんものなんだぁ。すげえや」
「本物だよ。生まれたときからこんなふうだ」
「へええぇー。いいなあ、かっこいいなあ兄ちゃん。俺もそんなふうがいいなあっ」
 少年が興奮して盛り上がっているところに、ばたばたっと、遠くから駆けてくる慌ただしい足音が聞こえてきた。
 さほどもせずに、血相を変えた女がその場に駆け込んでくる。
「こらっ、柚太ゆうたッ! 何をしてるんだい!」
「あ、かあちゃ……うわっ!」
 振り返った少年が言いかけるのを待たず、女は少年の細い胴を、いきなり横抱きにした。
「なにするんだよう!」とじたばたする少年に構わず、女はそのまま、気が付けばできていた人垣をこじ開け、振り返りもせずに走り去っていってしまった。その様子を、その場にいた者達が、ざわざわと見送る。
 軽く袴の裾を払いながら立ち上がった葵に、離れて見ていた夜光は、ゆっくりと近付いていった。
「……かわいらしい子でしたね」
「うん。元気な良い子だ」
 葵は、いつもと変わらぬ調子で頷いた。
 もっと手ひどい拒絶に遭ったこともある、とはいえ、だからといって何も感じぬわけがないのに、と夜光は思う。まして葵は、夜光よりもずっと気が優しいのだから。
 夜光の方が気持ちが沈んでしまって、被衣の下で視線をうつむけた。
「葵は、何もしないのに」
「仕方がない。ましてあんな可愛い子なら、得体の知れないものに近づけたくないのが親心だろう」
「でも。……だから、人間なんて」
 きらいだ、と言いかけたときだった。
 再び周囲にざわめきが起こり、人々の注意がひとつの方向に向く。里の奥に続く方から、誰かが近付いてくるようだった。
 そちらを見た周囲の人々の間から、「あ、これは」「天休斎てんきゅうさいさま」と声があがる。
「ほいほい、ごめんよ。ちょっと通しておくれな」
 そんなのんびりとした声がして、「よいしょ」と人垣を分けながら、ひとりの男が姿を覗かせた。
 着流しに紋無しの羽織姿。色合いは地味だが、生地や仕立ての良いことが一目で分かる。
 歳の頃は、三十代半ばから四十代というくらいだろうか。細身だが、葵よりも若干背が高い。そして蓬莱人にしては薄い色の髪を、とくに結いもせずに肩の上に流していた。
 男は夜光と葵を見ると、わりあいに目鼻立ちの整った顔で、ひとなつっこく笑った。笑うと、目尻の笑い皺がいっそう深くなった。
「おやおや。鬼みたいなえらいかしらのお客人が来た、というから出てきてみれば。なんてこたぁ無いじゃないか」
 ゆったりとした口調で、男はからかうように言った。懐から扇子を取り出して、片手で器用に広げながら、葵と夜光の姿を眺めまわす。
 不躾な仕種であったが、何か咎める気にならない。いささか面食らいつつも、葵は男に向き直った。
「旅の者です。お騒がせしたようで申し訳ない」
 あはは、と男は口をあけておかしそうに笑った。
「んん。いいよいいよ。こんな色を見て、鬼だ不吉だと騒ぐほうがどうかしてらあ。あけの色は、古来より魔除けの色と相場が決まってる。むしろ縁起が良いってもんさ」
 初めての言われように、葵も夜光も目をぱちくりさせた。
 男はそんな二人を悠然と眺めながら、はたりと扇子で自分をひと煽ぎし、止めた。髪と同じ、やや薄めの色をした瞳が、扇子の向こうからふたりをじいっと見つめた。
「それで。俺は、耶麻姿天休斎というこのあたりを治める甲斐性無しだ。おまえさん達は、いったいどこから来なすったね?」

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