遣らずの里 (六)

 夜光と葵が耶麻姿家の世話になり始めて、数日が過ぎた。
 最初のうちは本当に素顔を晒しても大丈夫なのかと不安だったが、少なくとも屋敷の者たちは、夜光を見ても避けたり恐れるようなことはしなかった。
 ただの食客でいるのも気兼ねするので、旅の疲れも抜けた滞在三日目には、夜光と葵は各々の出来る範囲で仕事の手伝いを買って出るようになった。
 天休斎の言葉にしたがい、夜光は屋敷の中で。葵は里の方で。
「離れても大丈夫か、夜光?」
「大丈夫ですよ。子供ではないのですから」
 各々の仕事中は、どうしても離れなければならない。葵は心配そうにしていたし、夜光も本音では不安だったが、あえて笑ってそう言った。いかにもあやしげな二人ともが屋敷に閉じこもっていたら、それこそよからぬ噂を招いてしまいそうだった。

 夜光は下働きめいたことは存外に慣れていたし、働くこと自体嫌いではなかったので、屋敷での手伝いは苦にはならなかった。
 屋敷の者たちは夜光に遠慮があるのだろう、そもそも重い仕事は割り振ってこない。無理からぬことではあるだろう。なにしろ夜光は天休斎の客なのだし、一見とても雑仕事にも慣れているようには見えないだろうから。
 そのかわり、屋敷の者達が夜光の異彩にある程度慣れた頃から、男女問わずぽわんと夢見るような眼差しで見つめられることが増えた。これにもまあ、夜光は慣れていた。なにしろ終の涯では「花」を生業にしていたのだし、客観的に見た自分の容姿が他人を惹きつけるものである自覚はあった。
 この容姿が好意に繋がる、それが通じるのならば、これを利用しない手はない。夜光は警戒されないように、かつ下手に熱を煽らないように、常に控えめに優しげであることに努めた。おかげでさして怪しまれることもなく、屋敷の中にとけこむことができた。

 里では順繰りに稲刈りが始まっており、本当に人手、とくに男手はいくらあっても良いらしい。どうやら数日のうちに、葵は里の人々とかなり打ち解けることができたようだった。
 葵本人からの話や、屋敷の者達から伝え聞く話などを耳にするにつけ、ああ、まあそうだろうな、と夜光は思う。
 葵は田畑仕事などはさすがにやったことはないだろうが、手脚の力や体力はあるし、機転もきく。丈夫な若者が助っ人に加わるのは、単純に助かるだろう。
 それに。のろけるわけではないが、葵はあれでなかなか見映えが良いのだ。幼い頃から武芸で鍛えられた身体はすっきりと姿勢が良く、しかも人当たりが良くて、だいたいいつも笑顔だから、あの朱髪が気にならなくなると、途端にそういった部分ばかりが目に入るようになる。
 嫌な顔ひとつせず力仕事を肩代わりする葵に、年若い娘達やご婦人方が、まず態度を軟化させた。用心深く手厳しいままだったのは男達だが、それもつい先日、どうやらころりと情勢が変わったようだ。
 というのも、葵の身こなしや、里を訪れたときに弓や太刀──こちらは襤褸にくるんだままではあったが──で武装していたことから、何かの話の流れで、
「おまえさん、もしかしたらちょっとは使える・・・のかい?」
 という話になったらしい。
 なんでも里には、何かあったときに素早く対応するため、また外敵から里を守るための自警団があり、日々鍛錬に励んでいるのだという。
 収穫期はそれだけ野盗などに狙われやすくもなるから、本来なら普段以上に、警戒に努めなければならない。しかし二ヶ月ほど前に師範役であった老人が他界し、ろくに教えられる者がいなくなり、以来、集まりもどこかだらけている。
「どれ。おまえさん、それなりの使い手だっていうなら、ひとつ俺たちの稽古相手になってくれねぇか」
 という流れになり、中でも腕の立つ数人に、木刀を取っての勝負を挑まれた。最初は固辞しようとした葵だったが、そのときの空気がかなり不穏で、下手に断るほうがまずいことになりそうな雲行きだった。
 結果はさすがに、武家の子として武芸の一通りを叩き込まれて育った葵が里の男達に劣るわけもなく、いずれもあっさりと勝負はついた。負けた男達は、どうやらそれで葵を見直したらしい。素直に頭を下げられ、あらためて自警団に稽古をつけてくれないかと頼まれることになった。
「そんなことがあったんですか?」
