遣らずの里 (三)

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 目抜き通りを真っ直ぐにいった先に、その男──耶麻姿天休斎、すなわちこのあたりを治める総領である人物の屋敷はあった。
 先刻の話。
 どこから来たのか、と往来で訊ねられた二人は、半ば人垣に囲まれたその場ではっきり答えるわけにもいかず、ひとまず「さる御方から訪ねてみるようにと紹介されてきた」とだけ答えた。
 それを聞いた天休斎は、何やら納得したようにぽんと手を打ち、あっさりと頷いた。
「ほほう、なるほど。それじゃあおふたりさん、これからうちに来るといい。どっちみち、旅の人に立ち話ってのも思いやりの無い話だ」
 それから天休斎は、あたりで成り行きを伺っていた人々を、にっこりと笑いながら見渡した。
「さぁさ、皆の衆よ。聞いての通り、このお二方は我が屋敷にお招きする。お騒がせしちまったようだが、あやしいもんじゃないのはこの俺が保障するよ。そういうわけで、安心して皆さんは、今日も俺のために仕事に励んでくれ。では、解散!」
 芝居がかったふうに天休斎が号令すると、集まっていた人々は調子にのまれたように笑い、「はいはい、わかりましたよ」「今日も一日、あんたのために働くとしますか」等々の軽口を叩きながら散っていった。そこからは、すっかり薄暗い疑心や毒気は消え去っていた。
 調子にのまれたのは夜光と葵も同じで、のんびりとしているようで有無を言わせない天休斎の先導のまま屋敷を訪れ、気が付けば通された板敷きの間に座っていた。
 屋敷の主の姿は、まだ部屋には無い。それを待つ間、夜光も葵も、今さらのようにやや戸惑いがちの視線を見交わした。
「……なにか、すっかり流されてしまいましたね」
「うん。でも、なんだか面白そうな御方だな」
「民にも慕われている様子でした。悪い御方ではなさそうですが……」
 夜光はそう言いつつも、手放しで信頼する気にはなれず、被衣もまだ深く被ったままだった。
 夜光の身につけている白い被衣は、蓬莱へと旅立つ際に、護り道具として終の涯の長が授けてくれた宝物ほうもつのひとつだ。名を「月天の羽衣」という。様々な神通力を宿している品だが、そのひとつとして、月を冠したその名の通り、身につけた者を「見えてはいるが正しく認識できない」存在に錯覚させる力があった。
 これを纏えば、夜光の人間離れした髪や瞳の異彩に、人々は気が付かない。あくまで「錯覚」なので全幅の信頼を置くことは出来ない品だが、少なくとも今のところは、自力でそれを見抜いた人間はいなかった。
 夜光は頭から被った白い被衣を無意識にかきあわせて、あたりの様子を伺った。
 この板敷きの間は、どうやら客人などを迎えるための部屋のようだ。縁側から眺められる庭は池泉庭園になっていて、石で囲まれた池があり、樹木もよく剪定されていた。雉鳩や椋鳥の声がのどかに響く中、竜胆や野菊が咲いているのが見える。それらの落ち着いた眺めのせいか、ここは空気がとても静かだった。
 室内に目を戻し、ぐるりと見渡す。鴨居の上や柱の上下には、幻獣らしき図案や模様が彫り込まれている。ふと、渡された長押なげしの一本に、札のようなものが貼り付けられているのが目に入った。
 定期的に張り替えられているのか、あまり古びた印象はない。少し意識を凝らして、ああ、と気が付いた。あの札は、怪しのものからこの部屋を守っているようだ。 
 柱などに刻まれた幻獣たちからも、この屋敷を守護するものの気配を感じる。この場所の「鎮まった」空気の理由はこれか、と、夜光はひっそりと納得した。
 札に書かれている文字を読み取ろうと見上げていたところに、縁側から足音が聞こえてきて、ひょこりと屋敷の主が姿を現わした。
「やあ、お待たせしたね。あ、いいからいいから。楽にしていなさい」
 背筋を伸ばした二人に、天休斎は愛想よく言いながら、上座に設えられていた円座わろうだに腰を下ろした。
「では、あらためて。俺は、このあたりを治める耶麻姿家の頭領だ。お屋形様と呼ばれるよりも、天休斎と呼んでくれるほうが嬉しい。よろしく」
 それを受け、葵が膝に手を置いて一礼した。葵の横で、夜光も無言で頭を下げた。
「私は葵と申します。こちらこそあらためまして、先刻助けていただいたこと、こうしてお招きくださったことに感謝を申し上げます」
 天休斎はからからと笑った。
「そう馬鹿丁寧になりなさんなって。それに、別に俺は助けたわけじゃあないさ。朱色は魔除けの色だなんて、古今東西昔ッから決まり切ったお話だろう」
