遣らずの里 (十一)

「はいよ。ちょいと御免なすって。邪魔するよ」
 天休斎は人の輪を掻き分け、すたすたとその場の中心になっている葵と柚太のもとへ歩み寄ってくる。
「天休斎さま」
 見上げた柚太に、天休斎はにこりと笑いかけた。
「話は聞かせてもらったよ。柚太、偉かったね。おかげで俺も助かったよ」
「そんなの。俺はただ、兄ちゃんが可哀相で……みんながおかしいって、言っただけで」
 里長である天休斎の前だと、さすがに柚太も緊張するらしい。なんとか受け答えしようとしどろもどろになっているのを、天休斎は頭を優しく撫でてやった。
「ありがとう、柚太。あとは俺が引き受けるとするから、おまえはお母さんのところに戻っておいで」
「は……はいっ」
 柚太は少し名残惜しそうに葵を見返り、それから母親のもとへ、ぱっと駆け出した。母親は、駆け寄ってきた柚太を抱き締める。そこからはもう、激しく言い合っていたときの刺々しさは無くなっていた。
 ざわめく空気の中、口許をへの字に曲げ、はっきりと不機嫌な天休斎は、あたりの人々をぐるりと眺めた。
「さてと。何だい何だい。どうも最近、あっちもこっちも空気がおかしいと思ったらさ。俺の大事なお客人を、どうやら皆して虐めていたようだねえ?」
「そ、それは」「そういうわけじゃあ」と人々がざわめき、数人が反論しようとしたのを、天休斎はじろりと睨みつけた。
「おや。違うってのかい? この俺とお天道様に誓って言えるのかい、それは」
 普段ののんびりと構えた様子からは想像もつかないほど、天休斎の眼光と声音は厳しく、あたりは水を打ったように静まり返った。
 はあ、と、天休斎は少々芝居がかった大きな溜め息をついた。
「まったく。今は皆一丸となってかからなけりゃならないときだってのに、俺はほとほと呆れ果てたよ。おまえさんたちは、世話になった恩人に仇を為すつもりかね。俺の顔に泥を塗るつもりかい? おまえさんたちの目は節穴かい?」
 天休斎は声こそ荒げていないが、その様子は葵も身を竦めてしまうほど怒気も露わで、むしろ普段が安穏としている分、その落差が大きかった。
 誰も反論する者はいない。皆それこそ叱られた子供のように、身体を小さくして俯いている。
 天休斎はその様子をじっとりと眺め渡し、はぁ、と再び大きく嘆息した。
「まあ、おまえさんたちにはおまえさんたちの事情があるんだろうさ。後で話はじっくり聞くから、今は皆、一旦仕事に戻りな。こんなとこで油を売ってる場合じゃないだろう」
 ほら散った散った、と天休斎に追いやられ、人々は慌てて散開していった。それを見届けてから、天休斎は葵に向き直った。
「さて。おまえさんは、ちいと顔を貸しておくれでないかね。少し話そう」
「は、はい」
 すっかり天休斎の調子に呑まれていた葵は、反射的に背筋を伸ばして返事をした。その様子に、天休斎はいつものような穏やかな目許になって苦笑した。
「おまえさんのことまで叱りゃしないよ。ちょっと向こうのほうにいこうじゃないか」