 と、その日の夜に話を聞いて、夜光はかなり本気で里の者たちに呆れ、腹を立てた。はたから聞いていれば、そんな話、男連中はなんのかのと理由をつけて葵を痛めつけたかっただけではないか。
「まあ、そうかもしれないが。結果的にそれで打ち解けたんだから、終わり良ければなんとやらだろう」
 当の葵は、平気な顔でそう笑っていた。そして翌日から、葵の仕事には、自警団の師範代も加わった。

 もともとその集まりは、天休斎の屋敷の一隅にある稽古場を詰め所にしていたのだという。その日から、ずいぶんとそのあたりは賑やかになった。
 なりゆきとはいえ葵も屋敷にいることが増え、やろうと思えば稽古場の様子もすぐに覗けるのは、夜光にとって有り難いことではあった。しかし、様々な意味で雑音が増えたとも言えなくもなかった。
 屋敷の敷地内にある馬場の傍らに稽古場はあり、自警団の集まりがあるときは、馬場に近い裏門が開放される。里の者達は、稽古場までなら自由に出入りできるようになる。
 やって来るのは、久しくなかった稽古に張り切っている男連中──ばかりでなく、若い娘や婦人たちの姿まで混ざっていた。彼女たちが入れ替わり立ち替わり、いそいそと差し入れを手に稽古場を覗く先には、どう見ても葵がいる。
 稽古場の中まで覗ける屋敷の縁側から、その様子を遠巻きに眺めながら、収穫だの何だのが忙しいという話は何だったのかと、夜光はむっと眉間に皺を寄せていた。葵が嫌われてつらい目に遭わされるよりはずっといいのだが、あれはあれで、なんとなく腹立たしい。
 数日もしないうちに、稽古場には自警団の男衆や覗きに来る娘たちばかりでなく、歳のいかない子供たちも姿を見せるようになった。
 とくに男童をわらべたちは、葵が皆に稽古をつける様子に興味津々だ。そのうち勝手に混ざるようになり、それも危ないからと、じきに葵が簡単な稽古を子供たちにもつけてやるようになった。
 そのせいもあって、いつの間にか葵は、「若先生」と皆から親しみを込めて呼ばれるようになっていた。

 そういった賑やかな様子を、夜光は離れた縁側で柱に凭れながら、時間があればぼんやりと眺めていた。
 夜光のいる場所まで、はっきりとした声は届いてこないが、稽古場の様子はよく見える。子供たちのいる間は、とくにそこには笑い声が絶えない。
 人間達の間に混ざりたいとは思わないが、離れて眺めている分には、葵に妙に馴れ馴れしい連中がいる他は、不思議と不快ではなかった。
 ふと、そこにいる元気な男童のひとりが、里に入った日に葵と言葉をかわしていた子供だと気付いた。よくよく見ればあの男童の母親とおぼしき女も、稽古場に様子を見に来る者達の中に混ざっている。
 あの日、ああまでこちらを警戒し刺々しかった母親まで改心させたのかと、夜光はすっかり感心した。
 自分以外の者達と一緒にすごす葵を、ここまでまじまじと眺めたことは、夜光も初めてだった。見ていてやきもきしたりもするが、子供たちに優しい目を向けている葵も、立ち会い稽古のときには誰より凜として見える葵にも、それぞれ目を引き寄せられる。そしてしみじみと、やはり葵が好きだ、と噛み締める。
 ──ああ、そうか。と、そのうち夜光は思った。
 きっと葵は、もともとの生国でも、あんなふうに過ごしていたのだ。おおらかで気取らない若様は、いつも誰かに取り巻かれ、きっと皆からあんなふうに愛され慕われていた。もしかしたら葵自身にとっても、ああしてすごすときは、懐かしい過去を束の間思い起こす時間でもあるのかもしれない。
 それらを思っていくらか胸がしんみりとしたとき、屋敷の奥のほうから、うなじの髪を揺らす爽籟にまぎれるように、笛の音が聞こえてきた。
 ぼんやりしたまま何気なく聞いていたが、すぐにはっとした。思わず、それの聞こえてくる方向を振り返る。
 ──龍笛か。なんだろう、この音色は。
 笛の音などいくらでも聞いてきたのに、まるで初めて聴く音色のように感じた。低く柔らかく、高く哭くように響くその音色の、思わず呼吸も止まるほど妙なること。
 どこから、と思ったときには、笛の音が聞こえる方に歩き出していた。
 低く低く霧を割って地を這うような、花びらを舞い上げながら高く天に伸び上がるような、かと思うと雷雨の中を切り裂きうねるような──そんな夢幻の中に連れ去られる音色を、誘われるように辿るうちに、気が付けば夜光は、この屋敷の主の部屋の前に立っていた。