「でも、この髪についてそう仰ってくださった方は初めてでした」
 くだけた天休斎の様子に、葵も肩の力を抜き、声音と表情をやわらげた。
 そこに縁側から侍女が姿を覗かせて、各々の前に白湯を運んできた。
 天休斎は下がってゆく侍女をねぎらい、白湯を一口啜ってから、胡座を組み直して膝に頬杖をつく。寛いだ姿勢でいながら、その細い目許がふいに、薄刃を思わせる色を含んだ。
「で、だ。まずは聞かせてもらおう。おまえさんたちは、まっとうな人間かい?」
 声音は変わらぬまま、しかしごまかしを許さない眼差しと問いかけに、葵がわずかに背筋を緊張させた。夜光は黙って、被衣の下から天休斎を見返す。
 葵は考え巡らせるようなしばしの間の後、穏やかな瞳で、真っ直ぐに天休斎の視線を受け止めた。
「俺は人間です。が、わけあって過去を捨てました。ゆえに名乗る家名も身の上も、あいにく持ち合わせてはおりません。……このような状態で、あやしい者ではないと言っても、信じていただくのは難しいかもしれませんが」
「ふぅん」
 天休斎の視線が、無言のままの夜光の上に動く。
「それで、そちらのおまえさんはどうだい。顔も見せねえ、挙げ句ずっとだんまりのままってのは、いくらなんでもちょっと愛想がなさ過ぎじゃあねぇかい?」
 夜光は被衣の下から、じっと天休斎を観察していた。
 この男はつかみどころがない。一見したところ剽軽でひとなつっこく見えるが、それがどこまで本心か分からない感触があった。
 夜光たちを即断で屋敷に招いたのも、好意からではなく、あやしげなものを野放しにするよりは手元に引き込んだ方が良い。と考えたからではないのだろうか。それは人々を守る総領としては妥当な判断だろう。夜光たちにとっては、敵か味方か。長の紹介があった人物とはいえ、「人間」である以上、それだけを理由に無条件で信頼する気にはなれなかった。
「……天休斎様」
 それらの思惑を声音には乗せぬよう、あくまでも静かでしっとりとした声音のまま、夜光は口を切った。
「私も、教えていただきとうございます。何処いずこからの紹介とも聞かぬうちに、天休斎様は私たちをお屋敷に招いてくださいました。なにゆえにございますか? 私たちのことを、人様に仇を為す妖しきもの、とは思わなかったのでございますか」
「うん? まあ、そりゃあ、なあ」
 天休斎は、手持ち無沙汰のように懐から扇子を取り出し、指の間で器用にくるりと回した。
「おまえさんたちだけなら、ぶっちゃけこの上なくあやしいさね。しかしまあ、わざわざ俺を名指しで、そんな連中が訪ねてきたとあっちゃあな。俺としては、ひとつだけ心当たりが無いでもないのよ。──なあ。おまえさんたちは『終の涯』から来たんだろう?」
 ふいの言葉に、夜光も葵も思わず息を飲んでいた。まさかその名を、蓬莱人の口から聞くことがあるとは。
 そんな二人の反応に、天休斎は細めの目許をさらに細めてにやりと笑った。
「で、俺をおまえさんたちに紹介したのは、あのお人だろう。『牡丹桜の君』だ。違うかい?」
「牡丹桜の君……?」
 夜光たちに天休斎を紹介したのは、終の涯の長だ。長には「名前」が無い。あるいは、あるのかもしれないが誰も知らない。
 名前がないことから、長を綽名で呼ぶ者もいるにはいる。牡丹桜の君、というのももしかしたらその類いなのだろうか、と夜光が考えていると、天休斎が気が付いたように付け足した。
「ああ、そうか。あの御方は、他の連中からは『長』とだけ呼ばれていたっけな。あの御方を牡丹桜の君と呼んでいたのは、まあ俺だけだ。でも、悪くない綽名だろう? なにしろあの、この世のものとも思えない、超弩級のべっぴんさんだ」
 牡丹桜の君、こと長のことを思い出しているのか、うっとりと告げた天休斎に、夜光と葵はますます驚いた。長が紹介したのだから、何かしら関わりはあったのだろうとは思っていたが、まさかそこまで親密な面識があったとは。
 長様に対して言葉遣いがなってないとか、不敬なとか、いろいろ言いたいことはあったが、今はそれよりも真偽を確かめなければと、夜光は話を逸らさずに続けた。
「ではあなたさまは、長様に会われたことがある、と?」
「おうとも。むかーしのことだけどな。実は俺は、あの御方に攫われたことがあるのさ」
「攫われた?」
 困惑する二人が面白いのか、天休斎はことさら大袈裟な仕種で、閉じた扇子で自身のことを指し示した。