「里の空気が何か妙だとは思っていたんだ。まさかこんなことになっていたとはねぇ」
 人々の目が届かない少し外れた場所まで歩きながら、天休斎は言った。
「俺の目が行き届かなかったばかりに、とんだ目に遭わせてしまった。申し訳ない」
「いえ、謝らないでください。時期が悪かっただけです」
 葵はかぶりを振った。本当に、そうとしか言い様がなかった。里がこんな異変に見舞われさえしなければ、きっと葵がこんなふうに村八分にされることも無かったのだろうから。
「時期のせいもあるだろうけどさ。そういうときだからこそ、人の性根っていうのは出るもんさ」
 話しながら歩くうち、人目の外れた場所まで来た。
 葵は話題を変えたくもあり、気になっていたことを天休斎に訊ねてみた。
「天休斎殿。耶麻姿の兵は、いつ頃到着しそうですか?」
「ああ、その話か。明日か、遅くても明後日には着くそうだよ」
「明日か明後日……」
 それは、思っていたよりも早い。それならば葵が今日を限りに自警団から離れても、さしたる支障は出ないだろう。
「今ここで、いったい何が起きているんだろうねぇ。まったく、こんなことは耶麻姿家始まって以来だよ」
 天休斎は頭痛がするように眉間を揉みながら、小さく溜め息をついた。
「分かりません。……ただ、相手はおそらく『人ならぬもの』だとは思います。それも、かなり知能の高い」
 葵は夜光と互いの知っていることを付き合わせて情報交換していたから、大半の里の人々よりも変事の詳細を把握していた。
 未だに正体の見えない「それ」は、凶暴で力任せなようでいながら、恐ろしく注意深い。数日のうちにこちらのやり方、罠や巡回の法則を把握し、それにかからないように行動することを覚えた。そんなふうに葵は感じていた。
 そもそも最初に山姿神社を襲ったとき、「それ」は凶事を周辺に悟られないように「場」を閉ざして偽装していた。しかも恐ろしいのは、多くの被害をこちらに与えていながら、未だにその姿を誰も目撃していない、ということだ。
「夜光さんの言うことと俺の見立てを掛け合わせるとさ。何らかの事情で御座みくらうしなってしまった山姿やましなの神……山神様が正体なんじゃないかって、そのセンが濃厚に思えるんだよ」
 天休斎の目が、里の背後に連なる山の稜線を辿った。
 秋も深まりつつあり、山肌を覆う木々は色を変えている。しかし神社のある山を中心に、鮮やかな紅葉とは程遠い、朽ちてくすんだ茶褐色になっていた。それは何か、不吉で不気味なものに感じられた。
「はい。夜光から、俺もだいたいのことは聞き及んでいます」
「そうかい。こんなときに夜光さんのようなひとが居てくれたのは、俺にとってはまさしく不幸中の幸いだよ」
 天休斎は軽く笑い、山々から視線を戻して葵に向けた。
「俺は、人よりは多少視たり聴いたりする程度の凡人だ。山神様かもしれないとなっても、正直打つ手がまるで浮かびやしない。せいぜい兵を呼んで山狩りをして、状況が落ち着いてからお祀りし直すくらいのことしかね」
「俺も同じです。山神だなんて言われても、あまり想像がつかないというか……途方もなさ過ぎる」
 妖と呼ばれるものなら何度も遭遇しているが、神、と呼ばれるものには、葵は未だにお目にかかったことがなかった。
 いや、以前過ごしていた異界である終の涯には、そういうものも訪れていたようだから、どこかで見かけてはいるのかもしれない。しかしあそこでは妖も神も「人の姿」を取ることがしきたりだったし、あまり大きく区別されるものでは無く、「呼ばれ方が違うだけ」というくらい曖昧な線引きだった。
「そうだねぇ。もしかしたら正体は山姿様かもしれない、なんて。間違っても皆には言えやしないよ」
 天休斎は苦すぎる表情で笑い、あらたまったように葵を見た。
「それで、葵殿。それでもやっぱり、ここを出て行く考えは変わらんかね?」
 問われて、葵はしばらく黙り込んだ。
 里の人々の、不安と恐怖で張り詰めた様子が浮かぶ。そんな中でも葵を信じて慕ってくれた柚太少年の、幼く懸命な顔が頭に浮かぶ。
 そして天休斎は、突然現われた正体も分からない自分達を、ただ好意だけで快く受け入れてくれた人物だ。それらを言わば見放すも同然の選択肢に、葵は揺らぎかけたが、目を心持ち強く閉じてそれを振り払った。
「はい。こんな状態のここを放っていくことを、心苦しくは思いますが。俺がここにいると、それ以上に里にとって良くないかと存じます」
 天休斎がいくら仲裁に入ってくれたとしても、人々のあれは、根源に「得体の知れないものへの不安と恐怖」がある。とくに恐怖という感情は、本能から来るだけに根が深く、簡単には拭い難い。葵を庇うことで、下手をしたら天休斎に対しても、人々が不信感や不満を募らせることになりかねない。
 自分一人に出来ることなど、たかが知れている。自分が残ることより、明日か明後日には到着するという耶麻姿の兵の方が、ずっと頼りにもなるだろう。
 何より、夜光をこれ以上悩ませるわけにはいかない。
「そうかい。──いや、こちらこそ済まない。ちいと卑怯な言い回しをしちまった」
 天休斎は自嘲し、肩をすくめた。
「まったく、我ながら情けないねぇ。この間夜光さんには、手に負えないと思ったらさっさと逃げな、とかうそぶいちまったっていうのにさ。格好悪いったらねぇよ」
「いいえ。何のお力にもなれず、申し訳ありません」
 そんな天休斎を、葵は責める気にはなれなかった。里の人々の生活や命を背負う立場で、前代未聞だというこの状況。得体の知れない「人ならぬもの」への理解を持つ自分や夜光を頼りたくなるのは、無理もないことだ。そういう観点から話せる相手は、死んだ宮司──山姿宗衡くらいだったのだろうから。
「おまえさんの方こそ、謝らないでおくれよ。俺の立つ瀬が無くなっちまうじゃないか」
 はは、と笑い、天休斎は気持ちの区切りをつけるように、真っ直ぐに顔を上げた。
「まあ、それならさ。もう今日は屋敷に戻りなさい。今日明日くらいはゆっくり風呂につかって、酒でも呑んで休みなさいよ。それから出て行っても罰は当たらないだろう」
 葵は少し考え、酒はともかく、天休斎のその言葉を受けることにした。きっと先程の騒ぎはもう里中に広まっているだろうし、そこに葵が現われては、更に人々を刺激してしまいそうでもあった。
 それに本音を言えば、あの針のむしろの中にこれ以上居続けるのは、心にこたえた。
「ありがとうございます。そうさせていただきます」
 頭を下げた葵に、天休斎は穏やかに頷いた。
「今までも、充分おまえさんと夜光さんは助けてくれた。何も負い目を感じる必要はないよ。こちらこそ、心より感謝する」
 天休斎は、きっと夜光と葵の間に起きた諍いについても察している。部屋を別にしてくれと、夜光は天休斎に申し出たのだろうから。
 惜しみながらも何も言わずに送り出してくれようとする天休斎に、葵はもう一度、深く頭を下げた。

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