 障子や襖を開け放った明るい部屋の中で、静かに笛の音が終息する。そこに一人座していたもの──その一瞬は、それは本当に「ひと」には見えなかった──天休斎が笛を下ろし、夜光を見返って、にこりと笑った。
「やあ、夜光さん。この屋敷にはもう慣れたかい?」
 そのいささか剽軽な印象の笑顔と声が、たちまち空気を何食わぬ日常に引き戻した。ここ数日は顔を合わせることのなかった天休斎を見て、今さらながら夜光は我に返った。
「あ……す、すみません、不躾なことを。失礼いたしました」
「いいってことさ。俺の笛に誘われて来なすったんだろう?」
「はい。あまりに美事な音色だったもので……つい」
「ふふ、褒めてくれて嬉しいよ。どうせならもう少し聴いておいきよ。そら、そこに座るといい」
 促されて、まだ陶然としたものがあとをひいていた夜光は、素直に天休斎の前に座った。
 再び、天休斎が手にしていた龍笛を持ち上げ、唇に当てる。流れ出した音色は優しく哀切で、かと思うと激しく打ちのめしてくるようで、またしても瞬間のうちに、その夢幻の世界に攫われていた。
 しばしの間うっとりと聞き惚れ、やがて余韻をひいて演奏が終わると、夜光は思わず吐息をこぼした。
「……本当に、とても素敵な音色です……これまでに聴いた、どんな笛の音よりも」
「そう言ってもらえると、俺も冥利に尽きるねぇ。なにせこれしか取り柄がないもんでさ」
 吹いている間はまるで人ならぬ精霊か何かに見える天休斎だが、笛を下ろすと、やはりいつもの少し悪ふざけが好きそうな男にしか見えなかった。
 笛の音色に酔わされたのか、気持ちがほぐれるまま、ふふ、と夜光は笑っていた。
「長様が攫ってしまいたくなったお気持ちが、よく分かります」
「あはは。今なら攫ってくれても、まんざらでもないんだがねぇ」
「いけませんよ。天休斎様には、領民のために尽くすお役目がおありでしょう」
 そんな会話をしていると、気を利かせたらしい侍女が飲み物を運んできた。香草を煮出した茶は、あまり味はしないが、爽やかな良い香りがした。
 何か肩の力が抜けた心地のまま、夜光は何気なく目線を上げ、そこにあった柱に貼り付けられていた札に気付いた。
「あれは……」
「ん?」
「他の場所にも、あれと同じものが貼ってありますね。お屋敷のあちらこちらに。あれはこの屋敷の護り……結界ですか?」
「ああ。うん、その通り。ただでさえ俺は余計なものを引き付けやすいんだが、笛を吹くと、ますますいろいろなものが寄ってきちまうもんでねぇ」
 天休斎はよいしょと脇息を側に引き、眠たげに凭れながら言った。
「この屋敷にすんなりと入れた時点で、おまえさんたちもいわば潔白だったわけさ。悪巧みしているものは、ここには一歩も立ち入れやしない。──もっとも」
 片目を持ち上げて、天休斎は夜光を見た。
「おまえさんは、まだだいぶ猫を、いや、鬼の面を被っているようだが」
 あからさまに伺う視線だったせいか、夜光はかえって気に障ることもなく答えていた。
「よくお分かりで」
「それについて、話してくれる気にはならないかい?」
「たいした話ではないんですよ。私はどうしても、人間が嫌いだというだけです。それと同じくらい、妖の血も疎ましかっただけ」
 なぜこんな踏み込んだことを、こんなに自然に話してしまえるのか、夜光にも驚きだった。
 笛の音を介して、天休斎は簡単に、種族の垣根を越えて聴いた者を魅了してしまう。それが分かるのに、自覚もできるのに、警戒する気持ちが起こらない。魂から揺さぶられる音色には、それだけの魔性じみた力がある。飾らない態度も手伝って、簡単に境を取り払ってしまう、それが天休斎という人物の大きな魅力であり、同時にそら恐ろしい部分でもあった。
「ほほう?」
「私は、生まれたときは額に角がありました。今は、長様がそれを隠して下さっています」
「あの御方が?」
「はい。幼い頃に、私が角を嫌って泣いたので。ここにある鏡に、私の角は封じられております」
 言って、夜光は着物の下にある、自身の首から下げた小さな鏡にふれた。それは幼い日に、長が夜光にかけた封を依り憑かせてあるもの。終の涯から離れるときに、長が夜光に手渡してくれたものだった。