「そう。俺はな、何を隠そう、生まれついての泣く子も黙る稀代の笛の名手なのよ。物心ついた頃には、もうお偉いさんたちの前で演奏を披露して、たんまりと褒美をせしめる域だった。天休斎ってのも、その頃につけられた号さ。『天を舞う迦陵頻伽さえ羽休めして聞き惚れる』ほどの名手、てな」
「はあ」
「本名は龍之介という。それはそれで悪くねぇんだが、なにせ龍の字が、俺にはちょっとばかり仰々しすぎてな」
「それで、攫われたというのは?」
 乗りよく語るうちに話が逸れてしまいそうな天休斎に、夜光は口を挟んで促した。
「ああ。それでだ。そんな俺の評判を聞きつけたのか、ある夜突然、咲き乱れる牡丹桜の下に、幻のようにあのお人が現われたのよ。『おまえの笛の音に誘われてしまいました。可愛い人の子よ、どうか私にその笛を教えておくれ』──てな」
 黙って話を聞いていた葵が、うん? と何かが引っかかったように首を傾げた。
 そんな様子にかまわず、天休斎はますます陶酔したように話を続ける。
「いやもう。当時の俺ときたら、そりゃあ花をもあざむく紅顔の美少年ってやつだったからねぇ。しかも稀代の笛の名手ときたら、神様だって妖様だって攫いたくもなるってもんだろうよ。かくて幼き俺は、麗しい牡丹桜の君に攫われて、終の涯という桃源郷の住人とあいなったってわけさ」
「左様でございますか」
「とはいえ。哀しいかな、無垢にして繊細な幼子だった俺は、どうしても家族や人の世が恋しくてな。笛を教えるどころじゃなく、来る日も来る日も泣いて過ごしていたのさ」
 あっ、と葵が声をあげた。普段礼儀正しい葵にして珍しく、思わずのように天休斎に指を差した。
「その話、長殿から聞いたことがあるぞ。笛の手習いをしたい人の子がいて、攫ってきたもののあまりに泣くから、仕方なく人の里に帰したことがあるとか……」
「本当ですか、葵」
 夜光は驚いて、葵を振り返った。葵も当惑気味に、顎に手を当てて考え込んだ。
「以前長殿が、人にいろいろと関わったときのことを話して聞かせてくれたことがあるんだ。けっこうひどいなと思ったから、よく覚えている」
「おや。なんだ、聞いてたのかい」
 天休斎が、やや拍子抜けしたように言った。
「ま、そういうことさ。なにぶん年端もいかねえ餓鬼には、どんな桃源郷だろうとどんな絶世の美女だろうと、抱き締めてくれる家族には勝てなかったのさ。毎日毎日帰りたいと泣いていたら、ある日俺は気が付いたら『こっち』に帰されてたってわけだ」
「なるほど」
 美女? と思ったが、夜光自身は男性の姿の長に馴染みが深いものの、そもそも長には本来性別というものが無い。夜光が終の涯に引き取られる以前は、長はしばしばそのとき都合の良い姿を取り、人に関わったり惑わせたりして遊んでいた──という話は、聞いたことがないでもなかった。
 葵も聞いたことのある話だったというのなら、天休斎の語ることは、仔細はともあれ大筋は本当なのだろう。そして長は、天休斎個人を少なくとも「信頼するに足る」と判断したからこそ、近くにいったら訪ねるようにと勧めたのだろう。
 天休斎が白湯を一口飲み、ふうっと、しみじみしたように息をついた。
「……しかし、そうか。なるほどねぇ。あの御方が、まだ俺のことを覚えていてくれたとはねえ。そいつは嬉しい話だ」
 呟き、天休斎は心底嬉しそうに、子供のような顔で、笑い皺をいっそうくしゃりとさせた。
「まったく、あの御方ときたら。死ぬまでに、出来ればもう一目でいいから会いたいもんだねぇ。あれほど美しいお人には、俺はついぞ会ったことがないんだ」
「そうですか」
 答える声音が、夜光は自分でもおやと思うほどやわらいでいた。でも、仕方が無い。長のことをこんなに懐かしそうに嬉しそうに語る相手を、まして長も信頼している相手であるならば、そう冷たくあしらうことも出来ないではないか。
 目深に下ろしていた被衣を、夜光はさらりと肩に落とした。自分の視界の端に、降りたての雪のような色をした自身の髪が、淡いきらめきを纏いながら揺れる。
 天休斎がそれに気付き、夜光を見た。と、細めの双眸を、これでもかというほど見開いた。
 夜光はそれに、艶やかに微笑んだ。
「夜光と申します。私は半分は人ですが、半分は『あちら』のものです。終の涯では、長様の養い子として過ごしておりました。いささか風変わりな身の上ではございますが、こちらの葵同様、そうあやしいものではございませぬ。どうかお見知りおきくださいませ、天休斎様」

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