「これを割れば、私の角を隠している封は一時的にであれ解けるそうです。そうしたいと思ったことは、今まで一度もありませんが」
「そこまで角が嫌いなのかい。難儀だねえ」
「……昔は嫌いでした。今は、この姿に慣れてしまったことと、この方が蓬莱こちらにいる分には都合が良いからです」
「ほう。じゃあ、今はただの人間嫌いってことかね」
 その軽い言い方に、夜光は思わず笑ってしまった。
「そうなりますね」
「俺は人間だから、おまえさんみたいな美人に嫌われているのは、あんまり嬉しい話じゃあないねぇ。もっとも、そうなるだけの理由があったんだろうけどさ」
「……そうですね」
 それ以上は、夜光は答えなかった。そこから先はさすがに、簡単に口に出すことはできない領域だった。
 口を閉ざした夜光に、天休斎もそれ以上踏み込んで来ようとはしなかった。よいしょ、と脇息に凭れ直し、茶を一口含んで、ふうと息をつく。
「なあ、夜光さんよ」
「なんでしょう?」
「人間のことは、好きにはなれそうもないかい?」
 咎めるでもない、凪いだ声音だった。問われて、夜光はうつむき、しばらく考え込んだ。
「……今は、好きにはなれません。まだ人間のことは、怖いです」
 嫌い、ではなく、怖い、と言った夜光に、天休斎は何か察したようだった。だが、特に口を開くでもない。なので夜光は、考え考えに呟き続けた。
「人間の中には、信じられぬほど身勝手な者、卑しい者もいます。それに人間たちは、理解できないものを簡単に嫌悪して憎悪する。数に頼んで、弱いものを虐げる。でも、人も妖とあまり変わらないのだな、と……思うことも増えました」
「ほう」
「怒りや憎しみを持つな、ということが、私には理解できない。それは理不尽に苦しめられたもの、虐げられたものの持つ、正統な感情です」
 己自身の、それから蓬莱に来てから出会った「弱きもの」たちの、憐れで無惨な姿を思い出す。とりとめもなく呟く声の、瞳の色が、次第に冷えた怒りを宿してゆく。それは既に、天休斎に語りかけているというよりも、半ば己の中を手繰る独り言だった。
「憎しみは憎しみを呼ぶからいけない、という。……だからなんだというのか。もともと人の世など、恨みの連鎖で溢れているではありませんか」
「はは。それはそうだなあ」
 揶揄するようにではなく、天休斎は笑った。
「恨むな憎むなというのは自由だが、それを他に強いることはできまいよ。その逆もまた然りだ。人は結局、己の知る範囲、理解できる範囲でしか考えられない。だから、何が正しいとか、どっちが間違ってるなんて、俺は言う気はねぇよ」
「日和見ですね」
「はははっ。夜光さんのそういう、優しそうに見えてキッツいところ、好きだなあ」
 ますますおかしそうに天休斎が笑ったところに、廊下を小走りに来る足音が聞こえてきた。夜光にも見覚えのある侍女の一人が、顔を覗かせる。
「天休斎様、お寛ぎのところをすみません」
「うん。なんだい?」
「山近くの畑が、軒並みひどく荒らされているんです。ちょっと一緒に見に行って下さいませんか」
 困った顔の侍女に、天休斎もいささか表情をあらためた。
「そいつは良くねぇな」と残っていた茶を一息に飲み干し、立ち上がる。
「すまんね、夜光さん。もうちょい語らっていたかったんだが、野暮用が出来ちまった。また今度相手をしておくれ」
「はい。お気をつけて」
 取るものも取りあえず、天休斎は侍女と一緒に、すぐさま出かけていった。
 その様子を、夜光も少し慌ただしく見送った。
 畑が軒並み荒されてしまった、といっていたが、盗人の類いか、それとも饑えた野山の獣の仕業だろうか。どのくらいの範囲なのかは分からないが、里の人々には気の毒な話だ。収穫前の畑も多かったろうに。
「山の、近く……」
 その言葉が何とはなしに引っかかって、夜光は呟いた。
 何か嫌な感じがする。なんだろう。ただの杞憂であればいいのだが。
 晴天の中に一点の暗雲が湧いたような不安に胸がざわめき、夜光は思わず、縁側から見える山の稜線を見やった。
 高いところから秋色に色付き始めている山々は、薄青く霞みながら、ただ静謐に横たわっていた。

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